ありふれた食卓にある小さなほころび
先日、友人と居酒屋で飲んでいる時に誰が頼んだか、焼いたししゃもが提供された。
私は日本酒のあてに食べていたが、「酒によく合う」だとか「ししゃもの焼き加減が良い」だとかそんなことを考えていた。
解散した後に、私は飲み会を振り返りつつポツリとつぶやいた。
「いつ頃から魚食べられるようになったんだっけな〜…」
「好き嫌い」
日本人の3人に1人くらいはそういう食べ物があるのではないかと思う。
それぞれ生きてきた環境によって何がしかの食物に苦手意識を持つことがあるだろう。
私の周りにも、「トマトを食べると吐き戻してしまう」「牛乳を飲むと蕁麻疹が出る(アレルギーなど病気ではない)」など拒否反応が明確に出るパターンから「口には入れられるが味が苦手で食べようと思わない」というパターンまで様々な人がいる。
かく言う私も幼少期から「魚」が嫌いだった。
特に白身魚が苦手で、サバやタイを食べると気持ち悪くなっていた。
しかし、どうして魚を嫌いになったか思い出せない。
おそらく幼稚園児の時くらいだろうか、それまで野菜が嫌いだったのに魚が嫌いになり野菜は食べるようになった。
親に聞いてみてもどうしてそうなったかはわからないらしく、『勝手に椙山七不思議』の一つとなっている。
食育に積極的だった母は私に魚を食べさせようと試行錯誤したが、結局私は嫌いと主張し続け、家で魚を食べることなく中学生となった。
このまま大人まで魚をまともに食べなくなるのではないか。親はヤキモキしていただろう。
しかし、転機は中学・高校の寮生活にあった。
集団行動を是とする校風で、食事も個人ではなく、部屋や寮単位で摂っていた。
食事を終えるのも足並みをそろえて、なるべく出されたものは残さないように。
体育会系の気風が強かったこともあり、好き嫌いが許されない環境だった。
そうなると、嫌いな食べ物を嫌でも口に入れなくてはいけなくなる。
私は時間をかけながらも、えいっと魚を口に放り込む。
「まずい!!」
と言いながら、なんとか完食するということを繰り返し約6年。
私にとって魚は「好きではないが、食べようと思えば食べられる食事」まで評価を上げていた。
大人になった私は、結構な頻度で魚料理を食べている。
基本は自分で作り、外食をした時も西京焼きや煮付けなど、自分で作るには手間がかかるものを食べることもある。
そして、今日も苦心して作った鮭のムニエルに舌鼓を打ち、考える。
「好き嫌いという『食卓にあるハードル』を飛び越えた自分は、どこに出しても恥ずかしくない大人になれたかな」と。