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<私のスケッチポイント/作品紹介あれこれ>(旧)京大農場の夕暮れ、(旧)京大農場・建物群(蛇腹スケッチ・部分)

高槻市のスケッチポイント

 下に、私が訪れた高槻市のスケッチポイントを示します。

高槻市のスケッチポイント

(旧)京大農場の夕暮れ、(旧)京大農場・建物群(蛇腹スケッチ・部分)

(1)(旧)京大農場の夕暮れ

(旧)京大農場の夕暮れ(2018)
ワットマン F10  ペンと透明水彩

 旧京大農場は、現在高槻市の防災公園、「安満遺跡公園」となっています。阪急京都線沿いに位置し、阪急高槻市駅からも近い場所にあります。

 戦前はおそらくのどかな田園地帯の中にあり、研究農場として機能していたのでしょうが、戦後高槻市駅は大阪・梅田駅から特急で20分と通勤にはベストな位置となり、ベットタウンとしてどんどん都市化していきました。
 ですからこの場所は、おそらく不動産開発業者からはのどから手が出るほど欲しい土地でしょう。しかしこの広大な農場を市が購入し、防災公園として活用したのは良かったと思います。

 さて「安満遺跡公園」という名前が表すように、もともと京大農場があった場所は、弥生時代の大規模環濠集落跡で、近畿地方では一番早い時期のもので800年間続いたようです。
 居住域だけでなく、生産域、墓域がそろった大規模遺跡ということで、国の史跡に指定されています。

 遺跡の北側は、JR東海道線を挟んで小高い丘(山?)がせり出し、弥生時代後期、卑弥呼の時代、紀元3世紀の「安満宮山古墳」があり、卑弥呼が魏の皇帝から送られた100枚の銅鏡の一部と思われる銅鏡5枚や多くのガラス玉、鉄刀、鉄斧が見つかっています。
 弥生時代が終わっても、この地域は連綿と歴史が続いていくことになります。

 さてこの絵はF10号と比較的大きな水彩紙です。日が高いときに線描をはじめ、終わった時は夕方になっていました。
 丁度太陽が沈む頃、西の空が赤く染まってきたのと、灰色の雲が左から右へゆっくりと流れて行ったのが印象的で、彩色は夕暮れ時にしました。

 なお描いた当時は防災公園になるとは知らなかったのですが、手前の荒れた草原のようになっている、手入れのされていない畑は、今思えば、すでに市に購入された後だったのかもしれません。

(2)(旧)京大農場・建物群(蛇腹スケッチ・部分)

(旧)京大農場・建物群(蛇腹スケッチ・部分)
蛇腹スケッチの一部 ペンとインク

 (旧)京大農場には、本館を含む何棟もの戦前の建物があり、この絵は、メインの本館を正面から描いています。現在「安満遺跡公園」となっても、これらの建物は残されており、改装されてカフェや展示室などに活かされています。ただし「環濠集落遺跡」をきちんと示したいためか、ここに描いた樹木や、建物前の、戦前の日本の建物正面に特徴的な蘇鉄や庭木はすべて取り払われてしまいました。

 以前は、阪急京都線から銀杏並木が続き、秋には紅葉を楽しみながらこの建物にたどり着いた光景が焼き付いているだけに、その銀杏並木がないのを見ると寂しさを感じます。

(おしまい)

 前回の記事は下記をご覧ください。


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