「サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展」(千葉市美術館):なぜ国内に優品がないのか(泣)、驚きのその色彩と気品
(本記事は長文になります)
はじめに
千葉市美術館で今年初めに開催された本展覧会が3月3日に終了し、それからすでに2か月近くも経っています。
私が訪問したのは2月1日で、前期後期による大幅な作品入れ替えがあるため、再度訪問する予定でしたが、事情が生じ訪問出来ませんでした。
終了直後に記事を書き始めたのですが、未完のまま放置してしまったのです。遅くなりましたが記憶をたよりに記事を完成させたいと思います。
当日入口を入って会場はどこかとそのまま奥に進むと、突き当りの部屋で学芸員の方のショートレクチャーがまさに始まるところでした。無料で公開しているので是非と関係者の方に誘われたので入ることにしました。
約30分ほどの講演を聞き終えたあと会場に入ったのですが、事前に画家の知識を得ることが出来大変ラッキーでした。
感想
日本の浮世絵関係者、研究者は怠慢ではなかったか?
かつて鳥文斎栄之の名前は聞いたことがありますが、その作品のイメージはまったく思い浮かびませんでした。おそらく大半の日本人はその名前を云われても私同様ピンとこないのではないでしょうか。
記憶をたどっても若い頃の教科書は勿論、日本美術、特に浮世絵版画を鑑賞するようになった最近20年、日本美術や浮世絵の一般人向けの解説本を目を通しているつもりですが、鳥文斎栄之その人の名前を冠した本を見たことがありません。ですから状況は推して知るべしと云えるでしょう。
実際、千葉市美術館企画展HPとチラシに「世界初の栄之展開催!」と大きく謳っているくらいですから、日本でも初の展覧会ということになります。
私の不勉強を棚に上げて、展覧会を見終わった後の率直な気持ちを云わせてください。
と、本当は私の不勉強も原因なのに、日本のこれまでの専門家に不満をぶちまけたくなるほど、あるくやしさを感じたのです。
そのくやしさとは、千葉市美術館が、企画展の解説サイトで、
と述べている事実、単に作品が海外に流出したために国内で見ることが出来ないことだからではありません。
実は、くやしいのは今回出展された、大英博物館、ボストン美術館所蔵の作品が、その出来栄え、特その色彩、質感がけた違いに良いからなのです。
それは国内所蔵の浮世絵版画では一度も感じられたことがない水準で、本当に目を見張りました。
ですから展覧会の全体の作品の印象は、大英博物館、ボストン美術館の作品の印象から来ているといっても過言ではありません。
そのことは、150点以上に及ぶ出展作品の大半が日本所蔵のものなのに企画展サイトに引用されている図版9枚の内、大英博物館、ボストン美術館の作品が6枚に及ぶことからもお分かりになると思います。
なお、鳥文斎栄之の場合は、単にその保存状態のよさや刷りの版が早いものが多いだけではありません、日本で見慣れた大きさではなく、「大判」や「大判3枚続」、「大判5枚続」の「続きもの」が多いのです。
ですから迫力が2倍どころか、数倍に感じます。それは西欧の絵の大きさにも対抗でき、明治時代に海外へ持ち出す時に、もしかすると質だけでなく大きさも優先されたのかもしれません。
もう一つ鳥文斎栄之の海外流出がいかに凄かったのかの例を紹介します。
この記事用の作品をダウンロードするためにボストン美術館、大英博物館にアクセスしたところ、私のとんでもない誤解に気が付きました。
それは鳥文斎栄之は超が付くほど寡作の作家(フェルメール並み)だと思っていたことです。それは、1)わが国で展覧会がない⇒2)国内外で作品が少ない⇒3)栄之は寡作だった、という全く根拠のない思考ルートで推論したためだと思います。いわば勝手な思い込みです。
ところが、驚いたことにボストン美術館は500枚近い鳥文斎栄之の作品を所蔵していることが判明したのです。しかも版が異なる同じ画題の絵ではなく別々の画題の絵が大半を占めます。
よほどの目利きが明治時代の日本で根こそぎ買っていったに違いないと思いました。一方、大英博物館は100枚近くの作品を有し、ボストン美術館よりは劣りますが、事情は同じです。
鈴木春信の海外所蔵の作品と「闇夜」の黒ベタ表現
浮世絵版画の海外流出といえば、すでに私は、鈴木春信の闇夜表現の「黒ベタ」の浮世絵版画作品について同じことがいえることを「小村雪岱」展の記事の中で指摘しています(下記)。
「黒ベタ」の鈴木春信の優品がことごとく欧米にあることを知り、私が見ても傑作中の傑作なのに、日本の専門家がほとんど言及することがないことに正直不満を感じたのです。
鈴木春信の例を挙げて補足説明します。
図2に「黒ベタ」作品の中でも、黒色の面積が大きい「闇夜」を描いた作品を示します。
いずれの作品もすべて欧米の美術館が所蔵しているものです。これらの版の闇夜を示す漆黒が素晴らしいと思われませんか? 同時に他の色の刷りの状態も素晴らしい。
私が調べた限り、鈴木春信の「闇夜」の作品の国内所蔵品はほとんど無いうえに、数少ない国内の作品の色は劣化して「漆黒」ではなくぼやけた灰色状態で魅力が半減しています。一度欧米の所蔵品を見てしまうと、もはや見るに堪えないのです。
問題にしたいのは、鳥文斎栄之と違って鈴木春信の場合は、その名を冠した一般人向け解説本が多数出版されているのに、この闇夜の「黒ベタ」作品についてページを割いている本がほとんどないことです(表紙にも用い、軽く解説している本の1例を知るのみです)。また大掛かりな日本美術全集にしてもしかりです。予算上国内でしか作品を撮影できないからだと思います。
また鈴木春信については、判で押したように全著者が「錦絵の創始貢献者」であることと、「春信風美人表現」の独特の美しい描写について解説していますが、どこか通り一遍の解説にしか思えないのは私だけでしょうか?
彼らの頭には無意識に、鈴木春信は、歌麿、写楽、北斎、広重などその後に続く名だたる浮世絵師に比べて、初期の絵師だから絵画的に成熟していないと決め込んでいるのではないかと邪推すらしたくなります。
確かに、歌麿、写楽、北斎、広重ら後に続く代表的な浮世絵師の彩色が洗練された作品に比べて色数は少ない(例えば青色はない)ですし、植物性色素のためか褪色もして明るさ、鮮やかさが足りず、色彩的にも素朴で錦絵の初期的な感じを受けるのは否めません。
しかし考えてもみてください。春信は錦絵の創始者の一人です。その革新的な手法の開発に貢献したことを思うと”ただもの”ではないはずです。しかも海外美術館所蔵の良質な春信の作品を見れば、その色彩の素晴らしさだけでなく、えもいわれぬ配色に画家としても傑出していることが読み取れます。
さらに加えて、この闇夜の「漆黒」の素晴らしさです。吸い込まれるような黒は、縄文時代から現代まで続く日本人の美意識の根底にある色(ただ厳密には黒は色と云わないらしい)であり、日本の文化・芸術を論ずるうえで絶対外せない項目だからです。
具体例を云えば、遺伝的に縄文を受け継ぐと云われる沖縄の装束の「黒」やアイヌの服の「黒」デザイン、「黒」い漆工芸品、和服の「黒」、東北地方の「黒色」デザイン、そして現代の街中に溢れる「黒」い衣服、「黒」の広告デザイン、「黒」い建築物であり、縄文時代から現代まで日本人の「黒」に対する美意識が連綿と繋がっていることが分かります。
これらについても以前から私は街歩きスケッチのたびに関心を持ち、記事にしました(下記)。
また、「ベタ黒」を用いた絵画について西洋、東洋問わず鑑賞記事の中で紹介し意見を述べています。
このような観点から春信の「闇夜」の漆黒表現による海外にある作品を見れば見るほど、いずれも絵画的に極めて優れていると私は思わざるを得ません。我が国の専門家たちの言及が少ないのが不思議でなりません。
ただここで日本の専門家を一方的に責めるのは酷な事情もあることを考慮しなければなりません。
それは、彼らは職業として学術研究に従事しているので、実物を見なければ研究もできなければ、論文一つ書くこともできないのです。作品がすべて海外にあるので見る機会がないのです。
とはいえテクノロジーが発達した今、海外所蔵機関と交渉して高精細画像を入手すれば専門家としての目で検討できると思います。今後どうにかして専門家としての意見を発信してただけるとありがたいのですが・・。
さて、ここまで書いてきて、突然あることを思い出しました。
それは上で述べた春信の闇夜表現とは真逆に、日本絵画の夜の描写は伝統的に黒ではなく紙の「白」で表すのが常ではなかったかということです。
すなわち、余白部分、紙の白が夜なのです。空を黒く塗ることはしませんでした。もしあるとすれば、水墨画において月の周りの空をせいぜい外隈で描く程度です。
それは強い約束事なのか、平安の絵巻物以来連綿と続いてきました。ただこの指摘は私ではなくどなたかの本を読み知ったのですが、今のいままで忘れていました。
しかし江戸時代中期になって事情が変わったようです。水墨画で夜の空を全面的に塗りつぶすのは鈴木春信とほぼ同時代の与謝蕪村の《夜食楼台図》、《紙本墨画淡彩鳶鴉図》が思い浮かびます。
また夜ではないかもしれませんが、《富嶽列松図》も加えてもよいかもしれません。
しかし、いずれも漆黒ではなく、淡く塗られており、外隈の延長で塗ったとも考えられます(おそらく降る雪、雪山を際立たせるため)。
一方、鈴木春信は、大胆にも、夜空を本当に漆黒で塗りつぶしました。あくまで現時点では証拠はなく私の推測ですが、鈴木春信こそ、日本絵画史上初めて夜空を漆黒に塗った画家ではないかと思うのです。
もしそうならば、鈴木春信は、「錦絵」の創始者だけでなく、漆黒の夜空の創始者で、とんでもない革新的な表現者であり、日本美術史上外せない業績だと考えます(春信以降、夜空を全面塗りつぶした版画が一般的になります。ただし漆黒ではなく、空の上を一部黒くするか、全面暗く深い青色など青系の色にするなど。明治以降の清親、安治などは、きちんと調べていないのですが黒も暗く深い青も使っていると思います)
鳥文斎栄之から脱線しすぎたので、ここで止めることにします。今後別記事でこの問題を取り上げたいと思います。
鳥文斎栄之作品の感想
さてようやく、本題に入ります。まずいつものように、会場をこれはという作品に目星をつけながら足早に廻り、最後の部屋から逆順に目を付けた作品をよく鑑賞し、入り口にもどったら改めて正順に作品を鑑賞しました。
以下に会場セクションごとの感想まとめと作品例を示します。
上で述べたことは、本展覧会のチラシを見ればすべて含まれていることが分かります。図1を下に再掲載します。女性の優美さ、上品さ、紫の多用、部分「黒ベタ」の美しさにご注目ください。
「青」は、肉筆の《三福神吉原通い図巻》の着物の「青」のみ(図3)。
上記記載の版画のうち、入手できた画像を下に示します。
《御殿山花見》:大英博物館の替わりにボストン美術館の作品を示します。
《潮干狩り》:たばこと塩の博物館の替わりにボストン美術館の作品を示します。
《品川の酒宴》
《吉野丸の舟遊び》
《新大橋橋下の涼み船》
《隅田川の舟遊び》
《貴婦人の舟遊び》
《川一丸船遊び》
上記記載の版画のうち、入手できた画像を下に示します。
《若菜初衣装 松葉屋 染之介 わかさ わかば》
《若菜初模様 丁子屋 いそ山 きちじ たきじ》
《畧六花撰 喜撰法師》
上記記載の版画のうち、入手できた画像を下に示します。
《風流七小町 あふむ》
《風流やつし源氏 朝顔》
《風流やつし源氏 松風》
《伊勢物語》
《六歌仙「小野小町」》
上記記載の版画のうち、入手できた画像を下に示します。
《上野三橋》:平木浮世絵財団所蔵作品ではなく大英博物館所蔵作品
以上、私が気になった作品の感想を画像を交えて紹介しました。しかし、残念に思うのは、画像では実物を見た時の感じがほとんど伝わらないことです。特に、大判続きもののスケール感、紅ぎらいの作品の魅力、そして紙の質感、絵具の質感もあわせた、視覚からだけでは得られない実物の持つ力はまったく再現できません。是非機会があれば鳥文斎栄之の実物作品をご覧ください。
なお、日本美術に目を向けて以来、千葉市美術館の企画展には何度も足を運んでいます(田中一村、新版画・・)。今回も独自の視点での鳥文斎栄之展(併設の「武士と絵画」展も含め)で、未知の画家の作品を味わうことが出来ました。
千葉市美術館の日本美術のユニークな企画は私にとって大変ありがたく、最後に感謝を伝えてこの記事を終えることにします。
(おしまい)
前回の記事は下記をご覧ください。