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兄と、福岡伸一さん


こんばんは。

今回は、原田病の記録ではありません。2歳上の兄と、私の好きな著者・福岡伸一さんの話です。



病気を発症して1ヶ月たったころ。前を向く気力が起きず、日々呆然と過ごしていた私に、立ち上がるきっかけをくれたのは兄だった。本人に自覚はないと思う。

兄と私は、特別仲が良いわけでも、悪いわけでもなかった。小さい頃はよく一緒に遊んだし、喧嘩もした。兄が小学校高学年になるまでは、一緒にお風呂に入っていて、湯船につかりながら、いろいろな話をするのがすごく楽しかったのを覚えている。

ただ、思春期以降は用事がない限り話さなくなった。仲が悪くなったわけではない。お互い干渉しない性格だったし、部活や学校、アルバイトで家にいない時間が圧倒的に増えたからだ。家にいても、お互い部屋に籠っていることが多かったように思う。

私も彼も大学卒業と同時に実家を出て、1人暮らしを始めた。兄は月1回程度帰省していたようだったけど、私は滅多に帰らなかった。実家が嫌いなわけではない。1人暮らしが肌に合っていて楽しかったし、帰省が面倒だっただけだ。薄情なのかもしれない。


それでも、病気になり、急遽入院することになった時は、実家近くの病院に入ることにした。都合が良いといわれても仕方ない。でも、当時職場でいろいろな問題があり、可能な限り仕事と距離を置きたかった。ゆっくり休みたかった。ありがたいことに、家族はすごく心配してくれたし、「帰っておいで」といってくれた。


2週間の入院と、1ヶ月半の療養。退院後、職場に復帰するまでの療養期間は実家で過ごした。兄は毎月帰省していたから、私は実家で療養中彼に2回あった。そんなに高頻度(?)で会うのは、すごく久しぶりだった。


「おう、大丈夫?」


だったかな。正直忘れたけど、1年近く会っていなかった彼が、ステロイドの副作用で顔がパンパンにむくんでいる私を見ていったのは、一言か二言だった。私も、軽く言葉を返しただけだったと思う。

彼が実家で過ごしている数日間、大して言葉は交わさなかった。私にとっては、彼があれこれ聞いてきたり、いったりしてこないのはすごくありがった。

当時は「大丈夫?」「どんな病気なの?」「いつになったら治るの?」「何が辛いの?」「いつになったら仕事復帰できるの?」「やっぱり無理しすぎたんじゃないの?」等々周囲の心配に対して、ありがたさよりも鬱陶しさが上回っていたから。兄があえてそうしてくれていたのかは、分からない。


あっという間に彼は自分の住むアパートに帰っていった。ところが、リビングのテーブルに、本を忘れていったようだった。


「新版 動的平衡 2」 福岡伸一


タイトルを見ても、全く何の話か分からなかった。動的平衡? 母と「何の本だろう。〇〇(兄の名前)ってやっぱり変わっているね」なんて話していた。


それでも、とにかく時間があり日々悶々と過ごしていた私は、本を手にとり、パラパラとページをめくってみた。読み流すつもりだったが、気が付くとすっかり夢中になっていた。


詳細な内容はここでは差し控えるが、同書は「生命とは何か」という問いを、分子生物学者の福岡伸一さんが様々な角度から考察しているものだ。以下は同書の「まえがきにかえて」からの抜粋。

生命とは何か、生命をモノとして見ればミクロな部品の集合体にすぎない。しかし、生命を現象として捉えると、それは動的な平衡となる。絶え間なく動き、それでいてバランスを保つもの。動的とは、単に移動のことだけではない。合成と分解、そして内部と外部とのあいだの物質、エネルギー、情報のやりとり。

生物学に関する本を読むのは、受験のために生物の教科書を読み込んだ高校時代以来だったから、普段触れぬ領域の知識を得られておもしろかった。再び以下、文中より抜粋。

この世界のあらゆる要素は、互いに連関し、すベてが一対多の関係で繋がり合っている。世界を構成するすべての因子は、互いに他を律し、あるいは相補している。そのやりとりは、ある瞬間だけを捉えてみると、供し手と受け手があるように見える。しかし、次の瞬間に目を移すことができれば、原因と結果は逆転しているだろう。あるいは、また別の平衡を求めて動いている。つまり、この世界には本当に意味で因果関係と呼ぶべきものは存在しない。世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。

「動的平衡」という概念が、自分の中にストンと落ちたのも大きかったように思う。発症原因が分からぬ病気になった自分を「生命というのはこんなにも複雑なんだから、そういうこともあるさ」と(あまりにも単純な感想だが)慰めてくれたように感じたのかもしれない。

水の流れには不思議な秩序がある。ねじれのようでもあり、らせんのようでもある。少しずつ形を変えつつ、ある種の平衡を保っている。しかも二度と同じ水ではない。しかし流れは常にそこにある。渦を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチは、じっとその場所に佇んで飽きもせずに水が作り出す渦を見つめていたに違いない。それは絡まり合う神経にも、あるいは網状に広がる血管のようにも見えただろう。流れこそが紛れもなく生命の隠喩なのである。

福岡さんは生物学者であるが、芸術にも造詣が深く、フェルメールの作品に関する本まで出されているほどだ。そして、文章が巧みで、美しい。一言一句から、福岡さんの知識の広さ、想像力の豊さ、他者への優しさ、思慮の深さが感じられて「こういう大人になりたい」と思ったほど、引き込まれた。以下「あとがきにかえて」より。

少なくともミクロな世界では宿命や運命はありません。因果律も決定論もないのです。そこにあるのは共時的な多義性だけです。サイコロさえも実はふられているのではないのです。私は人生についても同じように考えています。どうしようもないこと、思うようにはいかないこと、取り返しがつかないこと、人生にはさまざまな出来事があります。しかし、それは因果的に起こったわけでもなく、予め決定されていたことでもない。共時的で多義的な現象がたまたまそのように見えているにすぎません。観察するからそのように見えるだけなのです。


兄が忘れて行った「動的平衡2」に加えて、「動的平衡」「動的平衡3」「生物と無生物のあいだ」「世界は分けてもわからない」など、福岡さんの著書を読みあさった。すっかり魅せられていた。加えて、作中で引用されていた別の著者の本(福岡さんはかなりの読書家のようで、いろいろなジャンルの専門書や小説、エッセイからの抜粋が作中に登場する)を読んでいる時間は、当時抱えていた悩み、葛藤を忘れ、無心になれた。


この時期日記を書き始めたのも、福岡さんの影響だ。「動的平衡」のあとがきにある「書くことが考えを生み、考えが言葉を探そうとする」という一文がきっかけだった。日記に、悩んでいること、悲しいこと、苦しいこと、自分の中の矛盾を思うがままに書き出すことが習慣になった。それが自分にとって、とても大事なプロセスだったと、今振り返って思う。



1ヶ月が経った。そして、兄がまた実家に帰ってきた。待っていましたとばかりに「この間忘れていった本、めちゃめちゃおもしろかったわ」と声を掛けると、意外な答えが返ってきた。


「あ、あれわざと置いていった。(私が)気に入るかなと思って」


拍子抜けした。「え、じゃあ最初からそういって渡してくれればよかったじゃん」というと「いや、それは押し付けがましいかなと思って」。


感服した。ここまで繊細なことができる人だと思っていなかったから(失礼)。自分には到底できない気遣い、気の回し方だったから。私の好み、私が何に飢えているか(自分さえも分かっていなかったのに)を把握していたから。まあ、兄自身そこまで考えていなかった可能性が高いけど、一緒に20年余り暮らしていただけあって、感覚的に分かっていたのだろうか。普段連絡を取ることもなく、また感情を表に出さない兄だったから、余計に驚いた。




以上、兄と福岡さんの話でした。ちなみに今回のことに関して、兄本人にはお礼と、尊敬の念(?)を軽く伝えました。何かの折に、また改めて伝えられるように言葉にしておきたい、そして兄自慢をしたいとの思いから(笑)、書いてみました。では。
















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