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わくわくと新鮮味が欠けた現代


バイト帰り、本屋さんに寄った。

特に目当てがあるわけではないが、ズラリと並んだ本棚を見上げて歩いていると、不思議とその時の自分に必要な情報と出会える。

パッと目を惹く表紙や、キャッチーなタイトル。

何気なく手にした本が、まるで自分だけのためにあるかのように思える瞬間がある。

私はやっぱり、電子書籍よりもこうして偶然に出会うことができるアナログな紙が好きみたいだ。


そんな今日、『世界の美しいさんぽ道』という写真集を手に取った。


あ〜、世界にはこんな場所もあるんだな。

そう思った。


特に大きな感動もなく、ただそう思った。


でも、、、ふと、帰りの電車で考える。

これって、どうなんだろう。


今はありふれた情報が世の中に回っている。

例えば、LINEニュースとかでよく送られてくるような「死ぬまでに観たい景色5選」とか、「旅行先の人気インスタ映えスポット」とか。TwitterやInstagramでも日々更新されているもの。



もし、さっき私が手にした「さんぽ道」が
旅行先で、偶然出会った道だったらどうだろう。


きっと、今の100倍は感動する。そう思った。


もちろん写真集が悪いわけでもないし、知った事で行ってみたい気持ちに繋がる時もある。リサーチ後に実物を目にしたときに感動しないわけではない。


でも、なんだろう。。

上手く言葉では表せないが、

あらゆる面において、ある意味

私たちは知りすぎているのかもしれない。


"山登りで、登山をせずとも
簡単に山頂からの景色を見れるような"

そんな感じ。

もちろんそれでも綺麗だが、山頂にたどり着くまでの長い道のり、脚の疲れ、頑張った気持ちを越えてこそ染み渡る頂の感動があるのではないか。



リアルで経験せずとも、リアルな体感を味わえる。

それは時に便利で、時に退屈だ。

そして、「つまらない」が積み重なれば、
わくわく新鮮味はどっと欠ける。

見えすぎる故にそこにあるものが見えなくなって、
より大きな刺激を求め、それを繰り返す。



それは本当に幸せなのだろうか。

んん...わからない。

わからないけど、

答えが見えないまま歩くことも悪くない。

必要なものは必要な時に現れるから。

そのために私は、本屋を巡っているのかもしれない。



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