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意見の合わない人と付き合う


戦争をしている人を見ると、僕はいつも、戦争なんてしなければいいのに、と思う。でも、戦争をしている人はきっと、やむにやまれぬ事情があって戦争をしているのだろう、かれらが何を考えて戦争をしているのか、僕には知る由もない。

 けれども、ひとつあきらかなことは、戦争で死んでいるのは戦争をしている人ではなくて、戦争をさせられている人たちだということだ。
 それと、加えていうならば、今私は安全なところから中継しています、僕はその戦争では、絶対に死ぬことがない。


 戦争は主語を大きくする。戦争で戦っているように見えるのはいつも2匹のすごくデカい巨人たち(野球じゃない)で、その裏では陰気なセコンドのおじさんたちが何かを囁いている。巨人の中でそれを構成しているひとつひとつの細胞たちの姿はあまり見えてこなくて、べつに特段考えたりもしない。その巨人はひとりの政治家のような見た目をしているけど、戦争の中では、政治家も細胞たちも、ひとつの主体になって、ひとつの主語を共有している、させられている。ウクライナが、ロシアが、ハマスが、アメリカが、ひとつの巨人になって蠢いているけれども、僕がその戦争で死ぬことは、絶対にない。


 僕も日本というそこそこ大きな巨人の中にいて、小さいころは、社会に出たら意見の合わない人とも付き合わなければならないと聞かされた。
 誰が言っているんだよ、と思う。僕も子供に、誰が言っているんだよ、と思いながら、同じことを言うのだと思う。僕の子供は戦争で死ぬかもしれない。

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