ここがわたしのアナザースカイ、湯島です。
友人間の遊びの小説はゴリゴリと書けるのに、エッセイは全然書けない。それはきっと日々に特に何も思ってない、無、なのだ。当たり前だから無になるし、かといって急に全てに感謝して特別扱いもしたくない。そうして生きていたら2ヶ月経過していた。厨二的に申し上げると、生活がライブではなくサイクルになった証拠である。
空想や虚妄が日常のスパイスとなるだけの日々では、到底我慢できない(出来て2ヶ月)ので、またどうしようもなくショボショボとやっていく、日常を。
生きなきゃならないらしいので。
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