死が二人を分かつまで。映画「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」
「Knockin' on Heaven's Door(ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア)」は、ボブ・ディラン(Bob Dylan)が1973年に発表した曲だ。
死後の世界を指すメタファーを含んだ歌詞は、同時に比較的シンプルで直感的であり、多くの人に深い感銘を与えた。歌詞には個人的な喪失や絶望感が反映されており、何か終わりに近づいている感覚が表現されている。また、死や死後の世界についてのテーマも含まれている。
本曲が西部劇映画『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』に対する楽曲として提供されたことを踏まえると…さらに興味深い。
「Knockin' on Heaven's Door」は、その切ないメロディと歌詞、そして独自の雰囲気で広く親しまれ、多くのアーティストによってカバーされている。
フォロワーは音楽の世界だけにとどまらない。
世紀末1997年、本曲にちなんだ1本のドイツ映画が公開された。トーマス・ヤーン(Thomas Jahn)監督「Knockin' on Heaven's Door(ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア)」。
ただし物語自体はディランの曲とは関係がない。
映画のプロットは、2人の癌患者が自分たちの終末を前にし、最後の冒険を共にするというものだ。主人公のマルティン(Martin)とルディ(Rudi)は、病院で知り合い、医師から余命宣告を受けると、自分たちの「夢のリスト」を作り、それを実現するために旅に出る。
世紀末のドイツに降り立った、「ハリウッドの堕天使」と呼ぶべきだろうか。マフィア、カーチェイス、グループセックス、激しい銃撃戦。当時、最先端を走り要領よく当たりを見込めた90年代ハリウッド映画のプロットをなぞってはいる。
なぞりながらも根本的に異なるのは、主人公が闘犬でも狂犬でもないということ。後先短く、根は善良な、二匹の白いむく犬だ。
冒頭、二匹はまだ互いのことを知らない。
孤独だった。体は既に死病に蝕まれている。会いに来る者もいない。病棟は申し分ない最新設備、何もかも行き届いている。あとはそのまま安らかに、一人で死を迎える、はずだった。
転げた十字架から現れた一本のテキーラが、盃(さかずき)が、二人を分かち難く結びつけ、下界へと飛ぶための勇気を与える。
その勇気とは:まだ見ぬ、見知らぬ海へと向かうこと。
二人が宴を開いた厨房には、パンドラの箱よろしく残り物があった。つまみ代わりのバースデーケーキは、彼らの再誕を祝うかのように神々しく。カーペット代わりに敷いたレモンは、花道のように輝く。
かくて彼らは天国を抜け出し、海へと向かう。「どうせ死ぬのだ」二人は恐れることを知らない。警察も、マフィアも、大金も何者も、二人を止めることはできない。
たどり着いた終着地、そこで海は待っていてくれた。願いが叶ったのだ。
マフィアのボスさえ、彼らの願いを容れ、パクられた大金を蕩尽したことを赦してしまう。彼らは、全てを成し遂げ満足しきった顔で、寄り添いながら、静かに死んで行く。
海風に誘われて菜の花が咲き、散る花びらに寄り添うように風が吹く。
死と向き合いながらも、希望と冒険のテーマが色濃く描かれた、おもしろかなしい、運命の深い結びを感じさせる映画なのだ。