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15.遊びと利他

この本が書店に並んでいたときから気にはなっていたけれど、なんでもすぐに買うことができないほんの少し不自由な生活を送っている。
気になった本を気になった分だけ買うことができないというのは、ちょっとストレスフルな感じもするが、それもあと数ヶ月の辛抱。その分図書館の使い方が、とても上手になった。今回は、偶然図書館の新刊として出ていたものを見つけられたので読むことができて嬉しいな、本との偶然の出会いって、どうしてこう心躍るんだろう。

この本の帯には「コスパ」と「管理」から自由になるために、と書かれていることからも、現代社会に対して筆者の覚える危機感が本の至るところから読み取ることができた。

公園は時代の変化を体現する場所であり、社会の縮図でもあります。遊び場は、私たちの社会を映し出す鏡といってもいいでしょう。
本書では、効率化や管理化とはもっとも対極にあるように思われる子どもの遊びの空間を内側から観察することで、私たちの社会の危機的状況を描き出したいと思います。

まえがき P.12

と冒頭に書かれている通り、子どもの遊び、また公園を中心とした遊びの場から筆者の問題意識について書かれていく。
公園の遊具については、昔に川上康則先生のお話でも聞いたことがあった。いつの時代からかは定かではないけれど、気づいたら自分の時代に遊んでいた公園の遊具はどれも撤去されてしまって、健康器具に移り変わっていっているのは感覚的にも納得していた。
今回の本ではそのことが、たくさんの事例から書き出されていて、とても学びになった。くわえて、今の時代には「インクルーシブパーク」というものがあることも初耳で、筆者がそこで起こっている構造をどのように捉えているのかについても知ることができた。自分自身、学校教育においても「遊び」の要素は大切にしたいと考えていたが、まだまだ自分は「遊び」についての理解度も低いし、どうして子どもたちにとって「遊び」が大切になるのか、教室の中と照らし合わせながら考えていきたい。

それから本筋と若干、離れる部分ではあるのかもしれないけれど、筆者が若松英輔さんを引用しながら読書について書かれていることに、とても納得した。

多読は決して悪いことではない。けれども、読書が量的な数値として認識されてしまうと、「終わり」が目標となり、それを基準に読み進めてしまう。読書の本質は、読み終わることよりも、対話のプロセスにある。若松英輔は、読むことにおいて速くできるようになることは、ほとんど意味がないという。むしろ時間をかけて「たしか」にできるようになることだけが大切で、「言葉は、多く読むことよりも、深く感じることの方に圧倒的な意味があると述べる。

P.301

自分自身も、とにかくたくさん読みたいという時期があった。それは、時間が惜しい気がしてしまって、たくさん読むことで何かを得た気持ちになれるからだ。今年は、そんなこともせずに本当にじっくりじっくり読み進めている。そうか、これは書籍と対話しているということなんだ。
今年からは、読書の際にはパソコンも開くけれど、ボールペンも握って線を引いたり、そこで起こった自分の気持ちを一つ一つ書き込んだりしている。もちろん図書館の本にそうしたことはできないのだけれど、読書を通して、ただ理解すること以上に大切な何かを得られた気がしていて、それがここで丁寧に言葉にされていて、こうした言葉に出会えたことにも感謝している。

他にも。引用文献にも読んでみたいものがたくさんあった。論文でもそうなんだけれど、こうやって次から次へとつながっていくのが読書の一つの楽しみであるよな。そういった部分も含めて、読んでよかった一冊だった。もうちょっと懐に余裕が出てきたら、この本は買って本棚に置いておきたい。

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