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棚橋弘至選手の人生相談本は、読むプロレスでした。

我が家のリビングには「家訓」として、一枚の紙が掲げられている。
お寺の門に貼られている、ブッタなり住職なりの有難いお言葉的なスタイルで、こう書かれている。

本気
本気ですれば大抵のことができる
本気ですれば何でもおもしろい
本気でしていると誰かが助けてくれる

後藤静香『権威』より

私は昔から、とにかく集中力のない人間だった。
勉強はもちろん、運動も、遊びも、趣味も、すぐに飽きてしまう。
なので、「これは頑張ったなあ」という経験が皆無である。
本気という言葉は「家訓」のせいで、毎日見てはいた。
しかし、それはサンタクロースみたいなもんで、本当は存在しないのに無理やり子どもに信じ込ませようとしている大人の陰謀だと思っていた。

それなのに、だ。
この一年、毎週金曜・夜8時に、私は「本気」を体感している。
体感してしまうのだ、こんちくしょうめ。

毎週金曜・夜8時には、ワールドプロレスリングリターンズがあるのだ。
新日本プロレスの試合が、タダで堪能できるのである!
これが、もうスゴイ。血沸き肉躍る、とはまさにこのこと。
筋肉で美しく武装した漢(おとこ)たちが、全力でぶつかり合っていく。

若いころ、WWE(アメリカのプロレス団体)のド派手な演出にハマっていたけれど、年を経た今は、新日本プロレスの無駄をそぎ落とした肉弾戦に魅力を感じている。
人間力、とでも言おうか。
己の肉体の限界に挑戦するレスラーの姿は、いつ見ても胸が熱くなる。
(2週間に一回くらいは感涙している)

プロレスには、リング上のレスラーと観客がひとつになる瞬間がある。

正面からぶつかって組み合い、相手の力量を読みながら、次の一手を探りあう。勝敗ではなく、試合の流れを読む。相手の呼吸を読む。
その呼吸が、磁石のようにピタッと合う瞬間があるのだ。
まさに「阿吽の呼吸」。
それは、大きなうねりとなって、会場全体に波及する。
そのとき、私という存在は消える。そこにいる全員で一つの存在、その試合自体が巨大な生物であるかのように感じるのだ。

私はその瞬間がたまらなく好きだ。
体中の細胞が、全力で叫んでいる。燃えている。
リング上で輝いているレスラーと、魂が繋がっている。
「本気」が、私の中に降りてくる。たしかにそう体感するのだ。

プロレスなんて、ショーでしょ? という声をよく聞く。
たしかにブックというシナリオがあって、それに則っているのがプロレスだ。(もしかしたら新日本は違うのかも?)
だが、リング上で戦う人間の身体がぶつかり合ってたてる音を聞いてほしい。何度打ちのめされても立ち上がる、闘志みなぎる目を見てほしい。
あれは本物だ。嘘偽りない本物だ。

その姿に、私はいつも励まされている。勇気をもらっている。
「俺たちは全力だけど、お前は? お前も頑張れよ!」
そう言われているような気がするのだ。
シナリオがあってもなくても関係ない。

いやはや、かなり熱くなってしまった。
『その悩み、大胸筋で受けとめる』(棚橋弘至 著・中央公論社)を読んだからだ。


版元ドットコムより

新日本プロレスのトップレスラー、棚橋弘至選手が、がっつり悩み相談に乗ってくれるという、羨ましいかぎりな一冊である。

これが、まさにプロレスだった。

相談者の悩みに正面からぶつかって、取っ組み合って、相手の悩みの真意を読み解き、呼吸を合わせる。
どんなに難しい悩みにも、真正面からぶつかっていく。無骨で泥臭い。
それでいて、優しい。相手がケガをしないように、きちんと受けとめてくれる。健闘をたたえ合い、背中まで押してくれる。

これは、棚橋選手のプロレススタイルそのものではないか。

文章には、その人の生き様が現れるという。
この一冊には、彼の生き様と人柄がにじみ出ている。
なんて魅力的な人なんだ。リング上で輝く姿も素敵だけれど、中身も男前だなんてズルいよ。ちょっと弱さを見せるところも憎い。

コミュ障の私は、これまでたくさんの「お悩み相談本」を読んできた。
が、解答者になりたいと思ったのはこれが初めてである。
(素敵だな、と思う人はたくさんいたけれど)

こういう人間になりたい。こんなふうに、何事も本気でぶつかっていける人になりたい。強くて、優しい人間になりたい。
そう思わせる棚橋選手。
さすが、エース。さすが、100年に一人の逸材だ。











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カタクリタマコ
最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。

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