ゾーン
書きたいことがいっぱいあって、ストーリーが組み立てられていて、頭から言葉があふれ出しそうになる。
そんな束の間がある。
けれど、あくまでも束の間でしかなくて、一時間もすればいつもの澱んだ空気が張りつめたり、想いと言葉がかみ合わなかったりといったぼくにとってのありふれた一進一退がくり返される。
「ゾーンに入る」というヤツだろうか。
ぼくの場合には、一日の流れの中で訪れたり、ぼくの言葉を聴き取り、入力するヘルパーさんとの相性によって現れたり、気持ち的にしんどいヘルパーさんがしばらく来ないという安堵感だったり、いろいろな条件によって「ゾーン」はぼくの書く力を展げることになる。
忘れていた。書くときにシャッフルで流れている唄とのシンクロニシティによって、心の色あいが一変するときもある。
むしろ、あの世から誰かがあやつっているようなシンクロニシティが、後頭部あたりの滞りを瞬間のうちに洗いざらい吹きとばしてしまう場合がいちばん多いかもしれない。
けれど、ほんとうはうまく「ゾーン」を活かせないことがほとんどかもしれない。
昨夜もそうだった。
お昼のヘルパーさんはわが家ではぼくとのコンビでの入力がいちばん苦手で、泊まりのヘルパーさんにお願いする段取りを組んでいて、七時の引継ぎにむけて着々とコトが運んでいた。
早めの夕食をすませて、食後の薬を飲むためにお茶を汲んでもらおうとしたときだった。
カーテンでさえぎられたとなりの部屋で、「ガチャ―ン」と何かが床に落ちる音がした。
もちろん、成り行きで冷やしたお茶を入れているボトルの音だと、簡単に推測できた。
運悪くマンタンに近いと、一リットル以上になる。
お昼につくってもらったばかりのことに気づいてしまった。
ベッドからは見えなくても、手に取るように情景が浮かんだ。
失敗したくて、起きてしまったわけではない。
なにも責めるつもりはなかった。
ちょうど惨事の直後に、泊まりのヘルパーさんが玄関のチャイムを鳴らした。
それから、お茶浸しになったヘルパーさんの仮眠のための四畳半を拭きとったり、夕食の後片づけをしたり、ふたりが協力して動いてもらっているうちに、書き出しの予定時間を大きく遅れてしまった。
それよりも、ぼくには取り返しのつかない大きな誤算があった。
四畳半の収拾はついて、泊まりのヘルパーさんは食器洗いの続きをしていた。
運悪く、最近ではかなりダイナミックな「ゾーン」が襲来してしまったのだった。
台所から聞こえる水音に、ぼくの気持ちは焦るばかりだった。
二~三日のうちに出遭った些細なエピソードを丁寧に描写する自信があった。そこから過去の出来事へ展開する構想も、普段は降りてきてくれそうにない言葉たちを連れて、頭の中を行進するようだった。
夕方、雑談をしていて「さらし」が言葉にならなかった。
「あのぉ、おなかに巻く布、何て言ったっけ?」
悶絶していた。
言葉ならネットで検索したり、ツレの助けを借りたりで乗りきることができる。
ただ、書こうと思った内容そのものが飛んでしまって、二度と戻ってこないことまで起こりはじめた。
ほとんどのゾーンは、メモれないぼくにとって致命的な時刻に襲来する。
ほんとうは「襲来」なんて、迷惑感が充満した言葉など使いたくはない。
でも、夜中の三時ごろ、ヘルパーさんが寝息を立てているところをタタキ起こして「ちょっとnoteへ投稿したいんやけど…」とはお願いしにくいし、お茶碗を洗っているときに「書きたいネタが浮かんだから、メモってくれるか」などとも言い出しにくい。
かといって、いちいち夜中やヘルパーさんが手を離せないときに、ボイスレコーダーをオンにするのも面倒くさい。
ただ、世の中を横行する「他者への疑い」と「正義の独り歩き」と「マニュアルへの偏重」といったぼくの心を下町から遠ざけたさまざまな要因について、無言のままでやり過ごしたくはない。
これからも身近なヘルパーさんとのやり取りを中心に、ぼくの住む下町の普通の人たちの表情を通して、消えていく記憶はあきらめながら、意識へ食いこんだ直感を過ぎ去らなかったことに感謝をもって書き残していきたい。