子どもたちに民主主義を教えよう
「ラーニング・ダイバーシティの夜明け」を読んだときに、誰もが学びやすい社会の実現という部分から、学級も誰もが過ごしやすい場所であってほしいし、そうした教室を学級のメンバーで作っていきたいなと考えていた。また課題は山積しているけれど、学校もそうした場所であったらいいなと感じていた。
そのときに、以前読んだけれど、そういえば読み直してみたいなと感じたのが本書である。
発売したときは、本当周りにいた誰しもが読んでいたような気がしている。ただそうした本って、読書会を行ってみたり、引用部分を聞いてみたりすると、意外とみんなの引っかかるところが近しくて、表面上の「大事にしたいよねー」で終わってしまう、少し勿体無いことがある。
今回は、せっかくなのでここ数年で変化した自分の立場や教育への考え方も踏まえながら、もう少し丁寧に自分に引き付けて読むことで見えるものもあるんじゃないかなと考えページを開いた。
「民主主義とは何か?」「学校でどのように実現していくことができるのか?」「工藤さんは現場で何をしてきたのか?」と、そもそもの必要性から問題点、そしてそれを変えていくポイントについてが、中心である。
おそらく、読んでみた人は冒頭に書かれている
といった部分に、まずこの本に「ドキッ」とか「ハァ〜」とか「いやー、本当そうなのよー」とさせられるのではないだろうか。学校において、裁判官や警察官、ここには書いていないけれど司令官や軍曹であることが教師の仕事だと本気で考えている人もいるのかもしれない。
工藤さんの論は、それはもう実績のある方なので、一貫している。
自分なりの読みで端的に書くのであれば3つ。
「子どもたちに自律する力を身に付けさせていく必要がある」
「教師は指導で押し付けるのではなく、適切なフォローをしていく」
「たとえトラブルが起こっても徹底的に対話して向き合っていくことに尽きる」
ここでも以前読んだ「ニッポンには対話がない」とか「学びの構造」とか、そうした本が思い出される。読書は巡る。
学校に、対話する時間がないということを分かりながらも、やっぱり自分のあり方としては対話を大事にしていきたい。
学校は管理職の立ち振る舞い次第で職員の意識が大きく変わってしまう脆弱な組織だと感じている。
自分の立ち位置でできること、多様な考えがあることを頭に入れながら事実と向き合うこと、よりよいとは何かを共に追い求めること。たかが仕事だし、そこまで本気にならなくてもという気持ちと、それでもどこか頑張りたいという気持ちと、そういう狭間の中で揺れ動いて過ごしている。