拝啓、ミア・カンキマキさま。
ミアさま、ああ、ミア・カンキマキさま!
あなたのお書きになった『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』が、どれだけ私の心を熱くしたかわかっていただけるかしらん?
あなたと清少納言(あなたにならってセイと呼ばせてもらうわね)との、国境も時空も越えて結ばれた関係性。その絆に私はときめいてしまった。
ソウルメイト。
あなたとセイはまさにソウルメイトだわ。
好きな作家って、ソウルメイトなのよね。
心から大好きになると、もうどこに行っても、何をしていても、作家さんは私と常に一緒なの。
好きになる作家さんの文章には、私がいる。
数行読んだだけで「あ、なんかこの人、私みたい」と感じる。
そういうことは、本を読んでいるとよくあること。
今回、私があなたとセイの言葉のやりとりの中で、最も心惹かれたのは、その逆のこと。
あなたとセイには、ちっとも似ていない部分がある。
たとえば、あなたは恋多き人ではないし、どちらかと言えば内気な性格。
でも、セイは恋に奔放で勝気で、ちょっと傲慢でもある。
自分の分身かと思うくらい通じ合えてる気がするセイなのに、まるで理解できない部分も併せ持っている。
ミア、あなたの素敵なところは、そんなセイの言葉を読んで、もっともっとセイを好きになった、というところ。
「えー、そんなん私だったら嫌だな。もうあなたとは分かり合えないかも」そんなふうに、簡単に別れられるほど軽くて浅い関係ではないのよね。
あなたは、自分みたいなセイの、自分とは全く異なる考え方、生き方をする姿に感銘を受けたように私には思えたわ。
「こういう考え方、生き方もあったのかもしれない」
そんなふうに自分自身を見つめなおす、鏡のような存在。
セイとの違いを発見するたびに、あなたは、あなたという存在が明瞭になるのを感じている。
私は、その過程に強い絆を感じたの。
まるで、バディものの映画をみたかのような感覚かしら。
あなたたちの関係性を想うだけで、胸が熱くなってしまったの。
私がいて、あなたがいる。
だから、私は私になれるし、あなたはあなたでいられる。
そんな関係。
千年の時間と、フィンランドから京都という距離を飛び越えて、あなたとセイは強く強く結びついている。
こんな奇跡が、文学を読んでいると時々起こる。
文学は、個人的で内面的なことを綴ったものが多い。
だから、読めば読むほど、作者の心の深奥に分け入ることになる。
それは内省でもある。
時々、自分でもびっくりするような自分(いい意味でも悪い意味でも)を見つけてたじろぐことがある。
「わ、私ってこんなこと考えていたのか!」と。
でも、それが嬉しい。
だって、私ってまだまだ成長できるんだなって思えるから。
まだまだ別の私が眠っていて、発掘されるのを待ってるんだなって思えるから。
ミアさま。
私も大好きな作家さんの足跡を追いかけて、聖地巡礼をしたくてたまらなくなりました。
ヘミングウェイの歩いたパリを、私も歩いてみたい。
キーウエストの潮風を思い切り吸って、モヒートを呑んでぶっ倒れてみたい。
そして、あなたとセイみたいに、私も彼とソウルメイトになりたい。
パパ・ヘミングウェイなんて呼ばれるくらい男らしい彼と、ウジウジしてばかりいるヘッポコな私。
全然似てない二人だけど。だからこそ、繋がれる何かがきっとある。
あなたが千年を軽く飛び越えてしまったのだもの、私だって百年くらい、なんてことはないはずよね?
『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』
ミア・カンキマキ 著 末延弘子 訳 草思社