閉じる国家と開く都市(庭の話 #15)
昨年末から僕が『群像』誌で連載している『庭の話』を、数ヶ月遅れで掲載しています。今回載せるのは第15回です。過去の連載分は購読をはじめると全部読めるように設定し直しておいたので、これを機会に購読をよろしくお願いします。
1.孤独と自立
まずは、前回の議論の補足からはじめたい。人間を孤独にする場所であること、それが私の考える「庭」の最後の条件だ。
私たちはここで、初回で論じた吉本隆明の『共同幻想論』をめぐる議論を思い出すべきだろう。
吉本は1960年代の学生反乱の季節の終わりに、共同幻想(ここでは政治的イデオロギー)からの「自立」の根拠を対幻想(家族)に求めた。この吉本の処方箋は経済的には高度成長を経て中流化を成し遂げる一方で、政治的には脱政治家化し未熟で形式的なものに留まる民主主義から目を背ける選択を、それもなし崩し的に行っていった日本国民のマジョリティの感性に理論武装を与えるものでもあった。この「戦後的なもの」が(「飲みニケーション」という言葉が象徴する)今日のJTC(Japanese Traditional Company)と揶揄される封建的な会社組織や度々国際社会からの批判の的になる深いジェンダーギャップの温床となっていったことはすでに確認した通りだ。
1時間半かけて通勤する職場の共同体に埋没し、組織のネジや歯車として思考停止するその一方で、家庭では優しい外見を装いながら妻=専業主婦を郊外の自宅に縛り付け、家長としての権益を手放さないーーこうした戦後日本的な「矮小な父」たちの対幻想に依拠したアイデンティティは、果たして共同幻想からの「自立」したと言えるのか。当然、そうではない。実態はむしろ逆だ。家族を守るために所属する団体や企業の中に埋没する一方で、家庭では家長として振る舞うことーー戦後的な「矮小な父」的なアイデンティティはむしろ職場と家庭、ふたつの共同幻想に同時に(それぞれ奴隷と主人として)依存するモデルを生み出していったと言える。気がつけばそこに発生したのは父親だけが楽しむ家族の観光旅行とオーナーや経営者だけが楽しむ飲みニケーションが、その共同体の末端に配置された人間の自由を奪い取る再生産された共同幻想たちだったのだ。
そして今日においては、この種の広義の家族の中で虐げられた人々が、しばしばプラットフォーム上にその窮状を訴える。その告発は、まれにタイムラインの潮目を形成し人々が正義の名のもとに他の誰かを殴りつける快楽に耽溺するために利用される。ここに存在するのは端的に広義の家族が乱立し、「世間」という最上位の共同幻想をボトムアップに構成する巨大な村落以上のものではない。ここで重要なのは、日本における政治の季節から消費社会への移行は、共同幻想(政治)から対幻想(家族)へ、とまとめることができること、そして対幻想に依拠した「自立」は共同幻想の再生産に報復される運命から逃れられないことだ。
では、吉本はどこで誤ったのか。
吉本は『共同幻想論』で対幻想が共同幻想に転化する条件を『古事記』の分析から導き出す。それは兄弟姉妹的な対幻想と、夫婦/親子的な対幻想ーーこれらはそれぞれ友愛と性愛に相当するーーが、宗教的な儀礼を通じて近親姦的に重ね合わされることだ。空間的な広がりを象徴する友愛と、時間的な広がりをもつ性愛が合一することーーそれが赤の他人を拡張家族の一員として見做す国家という装置の成立条件なのだ。
そして吉本はここで、神話からの自由を獲得した近代人は、両者を切断し性愛的な対幻想を共同幻想に転化させることなく維持することで共同幻想に対抗できることを示唆している。しかしこの国の戦後史が証明するのは、対幻想は共同幻想から独立することはなく、常にその再生産の温床となるという現実だ。今日の情報技術は個人が複数のアカウントを所持し使い分けることを可能にする「ように」、ある幻想に依拠したアイデンティティと別の幻想に依拠したアイデンティティは同じ人物の中に容易に並存する。妻子を守る「ためにこそ」職場では「社畜」となり集団の中に個を埋没させ、思考停止するーーこういったありふれた戦後中流を生きた大衆のアイデンティが、共同幻想に対し対幻想を根拠に「自立」していたとは間違えても言えない。彼らはむしろ、対幻想に依拠していた「からこそ」共同幻想に埋没していたのだ。そしてそれは、吉本がイデオローグとして機能した60年代の学生反乱の季節から半ば自明だったことのはずだ。加藤登紀子の『時には昔の話を』のようにーーと比喩してしまうと少し面白がりすぎなような気もするが、革命という物語を背景に盛り上がっていた共依存的な夫婦や恋人たちはむしろありふれた存在であったはずだ(今日の反ワクチン的な陰謀論の主要な伝達経路の一つが、夫婦や恋人、家族や親しい友人間による一対一の関係性=対幻想であるように)。
にもかかわらず、吉本のこの言説が受け入れられたのは、その季節の終わりに彼らがヘルメットを脱いでゲバ棒を捨て、髪を切り、髭を剃り、スーツを着て、資本主義の歯車になるための免罪符を必要としていたからだ。革命より家庭を、対幻想に依拠することで共同幻想から自立することが必要なのだと説く言説が、自己正当化の論理として必要とされていたからに他ならない。そして、この事実は吉本の処方箋が当初から自立の要件を満たさないものであったことを意味するはずだ。
もちろん、ここで戦後日本的な矮小な家父長制「ではない」対幻想を想定することは簡単だ。家族未満の性愛に留まることでこの問題を回避することを試みた上野千鶴子の吉本批判から今日の「ケア」という魔法の言葉、あるいは錦の御旗に依存しながらロマンチックな修辞に彩られながら羅列される「繊細な関係性」「他者への倫理への開かれ」といった実質的には無内容な言葉たちまで、吉本の引いたレールの上を走る「対幻想」を処方箋とする「自立ね論は無自覚なものも含めこの半世紀反復され続けている。しかし、ここで問題なのはこれらの言説の空疎さではない。60年代末に吉本の提示した「自立」のプロジェクトの失敗は、対幻想への依拠こそがむしろ共同幻想への埋没をもたらすメカニズムを理解していなかったことに起因する。それは吉本が人間が複数の場所に接続する社会的な生物であることを過小評価したことによる、構想のレベルでの失敗なのだ。
たとえば、家父長制的な「所有」からフェアな「接触」へ、家族や恋人といった親密圏の関係性を「改善」することーーそれが望ましいことであることはもちろん前提としてーーは果たして、対幻想を維持するための共同幻想(関係を維持するために召喚されるイデオロギー)を強化することはあっても、解体することはない。むしろ、接触し続けることで維持される関係性の対幻想は、より強く共同幻想を要求することになる。
おそらく吉本本人もこの問題には自覚的であったと考えられる。吉本はーー当時すでにこの言葉を使わなくなっていたがーー「自立」の次なるプロジェクトとして、80年代にようやく日本にも到来した消費社会を肯定する。1985年に吉本は女性向けファッション雑誌『an an』に全身を固めて登場する。このパフォーマンスを、埴谷雄高は「資本主義のぼったくりを着ている」と批判する。対して、吉本はこの消費という回路が大衆を「個人」として解放する側面を評価すべきであると反論する。有名な「コム・デ・ギャルソン」論争だ。
〈「アンアン」という雑誌は、先進資本主義国である日本の中学や高校出のOLを読者対象として、その消費生活のファッション便覧の役割をもつ愉しい雑誌です。総じて消費生活用の雑誌は生産の観点と逆に読まれなくてはなりませんが、この雑誌の読み方は、貴方の侮蔑をこめた反感と逆さまでなければなりません。先進資本主義国日本の中級ないし下級の女子賃労働者は、こんなファッション便覧に眼くばりするような消費生活をもてるほど、豊かになったのか、というように読まれるべきです。〉
個人が好きなものを買い求め、用いることで「自己」を確認すること、こうした暮らしの喜びを大切にすることーーこれは、言い換えれば対幻想ではなく自己幻想に依拠して「自立」を試みるプロジェクトだった。しかしこれまで見てきたように「モノ」を消費することが人間に及ぼす力は、今日においては大きく失われている。
おそらく、その理由は三つある。まずそれは既に「当たり前のこと」に他ならないからだ。今日においてモノを「消費すること」は人々がその味を覚え始めたときのような魔力は失われている。人間がエンジンを発明してからおよそ100年で、機械による身体拡張の快楽(運転)を安全と引き換えに手放すことに躊躇いがなくなりはじめているように、消費の魔力もすでに損なわれて久しい。そして次にこれも以前確認した通り、今日の情報社会下においては「モノ」よりも「コト」に価値の中心が移行したためだ。私たち人類はいま、自らの体験を言葉や画像、映像を用いて発信すること、そしてそれが他者から承認されることに大きな価値を見出している。このときモノの消費は金銭と情報と引き換えに、どこの誰でも手に入る体験として、相対的に低い価値を与えられているためだ。
そして三つ目ーーこれがもっとも重要なのだがーーが家族から消費へと進行した吉本の「自立」の戦略が、マルクス主義や、戦後民主主義といった旧時代のイデオロギーを解毒するその一方で、イデオロギー未満の現状肯定の欲望と結びついていったことだ。
2.「語り口」の問題
吉本の「自立」の思想が戦後日本社会の大衆社会を特徴づける淡白な非政治性に、最終的には無自覚な現状肯定以外に選択し得ない思考停止に接続されることーー。私たちはこの問題をたとえば30年前の湾岸戦争での、吉本とその追随者たちの言動に代表させることができる。このとき吉本隆明とその影響下にある人々は、護憲派の主張が実質的な一国平和主義に甘んじていることに批判を加えた。今日の人権感覚に照らし合わせれば、この批判の「内容」については概ね妥当なものだったと評価できる。30年後の今日において、日本の国土と日本人の人名の尊重を理由に外国間の侵略行為に対し態度表明を保留するという選択が倫理的に許されるとは到底考えづらい。しかしその一方で、30年後の今日においてはこのときの「国際貢献」の違憲性ーー自衛隊という事実上の軍隊保持まで遡る憲法9条との齟齬ーーの解釈改憲による是認が、その後の憲法の有名無実化を結果的に是認し、長期政権のもとに公文書さえも書き換えられる民主政治の大きな後退の端緒となったことも疑いようはない。
吉本の「自立」の思想が陥った罠は、おそらく糸井重里を通してより顕在化している。糸井は吉本の思想をこの国でもっとも早く、大規模にインターネット上で展開した存在だろう。彼の主催する『ほぼ日刊イトイ新聞』を一読すれば明らかだが、その徹底した非政治性と実質的なECサイト化による「モノ」消費への回帰ーーこの二点において、糸井は吉本の思想の最大の後継者であり、市場における実践者でもあるはずだ。
糸井は「ほぼ日」を通じて物語を付与することで付加価値を与えた「モノ」をその読者に販売する。それは「暮らし」のレベルでモノと人間との関係を豊かにすることで、インターネットを通して人々を「動員」するイデオロギーからの「自立」の戦略でもある。「モノ」に「物語」を付与することを重視するのは、社会の情報化で相対的にその力を減じた「モノ」の消費を補うためだ。むしろ物語=情報=コトに、糸井の販売する「モノ」の付加価値はある。一着14万7千円のオーダーメイド気仙沼ニッティングのうち、いくらが「ほぼ日」の語る復興をめぐる「物語」によって付加されたものなのか……という意地悪な指摘もできるのだが、問題はむしろその物語が読者に訴える力がほぼ「語り口」によって決定されていることだろう。
コロッケへの愛情をかたるエッセイや、「野球とガンダム」といった雑談的なコラムから、安宅和人や古川健介といった実業界のインフルエンサーと糸井との対談まで、『ほぼ日』の記事のほとんどは表面的には無内容だ。少なくとも、与えられた字数の割に無内容に近い。しかし、そこがいい。コロッケを、野球を、ガンダムを、安宅和人や古川健介を「こんなふうに」触れてしまうことそのものが糸井のメッセージとして機能している。近所の商店街のお肉屋さんのコロッケを再評価する「ような」視線をもつことが、私たちの日常を豊かにする。世界を見る目と歩く足を強化する。私も一読者として、この糸井の「語り口」から多くのことを受け取ってきた。
そのその対象を柔らかく、丁寧に触れる手付きは、眼の前の事物との対決ではなく調和をもたらす。しかし問題はこの「語り口」はイデオロギーや正義を解毒する一方で、世界に対する違和感を封じ込める作用があることだ。肉屋のコロッケを再評価する視線は、ときに現状を肯定「しない」ことにも結びつくことも原理的にはあり得るはずだ(たとえば、消費環境の画一化を批判するスローフード運動のような主張に接続する、とか)。しかし、「語り口」に価値の中心を置く糸井のメッセージは、たとえば目の前のものを強く否定するという洗濯を排除してしまう。肉屋のコロッケを再評価する視線が、結果的に怒りや、苦しみの表明につながる可能性を、「語り口」の肥大は事前に摘み取ってしまう。その対象に対する距離感や進入角度に対して明らかに制限を加えている。
〈ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。〉
ある価値を語るとき、「語り口」に制限を加えることで、人はより自由になる(こともある)。イデオロギーの与える「正しさ」に思考停止した人々が、空前絶後の虐殺を反復してきた20世紀という時代を経た私たちは、絶対にそのことを忘れてはならない。しかし、特定の「語り口」を選択することを優先するとき、人は逆に不自由になる。世界に対する違和感を、表明できなくなる。
スキャンダラスでないこと、脅かしていないことを大事にするーー私はこの糸井のスタンスに完全に同意する。「失礼ではない」こと「ユーモアのある」ことを大事にするというスタンスもそうだ。しかしここに「正しさ」を含めてしまってもよいのだろうか。もちろん、20世紀の左翼が陥った共同幻想の、イデオロギーの罠のことを忘却してはいけない。「正しさ」が人間を、他の誰かを排除する快楽の中毒にもっとも効率的に導く麻薬であることを忘れてはいけない。しかし「正しさ」を語ることそのものを避けてしまったとき、人間は世界に対して無抵抗になる。理不尽や不公平に対して、言葉を失う。この無抵抗であることしか選ぶことのできない世界が、たとえば『ほぼ日』の提供する価格帯の洋服や小物を買い揃えることの難しい、この国の若い働き手の人たちにどう見えるのか、糸井は少し考えてから発言して欲しかったように(20年来の「ほぼ日」愛読者としては)強く思う。
糸井は徹底して「何を」語るかではなく「どう」語るかの次元で読者にメッセージを伝える。ある事物そのものの価値ではなく、それを語る話者の「語り口」の心地よさによって人を引きつける。一定の「語り口」を身につけることで、世界に対する距離感と進入角度の自由を確保すること、それが吉本の思想の実践者としての糸井重里の戦略だ。しかし、この吉本的に表現すれば「重層的な非決定」を維持する「語り口」は基本的に現状肯定への欲望と結びつき、むしろ自由から人間を遠ざけていくのだ。
「語り口」のレベルでイデオロギーを解毒する知恵を、私たちは忘れてはいけない。しかし語り口を優先して、語るべき内実を損なってはいけないのではないか。「語り口」を大切にすることで、私たちは「正しさ」を解毒しながら用いることができる。しかし、それがある「語り口」を維持するために、ある方向の「正しさ」を語ることを避けることに踏み込んだとき、人間はもっとも奴隷に近くなるのだ。
では、どうするか。初回で述べたようにここでは吉本とは違うかたちで自己幻想に依拠した「自立」を考えてみたい。もっと言ってしまえば、自己と事物との関係に依拠した世界とのつながりについて考えてみたい。歴史や国家に自己の存在意義を見出すのでもなければ、他の誰かに認められることに見出すのでもなく、ただ自己が存在することのみで世界に対する手触りを実感できる条件こそが、この連載で考えてきた「庭」の条件だからだ。
3.砂漠と都市
今日の情報社会下の自己幻想は、「自立」どころかプラットフォーム上の相互評価のゲームを通じてむしろインスタントな共同幻想への回路になっている。マーシャル・マクルーハンは、情報技術によるメディアの発展が地球全体を一つの文脈を同時に共有し続ける一つの村落のような共同体に変貌させていく可能性を指摘した。1962年刊行の『グーテンベルグの銀河系』で予言された「グローバル・ビレッジ」と呼ばれるそれは、21世紀の今日において、インターネットのプラットフォーム化によってまさに実現されている。私たちは、本連載で繰り替えし指摘するように情報技術の与えるインスタントな承認の交換の快楽を手放せなくなり、このゲームの常態化がグローバル資本主義のより上位のゲームにより際限なく進行している。私たちは、情報技術に支援された村落的な相互監視を自ら再召喚し、そして都市の自由を手放しつつあるのだ。
こうして考えたとき、インターネットと都市の関係はサイバースペースと実空間の関係であると同時に、村落と都市の関係でもある。人間を共同体の重力で縛る村落から、個人として解放とする都市へ。今日のインターネットのプラットフォーム化は、言い換えれば都市化に対する巨大な反動だ。
ここで参照したいのが、かつて柄谷行人が展開した村落と都市、共同体とその外部をめぐる議論だ。かつて柄谷は都市を「砂漠」、あるいは「海」の比喩で表した。預言者モーセがユダヤの民をエジプトから引き連れて脱出し、約束の地を求めて放浪した「砂漠」のように、あるいは古代の船乗りたちがその生命を賭けて渡った「海」のように、そこは言語ゲームを共有する(ために共同幻想を共有する)共同体の「外部」だ。そこでユダヤの民たちは農耕社会下の奴隷から解放され、「砂漠」をさまようことで再び神と対峙する。船乗りたちは、「海」の上でただ天文という非人間的なシステムに対峙することによってのみ、生きて次の港にたどり着くことができる。
そしてこれらの旅人たちの「交通」の要衝に発生していった「都市」においては、「砂漠」「海」を渡り歩いた彼らーー共同体から切り離された人々ーーのコミュニケーションが行われる。都市において彼らは「商人」として振る舞う。「商人」のコミュニケーション(商取引)においては、村落のごとに存在する共同体の論理が機能しない。ここでいう共同体の論理とは、(共同幻想に埋没し)自己が集団の一部となり、自他の境界線が曖昧になることで自分自身の意思というものが機能しなくなる仕組みのことを呼ぶ。砂漠の旅人や船乗りが対峙する天文の論理がそうであるように、都市の商人たちがときに騙し騙され反復する契約を用いた商取引の反復においてもこの共同体の論理は機能しない。同じ共同性に依存しない人間は、「他者」として現れる。互いに他者として現れ、言語ゲームを共有しない者同士のコミュニケーションが連鎖する「都市」において、人間は「砂漠」や「海」を旅するときと同じように単独の個である以外にないのだ。
柄谷は砂漠=海=都市の比喩で表現した共同体の〈外部〉で活動する人々のネットワーク(交通)の場を、を「社会」と呼び、人類にとってもっとも普遍的で根源的なシステムだと述べ肯定する。そして単独の個であることを放棄した人々の群れを村落的な「共同体」と呼び、否定する。
これは吉本隆明的な「自立」のプロジェクトが、結局は戦後の中流化の中で依存すべき共同幻想の対象を国家から職場と家庭へ移行させることにしかならなかったことへの批判としても機能していた。この柄谷の議論は、吉本の影響下にある人々ーー加藤典洋、竹田青嗣らーーからの反論的な批判が加えられた。柄谷の自らが共同体の外部に接近し、共同体を批判する資格を得られると仮定する思考こそが、多かれ少なかれ誰もが依存する共同性への自覚から人間を遠ざけてしまう、というのがその大まかな骨子である。自らの依拠する共同性にもっと無自覚な位置から、柄谷に言説は構築されたものであるというのだ。しかし、今日においては本当の問題は別に存在する。今日における問題はむしろ、かつて柄谷が砂漠=海の比喩で述べた単独の個たちの「交通」の場は、まったく別の形ですでに出現しているのではないか、という問題だ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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