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【2分で読む大人のエッセイ】 「本当に死にたいか?」 【1700文字】
人生には様々な困難や試練がある。
いつだって、誰だって、健康で元気に生きられればどれほど良いだろうか。
悲しいかな、時には心が疲れ果て、死にたいと感じることもあるだろう。
しかし、そのようなときこそ「休む」ことが大切だ。
何もかもを放り出して、背負っている仕事も全て放り投げて休む。
休む時は誰の意見もいらない。
あなた自身の心の声に従って、あなたが、あなた自身のために休むのだ。
本来、生き物である私たちは「生きる」ことが存在意義であるはずだ。
おかしな話だが、生きるために生きているのだ。
だとすれば、死にたいと思うほど思い詰めたり、自分を傷つけなければ落ち着かない状況というのは
あまりにも”異常”なのだとわかるだろう。
私たちは生き続けることが目的であり、そこに意味などない。
誰かのために生きても良いし、一人部屋にこもって生きてもいい。
好きにすれば良い。あなたの人生なのだから。
それがどうだ?
好きに生きていい人生をわざわざ苦しくて仕方ない環境に身を置き、不満を抱きながらも苦しみ続けている。
君を助けられるのは君しかいないんだぞ?
助けられる人を見捨てるなんて、君はなんて非情なやつなんだ。
いや、わかっているけど変われないんだよな。
私も少し強い口調で言いすぎたかもしれない。
それには訳があって、君にまず、自分の命の尊さを感じて欲しかったからだ。
「他者の命と同じようにあなたの命も重いのだ」と自覚して欲しかったからだ。
その上で、動きたくても動けない、変わりたいのに変われない私たちがどうしたらかわれるのかの理由を教えよう。
魚が水中で生きるように、コアラが樹上で生きるように、生き物にはそれぞれ生きるのに合った環境というものがある。
では、わたしたち「ヒト」という生き物に合った環境とは何か。
それは、集団で生きていくことだ。社会性動物なのだから。
誰かとのコミュニケーションのなかに喜びも幸せも感じるようにできている。
それが私たち人間なのだ。
だからこそ私たちは仲間を探し、グループを作り、他人との繋がりを求める。
「一人では生きられない」という話ではない。コアラだって酸素ボンベを持たせて呼吸さえできれば水中でも生きられるだろう。
ただ、それはあまりにもストレスが大きすぎる。
いずれ今いる環境に悩み、苦しみ、思い詰めて自分を傷つけ、いつか自ら酸素ボンベを外すのだろう。
人と繋がり、信じ合い、心を通わせられれば、私たちは本能的な幸せを感じるだろう。
労働に疲れ、いじめられて、他人からストレスを受けている環境はあなたに合っていない。
その環境を水だとするのならば、その水はどす黒く、刺激臭がする汚い水だ。毒もあり、あなたを蝕んでいる。
すぐに水を変えなければならない。
「この環境で頑張らなくっちゃ」
「みんな頑張っているんだから」
バカを言うな。いま、ここであなたが苦しんでいるんだ。
よく見ろ。今、君を助けろ。
生きることに意味などないが、生きることが私たちの存在意義だ。
そう言う意味では、死ぬことは自然に起こることであっても望んで行うことじゃない。
つまり、「死んでいい人間など一人もいない」んだ。
あなたが生きる意味はあなたが自分でつける。
どうせ生きるなら、幸せになれ。
あなたは幸せになっていい。
自分の好きなことに没頭したり、大切な人とのひとときを楽しむことができる瞬間があったはずだ。
私たち人間は幸福を追求する生き物であり、幸せを感じることができるように自らの心を導くことが重要だ。
人生には様々な試練があるかもしれないが、自分の心を大切にし、休むことを忘れずにいよう。
死んでいい人間など一人もいない。
自分の存在を肯定して、前向きな気持ちで人生を歩める日は必ずやってくる。
あなたの未来には輝かしい可能性が広がっているのだ。
大丈夫。大丈夫。
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それじゃあよい一日を。
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