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「50を過ぎて何やってんの」と言われるところから、その人の人間的魅力が生まれる

陰と陽を共に生きるためには、案内が必要だ。仏陀は陰に対して歴史上最も透徹した案内者であった。

情報分析官

「50を過ぎて何やってんの」と言われるところから、その人の人間的魅力が生まれる 

一度決まったメンドリたちの順位は、群れのメンバーが変わらない限り、変化しません(中略)時々、新たなメンバーが加わるなどして直線の途中に、三角形に循環する、三すくみの関係ができるときがあります。 そこは平等な関係というわけですが、 何とこの平等こそが一番やっかいな代物でした。 互いに自己を主張し、譲らないので時間ばかりがかかる。 結局はエサにありつくうえでの効率が悪く、直線的な順位をつくっている者たちのほうがはるかに効率よくエサが食べられるのです。 三すくみの関係はやがて解消され、三者の上下関係がはっきりとしたものとなって落ち着きます(中略)こうしてなぜ順位があり、皆それに従うのか、最下位の者ですら、その順位を受け入れるのか、という一見不可解な問題の本質が見えてきます。 順位が決まっておらず、順位を決めるために戦うことは、誰にとっても同じように不利益です。エネルギーを失うだけでなく、普段なら考えられないほどにエサにありつけない。

情報分析官

古代のシンボルである陰と陽は、一見正反対の原理のあいだの、永遠に移り変わるバランスという価値を表している。

陰と陽という逆の力は実は相互につながっており、均整がとれたとき両者は対立ではなく補完的になる。

「シャーデンフロイデ」はたちが悪い 他人の失敗や不幸を喜ぶ気持ち(シャーデンフロイデ)も、優越感の一種です。しかもシャーデンフロイデは、自分の努力によってではなく、相手の序列が下がる(あるいは、自分の脳内で、相手の序列を下げる)ことによって優越感を得るというもので、非常にたちの悪い感情だといえます。他人の失敗や不幸を見て喜ぶのは、自己評価が低い人です。自分自身や自分の能力に自信が持てず、他人が「下がった」ときだけ、相対的に自分が「上がった」ように感じるのです。

私たちは、評判操作というマキャベリ的な世界で戦うために完全武装しており、その最も重要な武器の一つが、自分はそんな戦争には参加していないという思い込みなのである。

サイコパスは政治資金パーティに五万ドルも払ったりしないだろう。もっと確実な見返りのある、楽しい使い道があるはずだ(中略)私は、自分の政治心理学の理解をジョナサン・ハイトの理解と比べるところからはじめた。ここまで読まれて、ハイトはごりごりの保守派なのだと考えた方もいるだろう。しかしそうではない。彼は中道派であり、ときに煮え切らないリベラル派であるが、つまるところ、何より功利主義を支持している。 ハイトは結局は功利主義を認めていることは、矛盾していると同時に示唆に富んでもいる(中略)著書の後半でハイトはこう述べている。個人の私生活にとって、何が最良の規範論理の理論なのか、私にはわからない。しかし、民族的・道徳的多様性をある程度抱えた欧米の民主主義国家で、法律を制定したり、公共政策を実施したりすることを考える場合には、功利主義以上に説得力のある選択肢はないと思う。どうなっているのだろう? 「 私たちは何をすべきなのか? 」という究極の質問に対して、自閉症の哲学者が最初から正しかったらしい。

イギリスの哲学者で「功利主義」の父とされるジェレミー・ベンサム(中略)功利主義者らは、人間の幸福における最終的な目標は快楽の最大化と苦痛の最小化である、と唱えた

私たちの道徳の羅針盤はどこにあるのだろう?(中略)功利主義は一目で気に入られるものではない(中略)この哲学はいともたやすく誤解される。功利主義は「効用」の問題ではない。人生に意味を与える物事よりも日常的な機能性に価値を置いたりはしない。「お気に入りの」浅はかな追及でもない。利己主義でも快楽主義でもやみくもなユートピア思想でもない。功利主義は、幸福を高い精度で測定する魔法の機械や、ハイテク装置を必要としない。私たちはつねに「計算」することを求めない(中略)正しく理解された功利主義はそれの数多くある諷刺的描写とは似ても似つかない。正しく理解され、賢明に適用された功利主義が、深遠な実用主義だ。これこそ道徳の第二の羅針盤(中略)功利主義を非難すべきではない。正しい社会 功利主義は、持てる者に対して、持たざる者のために多くを行うよう要求する、きわめて平等主義的な哲学だ。明日目が覚めたとき、あなたが功利主義に生まれ変わったとしたら、生活上の最大の変化は、これまでになく献身的に不幸な他者を助けるようになっている点だろう。

「自分が未だ彼岸(涅槃、あるいは涅槃の境地)に達しないまま、他人をそこに到達させようとする」行為は、実は自ら何も得ないまま他者に得させる決断なのであり、まさにこのような実存のジャンプこそが大乗仏教の「善」の根拠

シャーデンフロイデは、権力者らが国家運営のために用いる典型的な手法。優生学や優生保護法は、日本だけでなく世界でもこの手法の代表である。人口の90%を占める中間層は、優生保護法の対象である下位5%よりも、幼児期から死に至るまでピラミッド構造の中で上位に位置すると想定されている(と中間層は思い込んだまま一生を終える)。思い込みのアドバンテージは、使い方次第で本物のアドバンテージにもなる。泥船(思い込みという幻の下駄)でも、スピードと勢いがあれば対岸に渡れるように、対岸に渡ってしまえば、どのように渡ったかは関係ない。しかし、ここで問題なのは、幻の下駄を履かせても対岸に渡れなかった人たちである。シャーデンフロイデに話を戻すと、根拠のない価値下げによって自分の地位を保とうとするソシオパスらの悪癖は見過ごせないが、フリーエネルギーを活用するというシャーデンフロイデのライトサイド(光の側面)の活用法を、功利主義者、バイオハッカーとして紹介したい。耳石(幸福感)を意識した運動・物理療法の運動場の中でも、多くの初心者が訪れる屋外スケートリンク。周囲より少しでも上回れば、加齢による骨密度低下を防ぐテストステロンが分泌される。人間は褒められたり、自分が周囲より優れていると感じたりするとテストステロンを分泌する。私が思うに、圧倒的な初心者集団と同じ空間で過ごせるのは、密な屋外のスケートリンクだけだ。私自身、スキーでもスケートでもダンスでも他の習い事でも、上級者が周囲に多くても「上手いなぁ」と思うことはあっても、卑屈になることはないし、ホルモンバランスが乱れることもない。「箸が転んでも楽しい年頃」というフリーエネルギーは最強だが、枯れ始めた中高年には、シャーデンフロイデのライトサイドを扱う技術で余生を楽しんでもらいたい。先日、そんなことを考えながら六本木ミッドタウンの屋外スケートリンクを滑った(^_−)−☆

関連リンク↓

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https://note.com/wandering_1234/n/n5a36e7d2157b

https://note.com/wandering_1234/n/n044d5a049681

https://note.com/wandering_1234/n/nbe0b9f46e230