「ロートレック展」SOMPO美術館:素描の量に驚き、”背中大好き(?)作家”だと気づく
長文になります。
はじめに
現在『「線スケッチ」の立場で美術展を鑑賞して見た』シリーズ記事は、「村上隆もののけ京都展」の記事を連載続行中です。ところが予想に反して簡単に終わりそうになく、今月初旬に訪れたSOMPO美術館開催の「ロートレック展」の鑑賞記事の投稿が遅れそうなので、先に記事を書くことにしました。
「線スケッチ」の立場からは、ロートレックおよびミュシャの作品、特に前者の素描は大変参考になります。
実際2011年に三菱一号館美術館で開催された「トゥールーズ・ロートレック」展を訪れ、大いに参考になりました。
三菱一号館美術館所蔵のロートレック作品は250点に及び、元モーリス・ジョワイアンコレクションを購入したものです。実は今回のSOMPO美術館の「ロートレック展」の主要作品は三菱一号館所蔵の作品とほとんど重なっており、当初は訪問することを躊躇していました。しかし、実物を見るにしくはなしと思い直し訪問することにしたのです。
素描の数に驚き、対象と描写方法に傾向があることに気が付いた
冒頭にのべたように、2011年の三菱一号館美術館の「トゥールーズ・ロートレック」展の主要作品とほとんど重なっていたのですが、それはリトグラフやポスターなどです。今回のSOMPO美術館の展示作品の出どころ、フィロス・コレクションの最大の特徴である素描作品は重なっておらず私にとっては予想外の収穫でした。
会場は5階、4階、3階に分かれていますが、素描作品は5階に集中して展示されています。大きさは手帳サイズからノート大で、その数は約50点弱、制作年代も1876年代から晩年まで生涯にわたっています。
ここで出品リストから、ロートレックが描いた素描の対象、テーマを分類してリストアップします:
実は、図録を購入しなかったので、作品名がわかってもそれがどの画像に対応するのか思い出せません。
そこでwikimedia commonsのパブリックドメインのロートレック素描画像から、上に示した対象とテーマに対応するものを選び、今回の出品作品の画像のかわりとして感想を述べたいと思います。
(なお、wikimedia commonsには、フィロス・コレクションの画像は載っていないようなので、下記の画像はあくまで参考画像としてお考えください)
(1)人物
ロートレックは、生涯に5000件もの素描を残していますが、描いた対象は大部分が人物像(顔、全身像、群像)で占められ、次に馬(単独、騎馬、馬車、競馬場)が来ます。そして意外なことに数多くの動物(中でも犬と鳥類)を描いています。
それは動物を除けば、私たちが教科書で目にする代表的な油彩、リトグラフ、ポスターの作品から受ける描く対象、テーマの印象通りです。
図1に人物の顔、図2に人物の全身像(複数人も含む)の素描を示します。
初期は陰影を描く鉛筆デッサンもありますが、その後は鉛筆あるいはペンの素早い線描だけの素描になります。
描いた人物の素描の量から分かるように、ほぼ毎日のように人物スケッチをしているようです。
私自身も手帳を持ち歩いて日々人物スケッチを心がけていますが、最近途絶えがちです。今回のロートレックの膨大な素描を見て、改めて初心に帰らなければと思いました。
図2の人物の全身像(複数の人物を含む)で気が付いたことがあります。
それは、人物を描く時に、正面向き、あるいは斜め正面向きは少なく、背を見せた、後ろ向きあるいは斜め後ろ向きが多い気がするのです。
(2)馬と人馬、馬車
ロートレックは、生涯にわたって人物だけでなく馬を描いたことでも知られています(図3,4,5)。
馬の様々な姿や人物との関係を描き出しています。その線描の様子から、あきらかに自分の眼で見て現場で描いたスケッチであることが分かります。
(フリー画像が得られないのでここで示すことが出来ませんが、最晩年、精神を病んだ時に監禁された病院では、記憶だけでサーカスの人馬を描きました。後に画集「サーカス」として出版されましたが、その線描には凄みさえ感じます。ロートレックの観察力と記憶力に脱帽です。)
さて、図3、図4、図5を見てお分かりのように、人物の全身像の時と同じように、馬がこちらに顔を向けて進んでいる、すなわち正面を向いた絵は少なく、こちらにお尻を向けた、後ろ向きの絵の割合が多いのです。当然ですが、その馬に騎乗している人も背中を見せた後ろ向きになります。
あくまで私個人の感想ですが、馬が後ろ向きの場合、反射光でつややかに光る立派な太い後ろ足の腿の部分が特に強調されていて魅力を感じます。ロートレックもその部分を意識して描写したのではないでしょうか。
実際、今回出品されたロートレックの代表作の一つ《ドイツのバビロン》では、4頭の馬全て後ろ向きの描写で、当然ながら乗馬している4人も後ろ向きです(図6に無彩色版と彩色版のリトグラフを示します)。
また下記、図7に示した《騎手》はやはり代表作で、今回出展作品の中でも私が気に入った絵ですが、ものの見事に人馬共に後ろ向きの描写であることにご注意ください。手前の馬のつややかに光る後ろ脚の太ももが強く目に飛び込んできます。
(3)動物(馬を除く)
2011年の三菱一号館美術館の「トゥールーズ・ロートレック」展では、ルナールの博物誌の挿絵をロートレックを描いていることに驚いた記憶がありますが、スケッチは展示されていませんでした。
今回は、下記、図8に示すような素描が展示されていて、人物や馬の他にも、犬、鳥、他の動物を熱心にスケッチしていることが確認できました。
図9および図10に「博物誌」の挿絵を示します。通常の挿絵と違い、図8に示す現場描きした素描をそのまま挿絵として採用しているように思われます。どのような経緯で博物誌の挿絵を描くことになったのか興味が湧きます。
リトグラフ、油彩に描かれた人物の向きを調べてみた:正面向き? 斜め前向き? 真横向き? 斜め後ろ向き? 背面向き?
以上、ロートレックの素描について見てきました。当初、この記事は素描の紹介で終える予定でした。
ところが、前章で述べた様に、人物および馬の素描共に、後ろ向きの描写が多いことに気付いたのです。ですから、素描だけでなくリトグラフや油彩に描かれた人物や馬がどの向きで描かれているか気になったので、調べることにしました。
図版が多いので先に結論を述べます。
本展覧会では、油彩はまったく出品されていせんでしたが、ここではリトグラフだけでなく油彩も加えました。結果を以下にまとめます。(人物の向きだけに焦点を当てたので個々の絵の題名は省略いたします。またすべてパブリック・ドメイン画像です。画像入手ソースのみキャプションに示しました。)
データとして示すにはある程度数が必要なので、ご迷惑とは思いますが、絵画として鑑賞するよりも、人物の向きにご注目ください。
(1)肖像画(人物単独、正面向き)
(2)肖像画(人物単独、斜め前向き)
(3)人物画(人物単独 真横向き)
以上、単独の人物を正面あるいは斜め前向きに描いた油彩、リトグラフの例を示しました。
いずれも、西洋絵画の肖像画で見慣れた人物の向きです。王侯貴族や聖職者の肖像では描かれることのない、下を向く若い女性(図11-1)や踊りや芝居のポーズ(図11-1, 11-2,)、テーブルに肩肘をつく姿勢やゴッホの横顔(図12)などは、依頼を受けて描いた肖像画というよりも画家が描きたい姿で描く近代絵画の表現でしょう。
(4)人物画(複数人 正面、横、斜め前の組み合わせ)
図12-1、12-2の複数人を描く場合では、もはや単独の時の肖像画の要素は消え、ある瞬間を切り取ったように見えます。しかも、素描をもとに描いたかもしれませんが、人物の向き、配置に作者の意図を感じるのです。
例えば、図12-1の上段左の油彩作品《ムーラン・ルージュに入るラ・グーリュ》は、ロートレックを一躍有名にした伝説のポスター《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》の中に描かれた看板ダンサー、ラ・グーリュが二人の女性に付き添われてムーラン・ルージュに入ってくる姿ですが、スターの内面をあぶり出すように辛辣に描写された顔を正面を向けているのに対し、両脇の付き添いの二人の女性は完全に横向きです。また奥に見える男性も、付き添い女性と同じ向きに横を向いているのはおそらく偶然ではないでしょう。視線をラ・グーリュから意識的にそらしているように見えます。両サイドの女性の身体は半分に切り取られており、あきらかに日本の浮世絵rの構図の影響です。
さて、それでは素描で感じた後ろ向きの人物画(油彩、リトグラフ)はどのようなものがあるでしょうか、例を次に示します。
(5)人物画(単独 真後ろ、斜め後ろ向き)
いかがでしょうか。一部を除いて、どの人物も顔は見えていません。ですから表情は分からないのですが、その代わりに背中の描写が観る者に何かを語りかけているように思えるのですが・・・。
(6)人物画(複数人 斜め後ろ向きに正面、横向き、斜め前と組み合わせたもの)
以上、複数人の人物画で後ろ向きの人物を中心に、横向き、斜め後ろ向きの人物と組み合わせた例を示しましたが、後ろ向きの人物の背中の表情だけでなく、各人物間の相互の位置、視線の向きにより、あるドラマティックな一瞬が切り取られたように思えるのです。後ろ向きの人物の背中が、その効果をより高めているのではないでしょうか?
そのような効果をロートレックは大人数が存在する部屋の様子の描写で強く打ち出しているように思います(次節)。
(7)人物画(一部屋に大人数が居る場合 グループ分け)
あきらかにここでも画家は、人物の向きをグループ分けして効果的に配置しています。上段の絵では、ソファーに背を見せて座る女性の向こうに、こちらを見つめる二人の女性、左奥に右向きの二人の女性、右端に半分切断された背を見せる後ろを向いた女性です。
下段の絵では、中心の背を見せる踊る女性と右向きの踊る男性、手前の至近距離に横を向いた3人の女性(左の女性は、半分身が切断されている)、そして右奥には後ろを向いた男性群、踊る女性の周囲には彼女を見つめる斜め前を向いた男性群、踊る男性の後ろには右を向く男性と女性一人づつ、さらに奥にはテーブル席についたお客とウェイターの姿が見えます。
画家はこれらの一群の人々をグループ分けして効果的に配置するだけでなく、手前の女性の赤い服、踊り子の真っ赤なタイツ、左奥の真っ赤なジャケットを着た右向きの女性に視線を誘導し、奥の窓から入る光が、踊る二人の床を赤の補色の青緑で照らし、さらに踊り子の影が手前の床に映るという、構図だけでなく配色迄大変手の込んだ絵づくりが見て取れます。
以上は、次の4枚の絵でも同じことが当てはまります(図15-2)。
図15-1で見たように、正面向き、横向き、斜め前向き、後ろ向きの人物をグループ分けして、部屋の中で配置していることは勿論ですが、この4枚の絵では、大きく背をこちらに向けた、すなわち後ろ向きの女性が鍵となっているのが、図15-1の絵と異なります。
図15-2、上段右の有名な《ムーラン・ルージュにて》は右端の下から光で照らされた女性が目立ちますが、もともとの絵は、テーブル席の人物群と奥の4人の人物だけだったようです(このうち一人はロートレック自身、両腕を挙げて後ろを向き、背を見せている女性はラ・グーリュです)。
この場合、テーブルの背を向けた女性とラ・グーリュの後ろ向きの二人が、顔が見えない分想像をかきたてます。そして、あとから加えた下から光を照らされた顔の女性が加わることにより、この絵は謎めいて、他の3枚の絵とは異なる雰囲気を醸し出しています。
はたしてロートレックは”背中大好き(後ろ向き大好き)人間だったのか? 「線スケッチ」の立場で考える。
さてSOMPO美術館のロートレック展で、多量の素描を見て、その人物及び馬の描写が後ろ向きの姿が多いと感じたところから、ロートレックの油彩やリトグラフの作句品の傾向を調べてみました。
前節の冒頭に記した、結果のまとめを再掲載します。
確かに、事実として、後ろ向きの人物を多く描いていることは間違いないと思います。
ですから、記事のタイトルに書きましたように、この記事は最終的に、ロートレックは”背中大好き人間”だったという結論で終りたかったのです。
自分自身の「街歩きスケッチ」作品の人物を見直してみる
しかし、冷静に考えてみると、数が多いことと、好きであることとは関係がないのではと思い直しました。
具体的に、街歩きスケッチで人物を多く描いている私自身を振り返ってみてみましょう。なんと! 私自身は後ろ向き人間が好きだと思ったことがないのに、数多くの後ろ向きや斜め後ろ向きの人物を描いていたのです。
一つ例を示しましょう。それは、昨年の夏、原宿の竹下通りの人通りをスケッチしたものです(図16)。
このスケッチでは、こちらを向く人物と後ろを向く人物の比率はほぼ半々です。結論を言えば、竹下通りを前後に行きかう人の割合が半々なので、それが反映されているにすぎないのです。
すなわち、ロートレックの場合に当てはめてみれば、人々が部屋の中で向く方向の割合は確率で決まっていると考えるのです。するとそれぞれの比率の説明がついてしまいます。
一方、馬の素描、リトグラフではほとんどが後ろ向きでした。これをどう説明するのかと問われれば、もう一つの理由が考えられます。
それは、現場描きの場合、正面を向いてこちらに動いてくる馬は描いているうちに視界から消え去ってしまいます。一方、後ろ向きだとはるか彼方に行くまで視界には残っているので、描き続けることが出来るのです。これが、馬を後ろ向きに描く理由の一つではないかと「街歩きスケッチ」の経験から思います。
「西洋絵画史」的に考えてみてはどうか?
以上、あまりにも身も蓋もない結論にしてしまいました。一方、私自身は人物描写の際の向きの問題は「西洋絵画史」の見方で考えてもよいのではないかと思います。
実は、「踊り子」「娼婦」「馬」を描いた画家と云えば、思い浮かぶ画家がいませんんか。そうです、エドガー・ドガです。
実際、ロートレックはドガを敬愛していたことが知られています。さっそく、ドガの絵を調べたところ、人物の向きの傾向、構図はロートレックとまったく同じなのです。
むしろロートレックがドガを”パクった”という表現をしてもおかしくない程です。これでは、ドガに対しても、なぜ後ろ向きの人間を描くのかという同じ問いが残ります。
そこで、ざっと印象派、ポスト印象派の画家達の作品を調べると、確かに後ろ向きの人間を描いています。とはいえドガやロートレックほどではないように見えます。むしろ、遡ってエドゥアール・マネに行きつきます。マネこそは、近代都市パリの日常を描いた先駆者であり、群衆を描く時には自然に後ろ向きの人物が描かれます。
一方、手持ちの画集を見ると、はるかに歴史を遡ってブリューゲルが描く群衆、人々も後ろ向き人間だらけです。そして寡作のフェルメールの描く人物も背を向けた人物が多いのです。極めつけは、終生手放さなかったという《絵画芸術》です。ここでは自画像とされる絵の中の画家が完全に真後ろに向いて描かれています。面白いことに、ロートレックの自画像は極端に少ないのですが、画中画で描かれる自画像は知る限り、真後ろが2件、後ろ姿のスケッチが一件、横向きが2件で、正面向きは16歳の時に描いた1件しかありません。多量に正面向きの自画像を描き続けたレンブラントとは対照的です。そのレンブラントは、宗教画以外は、後ろ向きの人物画はありません(《夜景》も依頼を受けた肖像画なので全員前を向いています)。このあたりは、画家の性質、心情などで理解できることなのでしょうか?
このように絵画史的にはいろいろ確認すべきことが多く、この記事ではここまでにいたします。
西洋絵画における人物画の人物の向きの描写の意味に関しては、基本中の基本の問題と思いますので、分からないのは私が無知なだけだと思います。専門家の意見が必ずあるはずなので、確認作業を続けたいと思います。
さいごに
SOMPO美術館の「ロートレック展」の内容に戻ります。
3階の会場で、図17に示す、右の画像の白黒版に足を止めました。そして解説文に興味を持ちました。
解説によれば、1895年にボルドーに向かうために乗った船の上でロートレックは一人の美しい女性に一目ぼれして、目的地ボルドーに到着しても降りないで、彼女の目的地ダカールまでついていくことを決心して乗り続けたのです。
その間、名前も知らず、口も利かずスケッチを続けたというのです。結局友人に説得されてリスボンで降り、パリに戻ったそうです。そしてスケッチをもとにリトグラフを作成し、最終的には「サロン・デ・サン」の展覧会のポスターに使われました。
ロートレックは、名門貴族の長男に生まれ、少年の時の両脚の骨折で成長が止まり150㎝程度の身長になってしまったことはよく知られています。パリで画家になってからは、シュザンヌ・ヴァラドン(後のユトリロの母)との恋と同棲や娼館への出入りなど、当時の社会の底辺の女性達との恋愛関係は聞いていましたが、このような中、上層階級の女性に対して恋心をいだいたことは知りませんでした。
激しい恋心を抱きながらもなぜ口をきこうとしなかったのでしょうか?
図17の左のスケッチは、背後から描かれていることに注目したいと思います。画家という観察者として気づかれずにふるまうには背後からの方がやりやすいはずです。現在ならばさしずめストーカーとして告発されそうですが、ロートレックが、モンマルトルのカフェや劇場、娼館などで背後から人々の後ろ姿を描写したのは、このように人々の中で、空気のような存在になりたかったからかもしれません。
なお、スケッチの首周りの描線と、右腕の服のふくらみを含む描線(服の中の身体の線も思い浮かべられる)と、右のリトグラフを比較して見てください。私には圧倒的に左のスケッチがよいと思います。また、顔、とくに顎周りがリトグラフでは修正されていますが、顔の表情もスケッチが上回っています。
何が違うと問われると困るのですが、線描からロートレックが描いている様子、その臨場感、そしてひたすら紙に女性を定着しようとするロートレックのつらい心情までも伝わってくるからです(最近読んだこの作品の解説文によれば、女性はある男性との結婚が決まっていて、そのためにダッカに向かう船上だったとのことです。画家は実はそのことを知っていたのかもしれません)。
(おしまい)
前回の記事は、下記をご覧ください。
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