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<赤瀬川原平の名画読本>鑑賞のポイントはどこか 赤瀬川原平 光文社(1992)その2

 以下、その1の続きです。

マネ[オランピア] ・伝統を切り崩した色彩の挑戦

  次章ではマネの「オランピア」を取り上げています。下にこの絵を示します。

「オランピア」: wikimedia commons より。public domain

 マネという画家は小さいころから知っていました。なぜか子供の頃から見慣れていた気がします。

 目に浮かぶのは、どこかの部屋に飾られた「笛吹く少年」の複製画や紙媒体で刷られたその絵であり、いやというほど見ていたからかもしれません。「笛吹く少年」の絵は、当時、日本のどこでも見かける絵で、ミレーの「落穂拾い」と共に一般の人も良く知る絵だった気がします。

 後年、美術の教科書で、西欧美術の流れを変えたという「草上の昼食」が載っており、「印象派の父」と教わった気がするのですが、印象派の明るい絵に比べてマネの絵は黒っぽくて、マネ以前の”やに色”の油絵とそれほど違って見えず、どこが「印象派の父」なのだろうと長い間疑問に思っていましたした。また絵もどこが素晴らしいのかまったく分からなかったのです。

 著者、赤瀬川原平は、小見出し「裸婦像と超ミニスカートの相関性」と次の「マネのどこが”印象派の父”なのか」で、私が述べた、おそらく誰もが感じるであろうマネの絵の印象と疑問に対して、美術家かつ文筆家らしい筆致で解説しています。

 まず、「オランピア」がなぜ当時の人々を驚かせたのか、なぜスキャンダルになったのか、マネ以前の絵の裸体が抽象存在の裸であったのに対し、この絵では「現実の肉体が服を脱いで裸になったとありありと感じた」からと推定します。

 特に注目しているのは、肌の色です。裸婦の肌の色があまりにも現実的であったことに言及し、「リアリズム」の色、自然の色を描き始めたのはマネであり、それゆえ、「オランピア」の肌色が現実的なために人々を驚かした、そして、それが印象派の先駆けとなったので、「父」と呼ばれるのだと。

 実は、長い間マネの絵を理解できなかった私ですが、16年前「線スケッチ」を始めてから、西欧一辺倒だった絵の見方が変わりました。
 2010年に三菱一号館美術館で開催された「マネとモダンパリ展」で実物のマネの絵をみて、上で述べた私の当初のマネの絵に対する私の見方は180度変わりました。「印象派の父」という意味もその時に実感しました。

 今では、印象派の誰よりもマネの絵が好きになっています。そして「マネの黒」、漆黒の美しさについてもぞっこん参りました。この辺の事情は、だいぶ前にブログで詳しく述べました。
 この記事の末尾にリンクを貼りますので、ご興味のある方はお読みください。

 さて、前回の「日傘の女」の記事で陰影の塗り方について私の意見を述べました。生徒さんに「陰は暗いから黒だと思いこまないで」といつも話している話題です。

 この陰影の彩色に関して、小見出し「マネのどこが”印象派の父”なのか」の中で著者も言及しているので引用します。

 ヨーロッパの美術館を二、三まわればわかることだが、十九世紀以前の絵の色彩の抑圧というのはやはり凄かったんだという実感を持つ。ほとんどの絵が全部やに色で支配されている。人物や花など画面中心のテーマにはスポットが当たっていても、その周辺はいずれも焦げ茶色である。スポットの当たった人物や花にしても、その陰は黒っぽい焦げ茶色である。陰の部分に色を見る、ということはない。
 夜は暗い、陰も暗い、暗いのは黒、という観念的な公式をもとに描かれている。絵を絵らしく見せる風習というものがしっかりあったのである。見た通り描いていたようでいて、それはその風習の中での見た通りなのであった。

 さて、最後の小見出し「色彩画家マネがしかけた黒魔術」で著者が「マネの黒」について言及していますが、実はこの部分こそが私が紹介したかった部分なのです。

 以下引用します。

 ところがマネは黒い色が好きである。私にはこのパラドクスが実に面白い。マネの絵をあれこれ見るとわかるが、衣服や背景やその他、黒いものは黒々と塗っている。その黒が美しい。黒い色として美しい。それまでのヤニ色の絵の黒とは違うのである。絵画的風習に逃げ込むような、そういう迎合的な黒とは明らかに違う。むしろ挑戦的な黒い色だ。

 これこれ、これです。私のようなものでは、漆黒が美しいとか素晴らしいと一言ですますのですが(実を言えば、一言でしか表せない)、このように言いたかったのです。

 引き続き、以下の文章が続きます。

 それまでのほとんどの画家が黒をベースとして使いながら、それは黒い色ではなかった。それはテーマ以外をうやむやにするための、それを使っておけば間違いないという、安全パイとしての黒だった。それが十九世紀、自然の色をはじめてそのまま見て吸い込んだマネの目玉が、黒をはじめて色としてみたのだ。そして絵の中に大胆に、積極的に黒い色を塗りこんでいく。印象派を生む自然の明るい色彩世界は、最初に黒い色から始まったという不思議な皮肉。

 と、述べた後、いかにも実作者らしい感想が続きます。

 マネのキャンバスに塗られる黒はしあわせである。やはり好きで塗られる色は生き生きしている。それまでの、仕方なく塗られていた黒の、生きる望みを失ったような表情とは段違いである。

 大変な入れ込みようです。著者はこのあと、マネはオランピアの裸婦の肌色がこの黒によって際立たせたのだという結論にもっていきます。

 しかし私としては、著者がマネの黒の美しさにこんなに入れ込んでくれて嬉しいということをここでお伝えしたいだけです。

 著者は、マネ以前の絵の黒をボロカスに言っていますが、客観的で感情を入れない学者や評論家から、かなり主観が入った論理で強引だと批判されそうです。実際、西欧においては黒々とした漆黒は何らかの理由で避けられていたのではないかとも思います。

 現代でも、水彩画では黒の絵具を使わず、混色で作った黒を塗るとも聞いています。マネ以前の西洋画では漆黒を使うと何らか拒否反応が起こるとか、微妙な味いがなくなると黒い絵具が避けられている可能性があります。

 先に述べたように、2010年に「マネとモダンパリ展」でマネの作品を直接見た時に、見事な黒に感激したのですが、見た途端に思ったのは、これは東洋の水墨画の黒々とした黒だ、いやそれ以上というのが私の感想です。(末尾のブログ、4番目の記事を参照ください)

 すなわち、マネが意識したかどうか分かりませんが、東洋の黒、水墨画の墨痕を見た時と同じなのです。おそらく、伝統的に西洋の人には漆黒は受け入れられにくかったのではないかと、あくまで根拠のない推測ですが。

 ともあれ、赤瀬川氏がいうように、黒も含め、リアルの色の見方がマネから始まったというのは事実でしょう。

 (その3に続きます。次回でこのシリーズは終わりにしたいと思います。)

<参考:マネの黒に関する以前のブログ記事>


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