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デリーから電車で6時間、インド北部の都市、アムリトサルは長い顎髭と頭に巻かれたターバンで溢れていた。その街にはインド全人口の約1.7%を占める少数宗教・シク教の信者が数多く住んでおり、その宗教では男性信者の誰もが、トレードマークとして競うように顎髭を伸ばし、誇らしげにターバンを巻いていた。
アムリトサルにはシク教の総本山が置かれている。1.7%といっても数にして2000万人強、仏教に次いで世界第5位の信者数を誇るシク教はやはり総本山も壮大で、黄金に輝くその姿は「ゴールデン・テンプル」として耳目を集め、世界中から巡礼者だけでなく、数多くの観光客も集めている。
僕がその街に入ったのは8月のある曇りの日で、深夜に駅に着き、ホテルで一泊してから直ぐにその黄金寺院を訪ねた。入口前の広場は一面が大理石の床になっていて、巨大な噴水が中央に構えている。靴を預け、足を清めて門をくぐると、中には大理石の床と建物で四方を囲まれた、サッカーコート3面分ほどの広さの池が広がっていた。池の中央には全面が金箔であしらわれた金色の本堂が聳えており、ちょうど日本の金閣寺のインド版というような印象である。しかし金閣寺と異なるのはその人の数で、本堂に繋がるように掛けられた一本の橋の上は、まるで山手線のように参拝客の行列で寿司詰めになっていた。
ふと足元を見ると、ターバンを巻いた信者が池の中で本堂に向かい熱心に沐浴をし、他のところでは床に手をつき神妙そうに祈っている。その横で、オレンジ色の即席ターバン、寺院に入るためには頭に布を巻く必要があり、寺の外にはそのために観光客向けのオレンジ色の三角巾を売っている業者が大量にいる、を巻いた訪問者が、ニコニコとセルフィーを撮っている。私にはそのコントラストこそが、異教徒をも総本山に受け入れてしまうシク教の、その平等の精神と懐の深さの象徴であるように思えてならなかった。思えばこの門をくぐる時、これまでインドのありとあらゆる施設の入口で受けてきた荷物検査を、全く受けなかったことに気がついた。その性善説と寛容の姿勢が、おそらくシク教の本懐なのだろう。
参拝を終え、寺院を出て他の観光地を巡ったが、それほど見どころの多い都市でもないゆえ、夕方にはまた黄金寺院へ戻ってきてしまった。
夕暮れ時の黄金寺院はまさに絢爛だった。ライトアップに照らされた本堂が、薄明の中で輝いている。その静物としての美しさだけでなく、その下にいる人間たちの敬虔さと祈りによって、静謐ながらも、その内側にまるでライブのように熱狂するかのような、形容しがたい動的な美しさをも確かに私は感じていた。私はその中を、何をするでもなくただ何周も歩き続けた。
黄金寺院の敷地内には、シク教の平等の精神に則って、来訪者全員に無償で食事を提供する巨大な食堂があった。私はそこで夕食を取ることにした。食堂では、全員が横一線に並んで、床で食事をとる。聞くと、カースト階層の異なる人間とは決して同じ食卓で食事をしないヒンズー教への、カウンターの意味合いがあるという。
いずれにせよこの食事は私にとって存外に幸福な体験となった。これまでは観光客として、部外者の一人でしかなかった私が、一時的にでも現地の人々と同じ目線で飯を食べることができている。これまでの旅でどことない疎外感を感じていた私にとっては、そのことがたまらなく嬉しかった。前を見ると、私の向かいに座ったみすぼらしい格好の老人が、おかわり自由のロティを何枚も袋にしまって持ち帰ろうとしている。頭には私と同じオレンジ色の三角巾が、しかしかなり草臥れた様子で巻かれている。おそらく、あの布一枚で毎日のようにここに来ているのだろう。それすらもこの食堂は受け入れ、彼も私も含めて、全員が同じ高さで飯を食う。ここでは、誰もが平等だった。
しかし同時に、この大きくも小さい聖域でいま成立しているこの理念的平等は、おそらく何人かの、インドの資本主義のもとで莫大な富を得たシク教徒のパトロンたちによる、多額の寄付によって一時的に成立しているにすぎないということも、考えなくてはならないことだった。
食堂を出ると、礼拝の時間だったのだろう、人々が跪き、本堂に向かって祈りを捧げている。この時間は観光客も少ない。寺院にいるほとんど全員が、一様に中央に向かって頭を下げている。その光景は圧巻だった。動いている。黄金寺院が躍動している。その圧倒的な動的美を前に、私はしばらく立ち尽くしたまま、何もすることができなかった。
しばらくそれを眺めた後、私も祈りの環に加わることにした。見よう見まねで頭を下げているうちに、だんだんと無心になってくる。別に私は神の存在はあまり信じていないし、シク教の神格構造、それはすごく複雑そうで、日本語の資料もほとんどなかった、もろくに理解していないけれど、それでも祈りという行為の尊さの一端には触れられたような気がした。
そして今度は、それを続けているうちに、次第に自分自身がどんどんと小さくなっていくような錯覚に襲われた。自分の意識が、自分の肉体からどんどんと乖離していって、まるで引きの画で自分を眺めているような感覚、それは、自分というひとつの主体が、他のたくさんの人々のそれと一緒に、この寺院を中心とした一個の大きな主体に吸い込まれていくような不思議な感覚だった。それが神への帰依だとか、神秘的な体験だとかは絶対に思わないが、少なくともこの時、私は自分自身を驚くほど客観視していて、それと同時に、自分自身がこの星に生きるただのひとつの小さな生物に過ぎないのだという、妙な達観も感じていた。
そして、そのように自分の主体が吸収されるような感覚を抱いた瞬間に、私は同時に、私とインドの距離が、ぐっと縮まったように感じた。いま彼らと一つの輪の中にいるという事実を超えて、何か感覚の中で、今まで感じていた疎外感の壁が取り払われ、彼らと同じ物語を共有できているかのような気分になれたのだ。それは極めて一時的なものだったが、私は、私とインドとの距離が、この寺院の中で、この祈りを通じて確かに縮むのを感じていた。
寺院の門を出ると、広場の大理石の床の上は、そこで一晩を明かそうとする人々で埋まっていた。私はそれを横目にリキシャに乗り込み、ホテルに帰って夜を明かした。