2013年9月28日観劇記録 第5回能登演劇堂ロングラン公演「ロミオとジュリエット」(無名塾)
みなさんご存知のあらすじは省略しての、仲代達矢率いる無名塾公演を、彼らの第二の故郷にしてホームグラウンド:能登演劇堂にて鑑賞。まだ残暑の厳しい秋のこと。
鑑賞当時の感想(メモ)
小田島有志の翻訳を使った現代的な台詞回しに、ロの字型のオブジェ一つだけで舞踏会も教会もどのシークエンスも表現してしまう美術。能登演劇堂名物の背後の開く扉は、失踪したロミオとジュリエットを探す両家の捜索の場における、ワンポイント利用。
徹底的にシンプルイズザベストを極めた舞台の上で、肝心かなめのキャスティング:仲代達矢演じるは、ロミオとジュリエット双方の相談を受け、いがみ合う両家の間に立つ神父役。
この悲劇において、神父はあたかも神であるかのように振る舞う。
すなわち彼は、心ここに在らずであるかのように、ただ目の前の状況だけを見つめている。それはあたかも「芝居は人生だ」という考え方を否定して、「芝居は芝居であること」、舞台上の出来事は虚構であるかのように、人ごとのように見つめている。
悲劇は粛々と進み、神父は与えられた役割を、まるで運命であるかのように果たすのみ。すなわち、ロミオはジュリエットに別れの言葉を告げ、神父に与えられた毒をあおぐ。神父は霊廟へ駆けつけるが間に合わない。目覚めたジュリエットは神父に別れを告げ、胸を短剣で突く。
この悲劇を前にして、初めて神父は感情を露わにする。震えながらため息をつき、涙を流す。あたかも自分が触れるもの全てがよごれてしまう、そしてそれがこの2人の死へと結びつけてしまう、己の運命を呪うかのように。
さながら仲代達矢のフィルム・ノワール、いや、ファム・ファタール。
おおよそロミジュリの演出において、ここまで神父にクローズアップされた舞台も映像作品もないだろう。
まるで無神論者が神職を演じるとこうなる、と言うかのような、不釣り合いで不気味な、それがかえってロミジュリの悲劇性を際立たせる、神父の役柄。
総じて、仲代達矢という役者の持つ、エネルギーを体感することができた舞台だった。
10年を経ての感慨。
また足を運ばないとな、能登。特に、能登演劇堂。