傷つきながらも
トラウマとは?
過去にあった出来事で、心に傷を負ったこと。
身体そのものに傷を負うこともあるだろう。
それに今も囚われていること。
自分の処理能力を超えた出来事を経験し、
強い恐怖や、恐れ、絶望感、無力感などといった感情が、その出来事に対し強烈に伴っていた場合
その後に、心身の不調があらわれていること。
と定義されることが多いだろうか。
『DSM―Ⅳ―TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』 (医学書院):DSM(Diagnostic and Statistical Manual)は、それまで精神疾患の診断や呼称が学派や医師によってさまざまだった状況を是正するため、アメリカ精神医学会によって1980年に初めて制定された物。
この『診断・統計マニュアル』が版を改める度、トラウマの定義が変えられているそうだ。
それだけ議論されるほど何がトラウマなのか、
どこを回復とするかが難しいのだろう。
ヒーリングと呼ばれるエネルギーワークなどを否定する気は全くないが、ヒーリングのみでトラウマから解放されるのか、というと疑問がある。
ではヒーリングではなく、治療が必要で治療が必ず有効なのか、と言われると、それもそうとも言い切れなかったりする、と、私自身の様々な経験のなかで感じている。
どこを通っても、最終的に自分がその傷(として受けてしまった何か。)と向き合えるかなのではないか、と思う。
「トラウマをない」とする考え方もあるが、
結局、本当のトラウマは、自分が認識できる記憶としては全くなかったりするので、気づくのが難しい。
トラウマはない、という概念から
様々な自己啓発や、自分を愛する、といった学びや行動を進めていったときに、どうしても変わらない何かに突き当たったことのある人も沢山いるだろう。
トラウマはない…
「記憶にはない」が正確かもしれない。
記憶からも封印した痛んだ経験は、
手当てをしていないので、開いた傷口のまま
痛んだ過去を繰り返し続ける。
同じ経験をしても、それがトラウマになる人と、そうでない人もいる。
戦争経験後の人々の様子が、わかりやすいかもしれない。
それはその経験時の本人の適応能力や処理能力によるだろうし、全てこうだからと一概に言えない。
トラウマと思われる傷に苦しめられているのなら、
私たちにできることは、そこから自由になること。
そう決めること。
そして、再びそのような状況を引き起こすことのない世の中へとできることをする。
自分が自分として楽に生きていたら、
人は誰かを傷つけたり
何かを奪ったりしたくならない。
個人でまずできることは、自分自身の癒しを終えることだろうか。
それは癒し終わらなければ、何も出来ないということではない。
私たちは自分でもわからないほど、とても傷ついているのかもしれない。
だとしたら、適切に傷を手当てし、
今も恐怖に慄き、凍りつき
身動き出来ないままの
自分の心を少しずつでも解き放っていこう。
100年後。
今ここに私はいないとしたら。
傷跡はキレイには治らず、手術跡のように残っていたとしても。
ああ、こんなこともあったな、と笑顔で自分の人生を振り返れるように。
他でもない自分自身で、自分を大切にしていこう。
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