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和歌山紀北の葬送習俗(23)引導渡し

▼今年のお盆は、「十津川の温暖化」と「南海トラフ地震と井戸涸れ」などという理系テーマにドハマりしていたせいで、葬送習俗をすっかり忘れておりました・・・

▼さて、今週からふたたび葬送習俗に戻りたいと思います。

▼野辺送りの行先はもちろん墓地です。野辺送りの手続きはまだ終わっておらず、墓地に着いても葬列に加わっている者にはしなければならないことが残っています。今回は、墓地到着時の習俗を取り上げます。

▼なお、登場する市町村名とその位置は『和歌山紀北の葬送習俗(3)死亡前の習俗』を参照して下さい。ほとんどの事例は全国各地にみられることから、掲出している市町村名にあまり意味はありません。


1.棺を廻す習俗


▼「棺を廻す」の意味は、棺そのものを地球の自転のように回すのではなく、棺を含む葬列全体が円陣のようなものを組んで墓地の広場を何周か回ることをいいます。早速事例をみましょう。

・これを「穴廻り」という(和歌山県旧那賀郡打田町:昭和60年代,和歌山県旧那賀郡池田村:昭和30年代)
・墓地に到着すると3回廻る(和歌山県旧那賀郡粉河町中津川:平成初年代)
・墓地に到着すると左廻りに3回廻る(奈良県吉野郡旧西吉野村:昭和30年代)
・墓地に到着すると左廻りに3回半廻る(和歌山県旧那賀郡打田町:昭和60年代)
・墓地に到着すると右廻りに3回廻る(和歌山県伊都郡かつらぎ町平・大久保:昭和50年代)
・墓穴の周りを左廻りに3回廻る(和歌山県旧那賀郡岩出町:昭和40年代)
・六地蔵の前で廻る(和歌山県旧那賀郡粉河町野上:平成初年代)
・六地蔵の前で3回廻る(和歌山県旧那賀郡:大正10年代)
・六地蔵の前で左に3回廻る(奈良県吉野郡旧賀名生村:昭和30年代)
・迎え地蔵の前で左に3回廻る(奈良県吉野郡旧賀名生村:昭和30年代)
・僧の読経引導、近親者の焼香終了後に左廻りに3回半廻る(和歌山県旧那賀郡池田村:昭和30年代)
・墓が狭い場合は家で廻る(奈良県吉野郡旧西吉野村:昭和30年代)

▼これらの事例では、葬列が墓地に到着したときに廻るケースと、引導渡しが済んでから廻るケースがあることが分かります。また、何周廻るかについては3周から3周半の事例ばかりで、2周と4周では決してないことが理解できます。なぜ3周でなければならないのかについてはよく分かりません。

なぜ廻らなければならないのかについては、廻ることによって故人の霊魂が自宅に戻ろうとするのを迷わせるための呪術的行為と解釈されています(柳田 1937)。

▼故人の弁当として握り飯を「3個」作る習俗といい、昧(サンマイ。埋め墓のこと)といい、途の川といい、「4(四)=死」を忌み嫌いがちな日本人にとって、本来忌み嫌うべき数字は「3」であるような気がしてなりません。

▼管理人が実際に経験したのは「六地蔵の前で3回廻る」で、引導僧というか、村の坊さんに「3回廻って下さい」と言われて皆が回ったのですが、それが左右どちら周りだったのかは覚えていません。

後ろに見える屋根状のものが棺で、葬列が右回りで廻っているところ。(後藤ほか 1979:p29)
僧を中心に置いて葬列が右廻りをしているところ。(池田ほか 1979:p138)
これも右廻りの写真。(堀ほか 1979:p149)

2.読経・引導渡し・焼香等


▼葬列が墓地に着いて、さきに3回廻るにせよ、さきに引導を渡すにせよ、棺を一時的にどこかに安置しなければなりません。埋め墓の場合、野辺送りを経て墓場に到着したときに棺を置くための台座、もしくはそれに準ずるものが必ずあります。いちばん多いのが石で、これをお読みのマニアックな方が墓場の六地蔵の前や広場、お堂の正面に上部が平面のデカい石を発見なさったならば、それはその墓場がかつて埋め墓であり、その石は棺を置くための石であったことを噛みしめて頂きたいものです。

▼さて、何らかの台座に棺を置いたならば、読経と引導(いんどう)渡しが行われます。引導渡しとは、故人の霊魂に対してこの世との縁を切る=二度と戻ってくるなと宣言することです。事例をみましょう。

・棺を置き、僧の読経があり、導師が引導を渡し、血族姻戚の者が最後の焼香を行う(和歌山県旧那賀郡:大正10年代)
・棺を蓮華石の上に置き、僧が読経し近親者が焼香する(和歌山県伊都郡かつらぎ町大久保:昭和50年代)
・棺を墓地の式場に置き、僧が読経引導を行い、近親者が焼香する(和歌山県旧那賀郡池田村:昭和30年代)
穴廻りが終わると棺を輿台に置き、僧が読経し近親者が焼香する(和歌山県旧那賀郡打田町:昭和60年代)

▼このように、遺体を埋葬する前は必ず引導渡しの儀式と最後の焼香があります。そして、広場のある古い墓場は、葬列が廻るため、また、引導渡しの儀式をするために広場があるとみなすことができます(駐車スペースを広くとるためではありません)。

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▼管理人は、このページを書くにつれて以下の確信を得ました。それは・・・

墓場でいちばん怖いのは六地蔵である!!

▼夏のお子や若い輩は、やれ肝試しだと言っては夜の墓場に繰り出し、墓石の合間を歩き回ったりして「怖い怖い」などと戯言を垂れています。たしかに、(火葬の場合)積まれた墓石の間には遺骨が納められています。しかし、墓場でなによりも注目すべきは六地蔵です。

▼六地蔵とは何かについては省略するとして、六地蔵はどこの墓場でも必ず入口にあって、管理人の親世代は、墓参りや墓掃除を終えた後は必ず無縁仏と六地蔵を拝んでいました。

▼古い墓場の六地蔵は、自分の目の前で遺体と遺族がぐるぐる廻る光景を何千回、何万回と見ているわけです。その意味では、そこいらの邪悪で軽薄な幽霊ごときよりも、六地蔵のほうがはるかに重々しく恐ろしい存在であると考えます。

🔸🔸🔸次回につづく🔸🔸🔸


文献

●賀名生村史編集委員会編(1959)『賀名生村史』賀名生村史刊行委員会.
●後藤義隆ほか(1979)『南中部の葬送・墓制』明玄書房(引用p29).
●堀哲ほか(1979)『近畿の葬送・墓制』明玄書房(引用p149).
●池田秀夫ほか(1979)『関東の葬送・墓制』明玄書房(引用p138).
●粉河町史専門委員会編(1996)『粉河町史.第5巻』粉河町.
●那賀郡編(1922-23)『和歌山県那賀郡誌.下巻』那賀郡.
●那賀郡池田村公民館編(1960)『池田村誌』那賀郡池田村.
●西吉野村史編集委員会編(1963)『西吉野村史』西吉野村教育委員会.
●玉村禎祥(1972)「紀州岩出町の民俗―人生儀礼―」『民俗学論叢:沢田四郎作博士記念』pp88-95.
●東京女子大学文理学部史学科民俗調査団(1985)『紀北四郷の民俗:和歌山県伊都郡かつらぎ町平・大久保』東京女子大学文理学部史学科民俗調査団.
●打田町史編さん委員会編(1986)『打田町史.第3巻(通史編)』打田町.
●和歌森太郎編(1965)『志摩の民俗』吉川弘文館(引用p202).
●柳田国男(1937)『葬送習俗語彙』民間伝承の会.
※各事例に付記した年代は、文献発行年の年代(例:昭和48年発行→昭和40年代)とし、その文献が別文献から引用している場合(=管理人が孫引きする場合)は原文献の発行年の年代を付記した。但し、文献収集の段階で現代の市町村史が近代のそれをそのまま転載している事例がいくつか判明した(例:昭和中期の『●●町史』が大正時代の『●●郡誌』を転載、昭和中期の『●●町史』が昭和初期の『●●村誌』を転載、など)。したがって、事例の年代に関する信頼性は疑わしく、せいぜい「近世か近代か現代か」程度に捉えるのが適切である。

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