- 運営しているクリエイター
2018年7月の記事一覧
音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・前編)(PLANETSアーカイブス)
今朝のPLANETSアーカイブスは、音楽フェスからアウトドアまでを幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんのインタビューです。日本にアウトドアカルチャーが定着するまでの過程や、2000年代以降のアウトドアシーンで野外音楽フェスが果たした役割について、お話を伺いました。
※この記事は2016年5月19日に配信した記事の再配信です。
《これま
いま再編されつつある「フィクションと人間の関係」とは?――成馬零一、宇野常寛の語る『ど根性ガエル』(PLANETSアーカイブス)
今朝のPLANETSアーカイブスは、ドラマ『ど根性ガエル』をめぐる成馬零一さんと宇野常寛の対談をお届けします。現代におけるファンタジーの機能・役割とは? 過去作『銭ゲバ』『最後から二番目の恋』『泣くな、はらちゃん』を経て、脚本の岡田惠和がこの『ど根性ガエル』の劇中で出した「結論」について語りました。初出:『サイゾー』2015年11月号
※この記事は2015年11月24日に配信した記事の再配信です。
キャラクター認識論・感情論 | 三宅陽一郎
ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。自己像を外界から切断する西洋型認識論と、主体と外界が溶け合う東洋型認識論を比較しながら、感情の働きや自己投影を通じて、知性が世界へと干渉するプロセスを読み解きます。
オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき
第六章 キ
ゲームにとって快楽とは何か――「快楽」説の検討(1) | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。ゲームを構成する様々な要素は、快楽の観点からゲームそのものと区別することはできるのか。これまで議論してきた強化学習プロセスをさらに拡張し、社会の中で自己生成し続ける運動の原理としてのゲームのあり方を考えます。
井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
10年後にたどり着いた〈幸福な関係〉? 復活バンドブームは何をもたらしたか(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第16回)
80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。近年、LUNA SEAやX JAPANなど、V系全盛期を築いたバンドの再結成が相次いでいますが、約10年ぶりの再起動をどう捉えるべきなのか。V系バンドの「再結成」のあり方を議論します。(構成:藤谷千明)
【告知】「すべての道はV系に通ず」が書籍になります!本メルマガの内容に
堤幸彦 悪ふざけと革命願望(2) | 成馬零一
ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。第2回では、『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』『TRICK』などで知られる映像作家・堤幸彦を取り上げます。1995年に「土9」枠でヒットした『金田一少年の事件簿』は、以降のキャラクタードラマの先駆けとなる、画期的な作品でした。
テレビドラマクロニクル(1995→2010)
第2回 堤幸彦 悪ふざけと革命願望(
もはやサブカルチャーは「本音」を描く場所ではなくなった――『バケモノの子』に見る戦後アニメ文化の落日(宇野常寛×中川大地)(PLANETSアーカイブス)
今朝のPLANETSアーカイブスは『バケモノの子』をめぐる評論家の中川大地さんと宇野常寛の対談をお届けします。『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』などでヒットを飛ばし、ポストジブリの最右翼と目される細田守監督とスタジオ地図。その最新作が逆説的に示してしまった戦後アニメ文化の限界とは?
初出:「サイゾー」2015年9月号(サイゾー)
※この記事は2015年10月7日に配信した記事の再配信です