怖いこと

1000字くらいのエッセイを書け、と言われて10月に書いたエッセイ。念のため言っておくけど、ぼくは東京出身です。


 怖いことは世にさまざまある。いつも財布に入っているはずの定期をなくしてしまうことが怖いし、好きな人からLINEが返ってこなくなるのも怖い。寝坊して単位を落とすことが怖いし、バイトでミスをしてしまうことも怖い。生きていれば、たいていは何かのことをつねに恐れているような気さえする。しかしそれでも、もっと怖いもの、もっとなにか、自分を根源から不気味な気分にさせるような怖いことは、どうももっとほかのところにあるような気が、ずっとしている。
 北海道に雄武町という小さな町がある。オホーツク海の沿岸にぽつりとたたずむ港町で、人口は5000人にも満たない。昔は鉄道が通っていたが、平成になるよりも前に廃線になった。町唯一の公共交通はいまのところ、近くの紋別という街までを結ぶ日に3本の町営バスだけである。見ればわかるように、風前の灯火だ。日に3本しかないバスも満杯というわけではない。いつも乗るのは決まって2,3人の病院へ行く老人たちだけで、ひどいときには客をひとりも乗せず、雄武の空気を紋別に運んでいるだけの時だってある。しかし別に、そのことを怖いと言いたいわけではない。怖いことは、もっと他のところにある。
 日に3本のバスの一本目は、朝の6時14分に雄武の町を出る。もちろん今日だって、朝の6時14分、私が東京の自宅で眠っているうちに、客をたぶん3人くらい乗せて、そのバスは時刻通り町を出発したことだろう。昨日だって今日だって、あるいは3年前も、たぶん1年後も、そのバスは客を乗せたり乗せなかったりしながら、毎朝6時14分に町を出発するのである。そして私は、そこから遠く離れたところで、そのバスとはまるで関係のない生活を送りながら、昨日も今日も、3年前も1年後も、眠ったり起きたりしながら、毎日6時14分を迎えるのだ。これを読んでいるあなただって、たぶんそうだろう。わたしやあなたの、知覚や、生死にかかわらず、雄武町のバスは、毎日6時14分に出発している。そのことこそが、私をたまらなく怖くさせるのだ。

-まだ誰も見たことがない惑星で流星群がいま降っている(刮目をせよ)

2023.11.16 わきさか

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