ここがわたしのアナザースカイ、湯島です。
友人間の遊びの小説はゴリゴリと書けるのに、エッセイは全然書けない。それはきっと日々に特に何も思ってない、無、なのだ。当たり前だから無になるし、かといって急に全てに感謝して特別扱いもしたくない。そうして生きていたら2ヶ月経過していた。厨二的に申し上げると、生活がライブではなくサイクルになった証拠である。
空想や虚妄が日常のスパイスとなるだけの日々では、到底我慢できない(出来て2ヶ月)ので、またどうしようもなくショボショボとやっていく、日常を。
生きなきゃならないらしいので。
(自分に興味が無いくせに死ぬ気も無いの本当に勿体ないからやめた方がいい、自分に興味持った方が100000倍幸せ)(自戒)
再び湯島に浸かりだしてる。湯島はいい。いろんな人間が、いろんな文化が、整頓されるわけでもなく、かと言って蔑ろにされるでもなく、雑多にただ並べられているのを取捨選択すればいいだけの街だ。選べる権利と選ぶ力を持った者が許される街。それが好きだ。
わたしは湯島に辿り着く前まで新宿がシマ(と言うほど入り浸ったり根差してはないが)だった。何するにも新宿、誰と会うでも新宿、遊ぶ、にしても新宿。定期券をいい加減買えと、周りから言われるほど行っていたし、実際仕事でもないのに週3、酷い時は毎日訪れることもあった。
新宿も、雑多にいろんな人間と文化が交わる街として好きだったし、個人的に享楽的で夜だけが本筋で、朝になると白紙になってしまう小説のような、素っ気なさも好きだった。勿論性的な楽しみも満ちていたし、何度「あの道沿い」を歩いたか分からない。それも夢みたいで、忘れそうな事実を作れた。
いつからだろう、多分21〜22年くらいから新宿で遊ぶのがつまらなくなった。何が変わったのだろう。店なんて季節の変わり目とともに変化しうる街だし、特別贔屓にしてる物や場所が失われた訳でもない。でも新宿がどんどん嫌いになっていた。
コンカフェ文化が横行して、街には客寄せの為に文字通り「すごい服装」の女の子たちか列を生し、その付近ではトー横キッズたちが異臭と異様な空気を漂わせながら群れている。ホス狂いの薄っぺらいギャルがシーシャ屋で担当や店の愚痴を言いながら深夜毎過ごして、当のホストは珍しい生き物でもなんでもなく制服のようにBALENCIAGAとsupreme(とその他)ばっかり身に纏って常にフラフラ歩き回ってる。夜は誰かが絶対に泣いてるし叫んでるし、昼は人しか居ないから酒飲まなくても酔う。
スラム極まりないのだ。金を持った子どもの城なのだ。勿論、ゴールデン街やもっと違う場所には風情ある渋いお店とかが、あるかもしれない。しかし、今のわたしには許容できない環境が整いすぎて、苦痛だった。苦痛になったのは、何でなんだろう。人としての成長、歳を取ったから、と言ってしまえば簡単だけど。
そんなこんなで、湯島に辿り着いた。きっかけは『嗜好品天国』というバー(昼には喫茶店もやっている)のツイートがおすすめに流れてきたからだった。
店名が可愛かったし、面白そうだし、いろんな会計方法があるのも魅力だった。(分配して方法別に使うのが常な人間なので)居場所になったらいいな、と軽く藁に縋ってみたら、どっぷりである。
いろんな人間がいる。まざまざと見せつけられる。それは決して嫌な形ではなく、自然で、まるで電車の乗客のように、代わる代わるあらゆる景色にも、感情にもなる。誰も悲痛に自分勝手に泣き叫ばないし、札束で人の精神を殴らないし、気配斬りの如く空気を察することを楽しむ。それは全て、わたしにとっては、居心地のいい、ものだった。
そんな店が、人間が、結構湯島にはある(いる)。
多くの出会いで、わたしは様々なことを救われてきた。それは新宿時代にはどうしようもなくて、燻って煙も出なかったことばかりで。目から鱗の日々。それが楽しい。不思議なことが起こりまくる。
知らないことを知り続けるのが好きな人には、もってこいの世界がある。わたしたちは所詮何も知らない赤子なのだから。
具体的にどう、と言うよりいい街なんだ、としか言えない。本当に。正直良いと言うことがあまり知られてほしくはない。(超エゴ)
良いところと悪いところ、どっちもあってどっちも許容できるのが本当の好きだと思うけど、
わたしは今、湯島が好きです。
湯島激推し記事になってしまった。ちょっと照れくさい。新宿で燻った金ヅルにならなくて良かった。(そんなこと言いつつ、今だに大都市は新宿が好き)