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<私のスケッチポイント/作品紹介あれこれ>府中・高安寺山門と枝垂れ桜、府中・Jタワーとこぶしの花
私が訪れた東京都区外の近郊都市、府中のスケッチポイントを下に示します。
![](https://assets.st-note.com/img/1718235042110-oM1gDu3Vhw.jpg?width=1200)
府中・高安寺山門と枝垂れ桜、府中・Jタワーとこぶしの花
(1)府中・高安寺山門と枝垂れ桜
![](https://assets.st-note.com/img/1718235280606-Hb6oeHgEP6.jpg?width=1200)
スケッチブック B5 ペンとマーカー
府中のスケッチシリーズで最初に紹介した旧甲州街道沿いの「蔵カフェ」から旧甲州街道をさらに西に300mほど進むと「高安寺」の入り口に出ます。
境内は、旧甲州街道と府中崖線との間にまたがっており、山門も含めて江戸時代の建物の中を静かな散策を楽しむことが出来ます。
沿革によれば、平安時代藤原秀郷が自らの居館を市川山見性寺というお寺にした後、武蔵国府が荒廃後重要拠点となり、新田義貞が分倍河原の合戦で勝利した際、本陣を構えたとのこと。
その後荒廃し、足利尊氏によって、「高安寺」として再興されたとのこと。ちなみに寺名の中の「高」という字は、尊氏の旧名、「高氏」によるものです。 そして室町幕府の保護により隆盛をきわめ、室町幕府滅亡後も、盛衰を繰り返しながら軍事的重要拠点であり続けたとのことです。
少し長々と説明したのは、東京に住むと、どうしても江戸の史跡と歴史が中心で、残りに少し鎌倉が話題に上る程度で、その他の時代の史跡や歴史が話題になることがほとんどありません。
これは、ある意味では異常なことで、始めて「高安寺」を訪れその沿革を知った時は、なぜかほっとしました。
このスケッチは、山門の横に大きな枝垂れ桜が咲いていたのを、山門とともに描いたものです。
(2)府中・Jタワーとこぶしの花
![](https://assets.st-note.com/img/1718238547286-7c1k8p3n2F.jpg?width=1200)
スケッチブック B5 ペンとマーカー
前回紹介した「寿中央公園」を西に300mほど行くと、「府中インテリジェントパーク」という名前の、オフィスビルやKDDI、日本銀行、あおぞら銀行など大手企業のビルや島忠、K’s電気などの大型店舗が立ち並ぶ再開発地区に出ます。
町名を「日鋼町」といい、以前は日本製鋼所東京製作所の工場でした。戦前は、武蔵野製作所として、中型戦車、そして中型高射 砲を製造していた軍需工場でした。
街歩きスケッチすることで、北は福生、西は立川、そして府中から調布にかけて、旧帝国陸軍の軍需工場が点在し、広大な飛行場が広がることを知るのです。
地方出身の私にとって、「武蔵野」は、国木田独歩の小説から受けるイメージしかなかったのですが、実際に身近に住むことで、単なる地理や地学、植生など自然科学的側面ではなく、地政学的な観点でも興味深く感じるようになったのです。
もともと江戸時代以前の武蔵野台地は、ほとんど人が住めない土地でした。それが、徳川家康以降の治水事業により不毛の荒野が変貌していきます。そして近現代のダイナミックに変貌してきた武蔵野台地の歴史を念頭にスケッチすると、その興味はますます強まります。
このスケッチでは、大型の賃貸オフィスビル、J-タワー(今はヒューリック府中タワーというらしい)を背景に、早春のこぶしの花を描きました。
(おしまい)
前回の記事は下記をご覧ください。