メリトクラシーの予想外に大きな弊害について
今日は久しぶりにSNSについて書きたいと思う。僕がときどき驚くのは、この2024年になっても「Twitterぽい」アカウントに遭遇することがあることだ。いや、X(Twitter)なんだからそうだろう、と思うかもしれないけれど、僕がここで述べているのはたぶん文化としてはコロナ禍の少し前に流行したスタイルをいまだに続けているタイプのアカウントだ。つまり、引用リツイートとかで、いろいろなものに毒ついて、自分は賢いとほとんどいないフォロアー(実質的には自分自身)に言い聞かせているタイプのアカウントだ。本当に賢いのならとっくに何者かになっていると思うのだけれど……というツッコミはさておき、やはりこの手のアカウントで本当に賢いケースは皆無で、むしろ考える力は弱いのに、どうにかしてマウントを取れているかのように見せるために、ものすごくメチャクチャな内容になっているパターンがすごく多い。要するに、そもそもの事実関係が間違っていたり、相手の主張そのものを叩きやすいように改変していたりする。
しかしこれ、たぶん当人たちはあまり悪気がなくやっていて、というか必死に反論できているように見せようとした結果として、こうなってしまっていると思うのだけど、やられたほうはデマを拡散されているのと変わらないので、たまったものじゃないだろう。
(あと、例によって多いのは自分たちの界隈で「敵」「悪」という設定になっている◯◯と付き合っているお前はダメだ……みたいな攻撃。これ、ただのムラ社会のいじめの論理だと思うのだけれど……。当然だけれど、僕は100%意見が同じじゃなくても、その人のいい側面や仕事はフェアに評価して、きちんと話すようにしている。それをダメだという人がすごく多いけれど、民主主義とはなにか、少し考えたらよいと思う。)
ちなみに僕はワイドショーに出ていたころに、毎週のようにこういうアカウントに絡まれていた。普通にウザかったのだけど、その一方で、ちょっとこの人たちの「自分はバカじゃない」と思い込みたい気持ちは凄まじいな……と怖かったのを覚えている(そしてときどき思い出す)。僕は、このタイプの人たちをここまで追い詰めてしまっているものは何か、ということをちゃんと考えないといけないと思う。
このタイプの人たちは「何らかのかたちで自分は鋭い知性の持ち主だと、自分自身に証明したい」という欲望が抑えられなくなっていて、その結果としてGoogleで検索をかければ数秒で分かるような事実を無視したり、相手の直前のリプライの内容すら把握せずにとりあえず否定的な文言を投稿したりするようになってしまっている。こういう人たちの安易な知性をバカにするのは簡単なのだけれど、僕は言ってみればここに「切実さ」を感じるのだ。他に尊厳の獲得方法がない状態にまで、いつの間にかこのタイプの人たちは誘導されてしまっているのではないか、と思うのだ。
最近、マイケル・サンデルやデイビッド・グッドハートという保守系の知識人がメリトクラシー批判を展開している。知識社会に適応したタイプの人間が、経済的にも社会的にも高評価を受けすぎていることが、社会の分断を加速している……と言うのが大雑把に要約すれば彼らの主張の論旨だ。
僕は彼らそれぞれの主張を全面的に支持することはできないけれど、重要な視点を与えるものではあると思う。要するに、僕はこの種のあまり褒められたものではないユーザーたちの行為を批判するだけで、問題が解決するように思えなくなってきているのだ。
果実がある。うまい。しかし毒性がある。毒性があると教えられても手を伸ばしてしまう人たちに対してしっかり啓蒙するのももちろん大事だ。焦って果実を得るための窃盗や暴行罰せられるべきだ。しかし、そもそもその毒性のある果実に手を出さないと生きていけないくらい人が飢えている状態にメスをいれるのも大事だと思うのだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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