今年の無人島も夏の思うツボだ。
今年の夏も無人島へ。
昨年は大雨だったが今回は太陽も味方につき、晴天の無人島を独占だ!
目的地は長崎。
行くまでに、前回は通過する時間帯の問題でことごとく叶わなかった沢山の寄り道を企てる。
ラフに寄り道できるのは、車で行くことの醍醐味だ(ペーパードライバーが何を言うかだが)。
まずは岡山。
夫待望のジーンズストリートを散策し、きび団子を食す。
私が昔読んだ桃太郎の絵本の中のきび団子は灰色だった記憶がある。
きっとこれは硬くてボソボソしていて、口の中の水分を根こそぎ持っていかれるんだろうけれど、力だけはすごく湧くんだろうと思っていたから、いい意味で裏切られた。
続いて広島。
宮島で厳島神社を参拝し、牡蠣と広島焼きを堪能する。
夫はわざわざ干潮時に厳島神社に着くように調整してくれて、
「ほら、厳島神社なのに浮いてないんやで!大鳥居くぐれるで!」
とめずらしく興奮気味だったが、
厳島神社初の私や子ども達は満潮時のあの厳島神社を見たかったと思っていたことは秘密だ。
それにそもそも浮いていないでしょうよ、と思ったことも黙っておいた。
そのまま広島の深夜営業の温泉でしばらく体を休めたあとは、山口へ向かう。
山口では秋芳洞で涼み、市場で海鮮を堪能して、移動で疲れた体を休めに佐賀に移動。佐賀で一泊したら、いよいよ無人島だ。
腹ごしらえをして向かった佐賀のホテルは、布団に横になって体力回復できればいいな、くらいの思いで予約したホテルだったが、2段ベッド(ロフト?)に大興奮する子どもたち。
「YouTubeも見れて布団もあって、ここは天国だね!最高!やっぱりこうでなくちゃね。」
と思いがけず喜んでくれる子どもたちに、安上がりでありがたいなと感謝するとともに、YouTubeも見れず布団もない明日はこの子たちにとっては地獄なのだろうか?という疑問は忘れることにする。
お風呂に入り、近くの焼き鳥屋でテイクアウトした手羽先の塩焼きを食べた息子が
「うまい!生きててよかった…!」
としみじみ言ったあたりで眠りにつくことに。
(できれば海鮮市場でその言葉は欲しかった。)
次の日こそが、私たちの今回の旅の一番の目的だ。前回よりもゆっくり過ごしたいと思い、早めに船をお願いしているのだ。
ぐっすり寝た次の日は、朝も早よからせっせと準備をして、気が早いが水着まで着込んで出発だ。
あとは近くのスーパーで島で食べる食材や小物を調達するのみ。
楽しいな。順調だ。
そんなことを考えながら、スーパーの駐車場の冷えた車の中で夫が買い物を終えるのを待っていたら、バッテリーが上がった。
船の出発時刻が迫っている。
車の業者さんには電話が繋がらない。
やっと繋がったものの、最低でも1時間以上はかかるとのことで約束の船の時間には間に合わない。
泣きたくなってきた。
と同時にこういう時ってなぜか全て夫のせいに思えてくるから不思議だ。
(夫が一番不思議に思っているはずだが。)
落ち込みながら業者さんと連絡をとっていると、
「10秒くらい待ってて!すぐ戻ってくる!」と言って息子が席を外した。
そこから5分。
帰ってこない。
すぐその辺にいるだろうと思っていたのに、
おもちゃ売り場にも男性トイレにもいない。
最初こそ苛立っていたが、探し始めて20分。
苛立ちは不安と猛省に変わる。
こんな小さなスーパーを20分以上も探していないのだ。
嫌なニュースがちらつく。
無人島なんかどうでもいい。
お店の人に伝えようとしたその時、走ってこちらに向かってくる息子の姿が見えた。
汗ばみながら
「女の子の方のトイレで頑張っていました!!」
とお腹をさすりながら報告する息子。
男性トイレと多目的トイレは見たが、女性トイレは盲点だった。
ごめんねという思いと、反省と、安心が怒りに変わるような思いと、そしてやはり安心とが入り混じってちょっと泣いてしまった。
私が泣いてしまうほど心が乱れているというのに、遅れてやってきて「見つかったんだねー!」とヘラヘラしている(様に見える)夫を見て怒りが再燃してきた。
バッテリーが上がったのも、息子が女性トイレにいたのも夫のせいなのに気楽なものだ!(正確には夫のせいではないが)
そう思ったが最後、夫といったん距離をとりたくて、夫がスーパーの商品に気を取られている隙に子どもたちの手をひいて早歩きをしていた。
(その間に業者さんが到着し、車の修理に着手)
ここからは、夫を撒きたい私と、私たちを探す夫との戦いだ。
バレなさそうなコーナーに身を潜めて、自身の八つ当たりに近い感情をなんとかおさめる方法を模索していたところ、この旅最大と言ってもいい事件が起きた。
我々の目の前にぬっと現れた夫が、両手をヒラヒラさせて
「ご無沙ターン」
とほざいたのだ。
許せない。
交渉決裂だ。
こんな心境では無人島になんて行けない…!
そこから涙なしでは語れない一、二悶着があったのだが、まだ無人島の話に入っていないことに気づいたので断腸の思いで割愛する。
とにもかくにも車も直ったし、息子も現れたし(ついでに夫も)、気を取り直して無人島へ向かう。
船のお兄さんに時間の変更をあらためて詫びつつ、一方では娘が
「お父さんとお母さんは、車が壊れてすごく喧嘩をしていて、なのにお父さんが変な格好でつまらないことを言ったから、お母さんは無人島なんかどうでもいいから帰りたいと言っていたよ。弟は女トイレに汗をかきながら隠れていたよ。」
と一生懸命説明し、変なことを言うんじゃないよ…と思うものの、まぁほぼその通りなので仕方ないと思ったところで無人島に到着だ。
着いたら、全部どうでもよくなった。
そうだった。ここをもう一度心と身体で堪能したくて来たのだった。
あらためて息子の件を猛省した後は、夫にもちょっと謝って、気を取り直して楽しむのみ。
前回は全てが初めてで時間が過ぎるのがとてつもなく早く感じたが、今回は到着して早々から時間がゆっくり流れているように感じた。
今回のごはんは極力手をかけず。
みんなで丸かじりする用の丸鶏の下準備だけして、40分放置して焼いている間に泳ぐ。
あとは既に茹でてあるトウモロコシとマシュマロ、保冷剤代わりに持って来た冷凍の焼きおにぎりを炙り、永谷園のお吸い物にぶち込むのみだ。
いざとなったらカップラーメンや流水麺もある。
泳いで、食べて。食べて、泳いで。
陽が落ちたら、
花火をして
眼鏡をかけて星を見て
それでもまだ少し時間があって
あんなに食べたにもかかわらず、まだ残っている火を見たらカップラーメンを作りたくなって食べて。
花火や星を見上げたことは、
本当にしたかったことかと聞かれたらあやしい。
やっておくべきこと、のような感じかもな。
夏のイメージにやらされてること、というか。
そんなひねくれたことを思いながら花火の煙を吸ってケホケホして、そんな煙を含むここまでの一連の流れに満足していたりする。
「なかなか花火って減らないものだな」と思いながら花火に火をつける私と、
「もうこれしか残っていない。ゆっくりやろうね」と寂しそうに言う子どもたちと、
「え、もうないんや…」と寂しそうに言う夫と。
そんな夫でよかったと思う。
昼間は本当にごめんね。
私と息子は、もう少し起きてたい気持ちと裏腹に早々に眠くなってしまってテントに入ったけれど、暑くて眠れないと言う娘はテントの外で椅子に座って夫とおしゃべりをしていた。
コーラもう少し飲んでもいい?
コーヒーも少し飲んでみてもいい?
結婚ってしなくちゃいけないもの?
なんでお父さんはお母さんと結婚したの?
いつからおじいちゃんとおばあちゃんになるの?
娘が聞く。
夫はどう答えるんだろう。
娘の結婚観はどんなだろう。
会話に混ざりたいなぁ。
いや、今は変に混ざらない方が良さそう。
でもちょっとシャイな娘のあれこれを雰囲気に任せて聞いてみたい。
そんなことをぼんやり思いながら眠気に負けていた。
朝早く起きたら、まだ日が昇る前。
前回は完全に日が昇ってから起きたので、なんだか嬉しくて夫を起こす。
蜘蛛の巣とまん丸の蟹たちを避けながら林を潜り抜けて、サンライズビーチと呼ばれる場所に向かった。
夜明けと日暮れは似ているように思う。
写真に撮ったら尚更同じ景色のように見える。
「もうじき夜が明けるよ」
と言われたらなんだか爽やかな気持ちになって、
「もうじき日が暮れるよ」
と言われたら寂しくなりそうだ。
そろそろ子どもたちも起こそう。
朝ごはんは、持ち込んだカセットコンロで。
せっかくの無人島にカセットコンロを持ち込むのはいかがなものかと思ったけれど、きっと次来る時も持ち込むだろうと思うほど、泳ぎ疲れた翌朝のごはんの準備にはなくてはならないものだった。
前回は鬱陶しくてたまらなかった体のベタつきやザラつきは、今回はもはやどうでもよくて気にならなかった。
ここに来ると強くなったように思う。
自分は強くて、もしかしたらどこででも生きていけるかもしれないぞという、ちょっとした錯覚をしばし噛み締めたくて無人島に行っているのかもしれない。
ヘロヘロの体を車に押し込んで、
帰りは山口の角島大橋を通り、島根で出雲大社を参拝。流石のこどもたちも足取りが重い。
もう一つ、どうしても行ってみたかったワンコインの朝ごはんのお店に行ってお腹を満たしたら帰ろう。子どもたちも何時に家に着く?と早く家の布団でゆっくり眠りたげだ。
ところが。
朝ごはん屋さんで大きなだし巻き玉子と美味しいお米を食べたら、パワーチャージされた様子。
美味しい朝ごはんってすごい。
あと、子どもってすごい。
不謹慎だが、課金したらHP回復!みたいな単純なゲームを彷彿してしまった。
HPが回復した子どもたちは、鳥取砂丘で遊びたいと騒ぐ(嫌な予感)。
予感は的中し、服のまま海で遊んだ後は砂だらけに。
昨年もそうだったなぁと思い出す。
ただしこの汚れで車に乗るのはキツイなと思いつつ、砂汚れに前よりもすこーし寛容になっている自分がいる。(洗濯するのは夫なので何を言うかだが。)
なんやかんや子どもたちの下着や服などを途中で買い足しながら、帰宅した時にはだいぶ遅い時間だった。
疲れすぎて、車から家に入るまでの間を抱っこで運んで欲しい子どもたちは、車の中で寝たふりをしている。
数秒前まであんなに元気だったのに役に入るのが早い。
子どもたちの固く閉じた目がピクピクしていることは見ないふりをして、次の日からの仕事に備えるため荷物と子どもを運び入れて、シャワーを浴びて、明日から仕事でよかったと思った。
オンとオフを下手に切り替えることなく、日常と非日常をごちゃ混ぜにして走り切りたい今日この頃だ。
酷使しすぎた胃だけは労わろうと思う。
そして今年も夏の思うツボにまんまとハマろうと思う。