蝉が鳴き始める季節になるとよく、9年前の夏のことを思い出す。 その夏、小学6年生のぼくは、塾からの帰り道を母親と歩いている。大事な話がある、と言って母親は、僕を自転車から降ろし、二人で自転車を押しながら、川沿いの道を歩く。空はもう日が落ちかけていて、それでもうだるような暑さはずっと続いていた。コンクリートで囲われた川は眼下に夏の水を湛え、静かに海へ流れている。蝉の声と、自転車のチェーンが空転する音だけがしばらく耳に響いて、六時を告げる市のチャイムが鳴った。 母親が
戦争をしている人を見ると、僕はいつも、戦争なんてしなければいいのに、と思う。でも、戦争をしている人はきっと、やむにやまれぬ事情があって戦争をしているのだろう、かれらが何を考えて戦争をしているのか、僕には知る由もない。 けれども、ひとつあきらかなことは、戦争で死んでいるのは戦争をしている人ではなくて、戦争をさせられている人たちだということだ。 それと、加えていうならば、今私は安全なところから中継しています、僕はその戦争では、絶対に死ぬことがない。 戦争は主語を大きくす
大学も3年生のこの時期になってくると、教室の髪の毛がだんだんと黒くなってくる。一年生のころは赤、青、金とあんなにもカラフルだったのに、いまは見渡す限りの黒、黒、黒、それにたまの茶色だ。そんなにも髪を黒くして何を話しているかというと、教室からはやれESだ、インターンだなどと聞こえてくる。次第に教室にはスーツ姿で入ってくる者も増えてきて、授業では教授が就活での休みは公休にカウントしないと注意を始める。別々の教授から、もう3回は聞いたその話を、僕はずっと遠くから眺めている。
この文章は、私によって、あなたに読まれるために書かれている。 わたしはあなたのことを知らない。あなたが誰なのか、わからないし、もしかしたら、あなたも私のことを知らないかもしれない。しかし、それでも、私は他でもないあなたのためだけに、この文章を書いている。 あらゆる文字は読まれるために書かれる。あらゆる歌は聞かれるために、あらゆる絵は見られるために、あらゆる料理は食べられるために、つくられている。あなたはそのすべてを目撃することはできないが、少なくともあなたはそのうちの
デリーから電車で6時間、インド北部の都市、アムリトサルは長い顎髭と頭に巻かれたターバンで溢れていた。その街にはインド全人口の約1.7%を占める少数宗教・シク教の信者が数多く住んでおり、その宗教では男性信者の誰もが、トレードマークとして競うように顎髭を伸ばし、誇らしげにターバンを巻いていた。 アムリトサルにはシク教の総本山が置かれている。1.7%といっても数にして2000万人強、仏教に次いで世界第5位の信者数を誇るシク教はやはり総本山も壮大で、黄金に輝くその姿は「ゴールデン
どこまでも続く長い道、あるいは、終わりの見えない細い洞窟を、僕はいつも歩いていた。そのペースはつねに不規則で、それでも、僕はずっと何かに向かって進んでいた。周りには他の人間がいることもあり、そのうちのいくつかとは、何らかの話をしたりもしたが、それとは無関係に、僕はいつも独りだった。 〇 いつも目的のために学んでいた。小学校のときそれは中学受験で、中学のときは定期テストの点数、高校の時は大学受験で、今は単位になった。時と場合によって目的は形を変えてきたが、勉強以外でもそ
タランバンは雨の多い街だった。 九月、ぼくはフィリピンのセブ島にあるその街で、一ヶ月間の短期留学をしていた。セブといえばのリゾートの雰囲気などかけらもないその街には、いくつも英語学校があって、その街ではどこでも、夕方になると決まって土砂降りのスコールが降った。 ⚪︎ ぼくはその学校に、本当であれば3年前に来ているはずだった。しかし、コロナによってその学校は休校となり、エージェントの取り計らいで、ぼくの留学の予定は、そのまま3年後の夏に移されることになった。しかし、3
スピッツというバンドに、ウサギのバイクという曲がある。彼らの歩みの中でも初期の尖っていたころにリリースされた曲で、歌詞の半分がスキャットでできている、変な曲だ。 ⚪︎ ぼくがその曲をはじめて聴いたのは15の夏で、その時、乗っていた小田急線が、やけに強く揺れているように感じたのを憶えている。 ⚪︎ ぼくはその曲をかなり気に入って、それからそればかりをループして聴いていた。そういうわけで、その曲を聴くと今でも、15歳のころのことを色々と思い出す。 その中に、いつも決
昨年の夏にインドに行った。友人に誘われ、単に観光目的で行っただけであったが、その国に行く他の多くの人と同じように、そこに訪れることで何か自分の中で価値観が変わるかもしれない、という淡い期待を抱かないわけではなかった。 ありきたりな表現だが、インドはとにかく混沌とした国だった。一歩空港の外を出るとすぐに十余人の詐欺師に囲まれ、タクシーは手配したか、SIMカードはあるか、金を恵んでくれととにかくうるさい。街では牛が当たり前のように車の横を開歩しているし、車線や信号を守ってい
※大学の講義で書いた歌評です。けっこう良い評価をもらったのでここにも載せます。大学向けに書いたものなので、無理に字数が引き伸ばされています。そこも楽しんでいただければ。 この歌をどのように読むか、ということを考えた時に、この歌の解釈でもっとも意見がわかれるところはどこか、というと、それはおそらく、「新聞の匂い」がいったい誰の手に残っているのか、というところであろう。これは言い換えると、この歌の作中主体がどこにいるのか、ということにもなる。すなわち、水難事故で死んだ子供の手
1000字くらいのエッセイを書け、と言われて10月に書いたエッセイ。念のため言っておくけど、ぼくは東京出身です。 怖いことは世にさまざまある。いつも財布に入っているはずの定期をなくしてしまうことが怖いし、好きな人からLINEが返ってこなくなるのも怖い。寝坊して単位を落とすことが怖いし、バイトでミスをしてしまうことも怖い。生きていれば、たいていは何かのことをつねに恐れているような気さえする。しかしそれでも、もっと怖いもの、もっとなにか、自分を根源から不気味な気分にさせるよう
高円寺のアール座読書館、かなりいいところなのでぜひ行ってみてください。全部の席にこういうメモがあって、みんな色々なことを書いていてかなりおもしろいです。
『メアリージェーン』という曲。andymori解散後にその初期メンバーが中心となって結成されたバンド・ALのファーストアルバム『心の中の色紙』の収録曲。とにかく良すぎるので、とりあえず聞いてほしい。 僕はandymoriが大好きで、音楽を聴くときは、いつでもどこかでその幻影を追い続けている。メアリージェーンはALの曲の中でもかなりandymoriがもつ雰囲気と共通のものを持っていて、だからそこに”光”をみたのかもしれない。 曲を再生する どこからともなく ”slow
青松輝という歌人が、こういうnoteを書いていた。 これについて、夜中にいろいろと考えたので、その一つの結論として、考えたことをここに書いていきたいと思う。”創作”という概念について、この青松の記事にあるそれを完全に引用するわけではないが、少なくともそこからの影響を多分に受けていることは先に述べておきたい。 さておそらく、青松のような人間は、人生における創作の、その自己表現のアウトプット方法を人よりも上手く備えている。それは、単に彼が彼の創作において最も相性がい