占領下の抵抗(注 xv)

xv三島由紀夫

高等学生の千編一律の教養体系、西田幾多郎の『善の研究』、和辻哲郎の『風土』『倫理学』、阿部次郎の『三太郎の日記』などの必読書に縛られた知的コンフォーミティが我慢ならなかった。現在にいたるまで私には根強い知識人嫌悪があるが、その根はおそらくこういう少年期のヘソ曲りに源しているに違いない。

『日本の古典と私』[46]

と言っている。

『濁った頭』や『クローディアスの日記』のような異様な作品を書いた志賀が、このような「知識人」に該当がいとうするとは、私には思えません。

『行動学入門』[68]所収の「革命哲学としての陽明学」の中で三島が大正教養主義に触れた箇所で、武者小路実篤と志賀直哉を並べているのはは不当なことに思えます。武者小路と志賀は共に白樺派を代表する人物ではありますが、全く資質の異なる作家であると思います。

ただ、柄谷行人が「双系性をめぐって」の中で

大正期に、志賀や西田がいわば基層的なものに向かったのは、それ自体、明治的近代のなかにおいてであり、また、西洋という強迫的な「他者」から一時的に解放されたという状況なしには、ありえないのです。

「〈戦前〉の思考」所収「双系性をめぐって」

と述べている通り、志賀の作品もまた大正という時代を反映しているとはいえるのかもしれない。

そして、柄谷行人が

西田も志賀もある意味で、「明治」的な人で、ある強さを持っています。しかし、大正以後の人にとっては、こうしたものが日本独自のものとして自明化されていきました。

「〈戦前〉の思考」所収「双系性をめぐって」


と述べているように、大正教養主義の元祖の1人である西田幾多郎にも、三島の云う

知的コンフォーミティ

『日本の古典と私』[46]

とは異質な側面があったのかもしれない。

引用文献: 「〈戦前〉の思考」柄谷行人
1994.2.1.第1刷
1994年4.10.第4刷
発行所: 株式会社 文藝春秋


この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xv)より、ここへ繋がるようになっています。

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