<ゴッホの手紙 上中下、硲 伊之助訳、岩波文庫> 素描にびっくり、 ゴッホの油彩は線描(素描)そのものだ! 点描延長説への疑問と私見 崩れたゴッホ像(その2)
はじめに
前回の記事では、私が考えた以下の三つの「ゴッホの謎」を紹介し、その背景を紹介しました。
油彩のタッチは、本当に点描の延長なのか?
なぜ2年半の間にこれほど多くの油彩作品を描くことができたのか?
パリ時代以前の鉛筆、木炭による素描から、なぜペンによる素描になったのか? なぜ陰影を描かなくなったのか? 油彩画と関係があるのか?
この記事では、三巻読了して得た謎に対する解答(結論)とその理由について述べます。
三つの謎の解答
解答を以下の画像にまとめます。
解答は全て断定文の形で書きましたので、おそらく読者としては「そんなに言い切って大丈夫か?」と疑いの気持ちが起こると思います。
それでは「ゴッホの手紙」上中下のゴッホの言葉も引用しながら、断定にいたった理由を説明していきます。
謎1)の解答に至った理由
記事(その1)で「油彩のタッチは、点描派に傾倒したゴッホが、点描のかわりに少し長めの点描にして描いた」というゴッホの専門家の説を紹介しました。
その意見とは違う理由を述べたいと思います。まずゴッホの素描と油彩を対比した図を見ていただきましょう。
以上は、「ゴッホの手紙」の中で掲載された素描に対応する油彩を探し、それぞれ対比して一つの図に示したものです。できるだけ素描の線と油彩の筆のタッチがわかりやすく比較できるものを選びました。
なお、例示した絵の数が多くなり申し訳ありません。ゴッホのモチーフは驚くほど広く、モチーフ毎に載せたため多くなりました。
さて、これら一連の対比の図を見ていただければ一目瞭然、以下の点がお分かりになると思います。
素描の構図はほぼ寸分たがわず油彩に引き継がれている。
油彩の筆の運びは一見点描を細長くした無数の短い色の線で塗られているように見えるが、筆の運びの長さは同じではない。むしろ素描の中で描かれた線の長さと、対応する場所の油彩の運筆の長さと一致している(草を描いた素描の長めの線に対応する場所は長く、短い素描の線で描かれた場所は短く描かれている。また長さだけでなく草の線の曲がり方までも一致している)。
注意したいのは素描と油彩を描いた順です。ここに例示した素描と油彩は、素描を描いてから油彩を描いたとわかる場合ですが、ゴッホの場合、素描と油彩をどちらも等格に扱い、区別していないようなのです。
素描を描いてから油彩を描くだけでなく、素描と油彩(習作含む)を同時並行的に集中して描いてもいます。通常とは逆に、油彩の習作を何枚も描き、それをもとに本格的な素描を描くことを頻繁に行っています。ですからゴッホは両者を同格と考えていることが伺えます。
同時並行的に集中して描いていることは、次のエミール・ベルナール宛の手紙から分かります。
おそらく次に示す5枚を一気に描いたものと思われます。
さらに、エミール・ベルナール宛の手紙の中で、次のような油彩の描き方の言葉を残しています。
<素描の精神で写生する。輪郭線で生まれた空間を単純化した調子で塗る>、まさにこれは北斎や広重が浮世絵版画の作品を制作する工程に他ならないではありませんか。 あきらかにアルルに来てから、日本人画家と同じように油彩の描法も変えようとしたことを示しています(この言葉は、謎3)の解答にも繋がります)。
以上から、ゴッホの油彩の描き方は、色彩を除けば、素描と同じ気持ちで描いたと云えます。ただし、絵の具は点描と同じように独立に塗られるので、NHKの日曜美術館の番組のゴッホの専門家の意見とは異なりますが、結果的に色彩分割は達成されます。
謎2)の解答に至った理由
冒頭の図で示した解答を要約すると、まずゴッホが仕事人間であること、可能な限り仕事(作品制作)を早く仕上げることを心がけたことが挙げられます。次に技法的には、謎1)の解答で述べた油彩の描き方と重なりますが、一度描こうと決めた構図はほとんど変えずに、事前に色彩設計を行っていること、油彩筆の動かし方はペン画を描くように動かしたことが理由になります。
それでは、手紙の中のゴッホの文章でそれを見ていきます。
以上のゴッホの言葉には、早く「仕事」をすることについての思い、心構え、心意気などが述べられています。
余談ですが、今回「ゴッホの手紙」全巻を読んで何とも形容しがたい感情に襲われるのは、彼が絵の制作を必ず「仕事」と毎回のように書いていることです。とにかく働き者なのです。三日三晩徹夜したという日もあります。前回の記事(その1)でアルル時代から亡くなるまでの作品制作数を月ごとに示しましたので、それは明らかでしょう。
彼の全人生を知っている後年の人間にとって、亡くなる前に1作品しか売れなかった状態で、どうして疑いもなく「仕事」といえるのか、どのような気持ちでいたのか、推し量りたくなりますが、手紙の文を読む限り亡くなるまで強靭な精神を持ち働き続けたと推測できます。
話がそれました。次にゴッホが絵具を塗る前には、色彩設計をきちんとしていたということについて示します。
色彩設計の手順としては、「ズアーヴ兵」の作品で示したように、まず素描や油彩の習作を同時並行的に作成します。その過程で絵の構図と、各部分で使用する色を油彩習作で決定してから、本格油彩に取り掛かるという流れだと考えると自然です。
ですから、本格油彩を描く前にはほとんど準備が完了しており、油彩も素描のペンを描くように絵筆を動かすので絵具を筆に付けたら素早く塗ることができるというわけです。
今回「ゴッホの手紙」全巻読んで、これまで持っていた私の固定観念が崩されました。
日本でのゴッホ像は、映画の題名が「炎の人」になったように、「感情にまかせて絵筆を動かし、カンバスに絵の具を厚く塗りまくる」というのが一般的なイメージだと思いますが、それは一面しか伝えていません。
手紙の中では絵具の選択について実に緻密で丁寧な説明をしており、「炎の人」どころか冷静な色彩の科学者、技術者かのようです。
印象派、点描派の画家との議論で培われた知識や、独自に考えた色彩に関する理論を蓄えてきたことを考えれば、当然のことかもしれません。
具体的には、同じ画家仲間の友人、エミール・ベルナールやゴーガン宛の手紙の中に現在制作中の油彩の全体見取り図を示し、その図の中の各部に色の名前を記載して意図を伝えようとしています。もちろん、手紙本文の中にはより詳しい説明がなされています。
ここでは、いくつかその例を図とゴッホの言葉を引用して例示します。
まず作成中の「跳ね橋」の例です。
見取り図の中の各部分に色の名前が書かれているのがお分かりになるでしょう。
次は「花咲く果樹園」の例です。同じく上巻のベルナール宛の手紙です。
手紙の中の見取り図を下に示します。
参考までに出来上がった油彩を示します。
以上は、ベルナール宛の手紙からの制作中の作品見取り図と彩色計画の説明の例ですが、制作途中ではなく制作し終わった油彩の詳しい色の説明がゴーガン宛の手紙の中にありましたので最後に紹介します。
下に、見取図、素描、油彩作品を示します。
左下の油彩は後年描きなおしたもので、手紙を書いた時の作品は右下の作品です。
以上紹介したベルナールおよびゴーガン宛の説明文をみると、ゴッホが直感にまかせて絵の具を塗っているのではなく、色を細かいところまでよく考えて塗っていることが分かります。
これまで述べた事例から、謎2)についての解答:ゴッホの仕事に対する姿勢ならびに絵画技法的な理由の妥当性を感じていただけたのではないでしょうか。
さて、謎3)の解答の説明ですが、本記事が長文になってしまったので、記事(その2)は一旦これで終了し、続きは(その3)の記事で書くことにいたします。
(続く)