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〔翻訳〕昭和20年9月25日米軍和歌山上陸編

▼このページでは、和歌山上陸に関する米海軍第8水陸両用群の報告書を翻訳します。前置きはいつも通りです。なお、和歌山上陸に関しては映像が残されています。ここここここから視聴なりダウンロードなりができます。


同封書類(A)
東部占領群司令官(第8水陸両用群司令官)
第54.5 & 54.6任務群司令官

ACTION REPORT ON WAKAYAMA, JAPAN
(1945年9月25日~10月24日)

ファイル番号 FE-25/A16-3
シリアル番号 0281
アメリカ太平洋艦隊第8水陸両用群司令官
カリフォルニア州サンフランシスコ艦隊郵便局
1945年11月3日

From:東部占領群司令官(第8水陸両用群司令官、第54.5任務群、第54.6任務群)
To:海軍作戦部長
Via:
(1)アメリカ太平洋艦隊水陸両用軍
(2)アメリカ太平洋艦隊総司令官
表題:1945年9月25日~1945年10月25日の日本和歌山のアクションレポート
参照:
(a)アメリカ太平洋艦隊総司令官 作戦任務計画番号12-45
(b)第5艦隊司令官 作戦任務計画番号6-45
(c)第5水陸両用軍司令官 作戦任務計画番号A1501-45
(d)アメリカ海軍規程記事712、874(6)、1920年
同封書類:
(A)東部占領群司令官(第8水陸両用群司令官、第54.5任務群、第54.6任務群)1945年9月25日~1945年10月25日の日本和歌山のアクションレポート
1.同封書類(A)は、参照(a)~(d)にしたがって送られる。

A.G.Noble

配布

8 海軍作戦部長(新刊見本)
1 海軍作戦部長(海軍情報部)
5 陸軍太平洋総司令官
3 太平洋艦隊総司令官
1 第3艦隊司令官
1 第7艦隊司令官
5 太平洋艦隊水陸両用軍司令官
2 太平洋艦隊水陸両用軍前進指揮所司令官
1 太平洋艦隊水陸両用軍マーシャル前進指揮所司令官
1 太平洋艦隊水陸両用軍フィリピン前進指揮所司令官
1 第3水陸両用軍司令官
1 第7水陸両用軍司令官
1 太平洋艦隊水陸両用軍UDT部隊司令官
1 太平洋艦隊航空支援統制部隊司令官
1 UDT艇隊長(HOLLIS APD86)
1 第1UDT中隊長(Williams大尉)
1 第3UDT隊長
1 第17UDT隊長
1 フィリピン沿岸部隊司令官
1 第1艦隊航空軍司令官
1 太平洋艦隊役務軍司令官
1 第7役務中隊長
1 第10役務中隊長
1 第73役務分隊長
1 第103役務分隊長
1 第103役務分隊代表(USS LUZON ARG2)司令官
1 第104役務分隊長
1 太平洋艦隊潜水艦軍司令官
1 太平洋艦隊戦艦軍司令官
1 太平洋艦隊航空軍司令官
1 太平洋艦隊駆逐艦軍司令官
1 太平洋艦隊掃海軍司令官
1 太平洋艦隊掃海軍前進指揮所司令官
1 太平洋艦隊護衛空母軍司令官
1 太平洋エリア統合情報センター
2 第4水陸両用群司令官
1 第7水陸両用群司令官
2 第11水陸両用群司令官
1 第12水陸両用群司令官
1 第13水陸両用群司令官
2 第14水陸両用群司令官
1 第3掃海中隊長
1 第5掃海中隊長
1 極東空軍司令官
1 戦略空軍司令官
1 第8空軍司令官
1 第20空軍司令官
1 中部太平洋航空軍司令官
1 西太平洋航空軍司令官
1 マリアナ司令官
2 陸軍第6軍司令官
5 陸軍第1軍団長
1 陸軍第25歩兵師団長
2 陸軍第33歩兵師団長
2 陸軍第98歩兵師団長
1 西太平洋予備軍司令官
1 太平洋予備軍司令官
1 陸軍役務部隊「O」司令官
1 サイパン島司令官
1 グアム島司令官
1 沖縄島司令官
1 レイテ海軍作戦基地司令官
1 サイパン海軍作戦基地司令官
1 グアム海軍作戦基地司令官
1 リンガエン湾作戦基地司令官
2 第1戦闘中隊長
1 TENNESSEE(BB43)
1 CALIFORNIA(BB44)
2 第12巡洋艦群司令官
1 MONTPELIER(CL57)
1 CLEVELAND(CL55)
1 COLUMBIA(CL56)
1 DENVER(CL58)
1 太平洋艦隊護衛空母軍司令官
2 車両補給部隊司令官(MAKIN ISLAND CVE93)
1 MAKIN ISLAND(CVE93)
1 LUNGA POINT(CVE94)
1 SAVO ISLAND(CVE78)
1 SIBONEY(CVE112)
2 第1任務艇隊長
2 第46駆逐艦隊長
2 第66駆逐艦隊長
1 第86駆逐艦護衛艦隊司令官
1 第7LCS群司令官
1 和歌山の港湾管理者
1 名古屋の港湾管理者
2 第14輸送中隊長(臨時)(第40輸送分隊長(臨時))
1 Geo.CLYMER(APA27)(旗艦)
1 LANDER(APA178)
1 BOLLINGER(APA234)
1 GRIGGS(APA110)
1 DUPLIN(AKA87)
1 RUSHMORE(LSD14)
1 第33輸送分隊長(臨時)
1 ELMORE(APA43)(分隊旗艦)
1 SUMTER(APA52)
1 TELFAIR(APA210)
1 GRANVILLE(APA171)
1 TABORA(AKA45)
1 BIRGIT(AKA24)
1 第38輸送分隊長(臨時)
1 BARNSTABLE(APA93)(分隊旗艦)
1 NEW KENT(APA217)
1 MIFFLIN(APA207)
1 SIBLEY(APA206)
1 WASHBURN(AKA108)
1 第56輸送分隊長(臨時)
1 OKANOGAN(APA220)(分隊旗艦)
1 CRITTENDEN(APA77)
1 BLADEN(APA63)
1 ROXANE(AKA37)
1 SYLVANIA(AKA44)
1 CATSKILL(LSV1)
2 第18輸送中隊長(臨時)(第52輸送分隊長(臨時))
1 BURLEIGH(APA95)(中隊旗艦)
1 BOTTINEAU(APA235)
1 ALLENDALE(APA127)
1 JOHN LAND(AP167)
1 ELECTRA(AKA4)
1 TROILUS(AKA46)
1 第45輸送分隊長(臨時)
1 LOGAN(APA196)(分隊旗艦)
1 COTTLE(APA147)
1 DREW(APA162)
1 LAURENS(APA153(訳注:または155ないし133)
1 LENOIR(AKA74)
1 VINTON(AKA83)
1 第57輸送分隊長(臨時)
1 LATIMER(APA152)(分隊旗艦)
1 BUCKINGHAM(APA141)
1 CALLOWAY(APA35)
1 CAPE JOHNSON(AP172)
1 WINSTON(AKA94)
2 第23駆逐艦隊長
2 第20輸送中隊長(臨時)
1 第63輸送分隊長(臨時)
1 第68輸送分隊長(臨時)
2 第13LST艇隊長
1 第112LST群司令官
2 第15LSM艇隊長
1 第106輸送分隊長
1 第102輸送分隊長
2 第34LST艇隊長
1 LST50
2 WASATCH(AGC9)
1 DORCHESTER(APB46)
1 第68LST群司令官
1 第46LST群司令官
1 第61LST群司令官
2 第21LST艇隊長
2 第12LSM艇隊長
1 第34LSM群司令官
1 第36LSM群司令官
1 第44LSM群司令官
1 第26LSM群司令官
1 第39LCT艇隊長
1 第41LST群司令官
1 大西洋艦隊水陸両用訓練軍司令官
1 太平洋艦隊水陸両用訓練軍司令官
1 海軍大学校
1 海兵隊学校(バージニア州クワンティコ)
1 陸軍指揮幕僚大学(カンザス州レブンワース)
1 陸海軍参謀大学
1 フォートピアース(フロリダ州)
1 コロナド(カリフォルニア州)
1 戦争日誌

認証
W.F.WETZEI
米海軍中佐、flag secretary

目次

PART Ⅰ ― 全般的な口述
  A.全般
  B.海軍の作戦任務のコンセプト
  C.任務組織
  D.準備と計画
  E.作戦任務遂行フェイズを含む要約
PART Ⅱ ― 時系列の経過
PART Ⅲ ― 装備
  A.味方装備のパフォーマンス
  B.弾薬消費
PART Ⅳ ― 戦闘による損害
  A.味方の損害
  B.敵の損害
PART Ⅴ ― 特記事項、結論、リコメンド
  A.海軍の火力支援
  B.航空支援
  C.積み下ろしの要約
  D.艦艇の沿岸での動き
  E.通信
  F.諜報
  G.物資
  H.医療
  I.所在先任海上指揮官の管理
PART Ⅵ ― 人的パフォーマンスと死傷者
PART Ⅶ ― 写真の部

PARTⅠ ― 口述

A 全般
1.1945年8月前半、第8水陸両用群は日本本土に対する将来の作戦任務計画を策定していた。1945年8月15日に日本が突然降伏し、攻撃的な作戦任務計画の策定は中断され、帝国の戦略的領土を占領する作戦任務計画の策定が始まった。
2.第5艦隊が陸軍第6軍の各部隊を本州西部と九州に移動させる責任を持つ中、第3艦隊は本州東北への陸軍第8軍の移動と上陸の作戦任務を割り振られた。第54任務群司令官を兼ねる第5水陸両用軍司令官は、真珠湾、マリアナ、フィリピンからの陸軍第6軍の各部隊を輸送し、本州西部上陸のために配置された水陸両用舟艇を全般的に統制する任務を与えられた。東部占領群司令官でもある第8水陸両用群司令官は、大阪―神戸―京都―名古屋の中心部の占領区域を担当した陸軍第1軍団の移動に関する特別な責任を与えられた。
3.陸軍第1軍団は、大阪に司令部を設置するよう計画し、そこからできるだけ近くに軍隊と装備を上陸させたがった。味方の攻撃型機雷に関するある注意深い研究は、神戸―大阪エリアへの上陸は、広範で危険な機雷除去任務なしには、完全に無理ではないにしても実行不可能であると結論していた。機雷を根本的に除去するために時間の遅れが拡大し、占領軍は早急には投入されなかった。陸海軍各関係司令官間の協議の後、紀伊水道の北東部に位置する和歌山の海岸に最初の占領軍と物資、装備を上陸させることが決定された。

B 海軍の作戦任務のコンセプト
1.上記の目的を達成するため、第5艦隊の各種任務群の司令官が以下の作戦任務に割り振られた。
(a)紀伊水道西側に沿った海峡と和歌山沖エリアの掃海
(b)必要に応じて、機雷除去作業と上陸任務のための海軍による火力支援の準備
(c)機雷除去群と上陸軍への支援をカバーする航空支援の準備
(d)味方の戦争捕虜解放と彼らを沖縄に移送する準備
(e)本州西部東側の占領を担当する陸軍の上陸準備
2.東部占領群司令官である第8水陸両用群司令官は、以下の通り和歌山で陸軍各部隊の輸送と上陸をつかさどる。
リンガエンとマニラからの陸軍第6軍司令部
リンガエンからの陸軍第1軍団司令部
リンガエンからの陸軍第33歩兵師団
真珠湾からの第98歩兵師団
北部ルソンから向かう予定の和歌山ないし名古屋への第6歩兵師団
3.日本降伏時点で水陸両用舟艇の行動は、占領軍の上陸日として指定された日時から6~8日後の実施に間に合うように、定められた搭載地点に舟艇を移動するよう計画された。それゆえ、上陸の優先順位に応じて、集結地で一時的に輸送中隊が集結する必要があった。第8水陸両用群傘下の水陸両用舟艇は全般的にはそこに向かって移動していたが、定められた集結地にはいなかった。マニラにいた第8水陸両用群司令官は、傘下の各舟艇に対して物資搭載エリアに移動するよう命じ、各舟艇はリンガエン湾の物資搭載エリアに移動した。これらの動きは効率的で、傘下の全舟艇が移動し、リンガエンでの物資搭載は予定通りに完了した。第98歩兵師団を真珠湾から移動させるために割り振られた舟艇は集結し、第4水陸両用群司令官の指揮の下、兵員を搭載した。真珠湾から目標エリアへのこの群の動きは問題なく、予定通りであった。
4.上陸の作戦任務指令は以下のとおり準備された。
(a)海軍の火力支援計画
(b)航空支援計画
(c)上陸計画
海軍の火力支援と航空支援の計画は、支援戦力があらゆる抵抗兵力に対応できるように準備すべきという想定に基づくものであった。上陸計画は、第33歩兵師団の2つの連隊がアブレスト隊形でKデイに2,000ヤードにわたる海岸に上陸するよう準備された。
・第1軍団の上陸と第6軍司令部の兵員と装備は、Kデイ及びKデイ+1日
・第98歩兵師団の海岸の西半分への上陸はKデイ+2日
準備は、ポンツーンドックと物資積み下ろし用の通常水陸両用舟艇が使うはしけのために行われた。和歌山に上陸する第6歩兵師団の作戦任務計画では、さらにこの軍専用の港が必要であると指摘されていた。その後、命令は第6歩兵師団の代わりに第96歩兵師団を上陸させることになり、さらにその後第96歩兵師団は占領軍からは削除されることになった。

C 任務組織
54.5 東部占領群 ― Noble海軍少将
(a)54.5.1 群旗艦WASATCH ― Ringle海軍大佐 AGC×1
(b)54.5.2 群前衛艦REGISTER(APD92) APD×1
(c)54.5.10 航空支援統制部隊司令官 ― Spangler海軍中佐
(d)54.5.20 特別役務部隊
LST776(Brodie) LST×1
LST50(郵便局) LST×1
DORCHESTER(APB46)(兵舎艦) APB×1
任務群54.24、54.25、54.26、54.27傘下にリストされた追加部隊
(e)支援ユニット
第7LCS群
LCFF484(前衛旗艦) LCFF×1
LCS31、32、34、35、36、51、52、53、54、55、56、57 LCS×12
湾内侵入統制艦、前衛艦、日本漁船への指導、目視リレー艦
(f)54.24 和歌山グループB ― Noble海軍少将
54.24.1 第14輸送中隊(臨時) ― Ryan海軍准将
陸軍第33歩兵師団 ― Clarkson陸軍少将
54.24.11 第40輸送分隊(臨時) ― Ryan海軍准将
APA27 GEORGE CLYMER(旗艦)
APA178 LANDER
APA234 BOLLINGER
APA110 GRIGGS  APA×4
AKA87 DUPLIN  AKA×1
LSD14 RUSHMORE  LSD×1
54.24.12 第33輸送分隊(臨時) ― Haight海軍大佐
APA42 ELMORE(旗艦)
APA52 SUMTER
APA210 TELFAIR
APA171 GRANVILLE  APA×4
AKA45 TABORA
AKA24 BIRGIT  AKA×2
54.24.13 第38輸送分隊(臨時) ― Welch海軍大佐
APA93 BARNSTABLE(旗艦)
APA217 NEW KENT
APA207 MIFFLIN
APA206 SIBLEY  APA×4
AKA108 WASHBURN  AKA×1
54.24.14 第56輸送分隊(臨時) ― Heard海軍大佐
APA220 OKANOGAN(旗艦)
APA77 CRITTENDEN*
APA63 BLADEN  APA×3
AKA37 ROXANE
AKA44 SYLVANIA  AKA×2
LSV1 CATSKILL  LSV×1
*=第1軍団司令部と第6軍司令部
54.24.2 トラクター部隊B ― Tiemroth海軍大佐
LCFF426(旗艦)
54.24.21 第24LST艇隊 ― Tiemroth海軍大佐
第68LST群(LST822内) ― Dana海軍中佐
LST822(旗艦)*、134*、520、548、612、619、649、690、765  LST×9
(第1軍団の揚陸)
第46LST群(LST739内) ― Keeling海軍少佐
LST739(旗艦)、716*、769、815、914、943、990、905、1019  LST×9
(第1軍団の揚陸)
第61LST群(LST587内) ― Wells海軍中佐
LST587(旗艦)*、779**、892**、970*、1104、812、961、863、874、877  LST×10
(第33歩兵師団の揚陸)
54.24.22 第21LST艇隊 ― Mackinnos海軍大佐
LCFF994(旗艦)  LCFF×1
第101LST群(LST1138内) ― Lynn海軍少佐
LST1138(旗艦)**、550、708、768、930、952(H)、1024、1038、1090  LST×9
(上記はマニラで積載)
(第6軍の揚陸)
LST821*、1045*、873*、957*  LST×4
(上記はリンガエンで積載)
(第6軍の揚陸)
第41LST群(LST565内)
LST565(旗艦)、51、281、579、592、637、703、743  LST×8
*舗装小隊を積載
**はしけ小隊を積載
(H)病院LST
54.24.23 第12LSM艇隊 ― Kineen海軍少佐
LCFF486(旗艦)  LCFF×1
第34LSM群* ― Webb海軍少佐
LSM116(旗艦)、119、120、123、289、358、338、341、357、367、369、415、429、464、469  LSM×15
第44LSM群 ― Cole海軍少佐
LSM384(旗艦)、416、435、481、483、272、273、430、423  LSM×9
第36LSM群 ― Homer海軍大尉
LSM420(旗艦)、336、337、355、418、421  LSM×6
第26LSM群 ― Peacock海軍少佐
LSM102(旗艦)、30、55、62、114、117、136、146、152、249、276、292、359、378、453  LSM×15
54.24.3 海岸部隊 ― Graff海軍中佐
第8水陸両用群海岸中隊A
第14輸送揚陸指揮・下位部隊
54.24.4 UDT部隊 ― Williams海軍大佐
第17UDT隊(BLESSMAN(APD48)(旗艦)内)  UDT×2
第3UDT隊(IRA JEFFREY(APD44)内)  UDT×2
54.24.5 LCT部隊
第39LCT艇隊
LCFF533  LCFF×1
LCT629、634、684、685、762、788、789、1257、566、1258、1126、1402、741、742、743、825、826、868、686、869、870、896、1056、1136、751、1126、1127、1137、1138、1139、1140、1146、1170、1012、591、584、783、859、1077、1080、1082、1156、1157、1158、1159、1160、1162、1315、839、840、841、1085、1036、1124、1125、1134、1193、1194、1195、1196  LCT×60
54.24.6 統制部隊 ― Peterson海軍中佐
PCE872(旗艦)  PCE×1
PCS1460  PCS×1
PC1137  PC×1
SC628、1281  SC×2
54.24.7 前衛部隊 ― Cleland海軍大佐
LOY(APD56)(旗艦)(第106輸送分隊)、BARBER(APD57)、REGISTER(APD92)(群前衛艦)、TOLLBERG(APD103)、BASSETT(APD73)、OSMOND INGRAM(APD35)(第102輸送分隊)、HEMINGER(DE746)  DE×1、APD×6
54.24.8 ポンツーン・はしけ・舗装部隊
(g)54.25 和歌山グループC ― Noble海軍准将
54.25.1 第18輸送中隊(臨時) ― Moyer海軍准将
陸軍第98歩兵師団 ― Harper陸軍少将
54.25.11 第52輸送分隊(臨時) ― Moyer海軍准将
BURLEIGH(APA95)(旗艦)、BOTTINEAU(APA235)、ALLENDALE(APA127)  APA×3
JOHN LAND(AP167)  AP×1
ELECTRA(AKA4)、TROILUS(AKA46)  AKA×2
54.25.12 第45輸送分隊(臨時) ― Sabalot海軍大佐
LOGAN(APA196)(旗艦)、COTTLE(APA147)、DREW(APA162)、LAURENS(APA153)  APA×4
LENOIR(AKA74)、VINTON(AKA83)  AKA×2
54.25.13 第57輸送分隊(臨時) ― Galpin海軍大佐
LATIMER(APA152)(旗艦)、BUCKINGHAM(APA141)、CALLOWAY(APA35)  APA×3
CAPE JOHNSON(AP172)  AP×1
WINSTON(AKA94)  AKA×1
54.25.2 トラクター部隊 ― Sampson海軍大佐
第13LST艇隊(LST341内)
第112LST群(LST)
LST610*、1088、1102*、1130*、1047、1078*、620**、341*(旗艦)、1180、865*、968、1089、978、624**、868*、(1081)*  LST×16
ワ―ピングタグ
第15LSM艇隊 ― Bailey海軍中佐
LCFF569(旗艦)  LCFF×1
LSM43、44、92、140、141、143、211、261、293、386、394、437、438、444、468  LSM×15
**** LST835、946、1033  LST×3
(佐世保で積載)
(第28交替大隊を揚陸)
54.25.6 統制部隊 ― Peterson海軍中佐
PCE872(旗艦)  PCE×1
PC592、1185  PC×2
3隻(PC、PCS、SC)
54.25.7 前衛部隊 ― Davis海軍大佐
LIVERMORE(DD429)(旗艦)、LUDLOW(DD348)、KEARNEY(DD432)、PLUNKETT(DD431)  DD×4
POODE(DE151)、PETERSON(DE152)  DE×2

D 準備と計画
1.指令書を受け取って、最初の軍団の輸送と上陸の作戦任務を担当した第8水陸両用群と4つの補強歩兵師団、第6軍、第1軍団司令部の合同カンファレンスでは、軍団と関連師団との間で合意に至った。各司令部が互いに頻繁に訪れることにより、また軍団司令部で一時的に勤務する連絡士官1名を配置することにより、計画のステージ全体を通して緊密な連携が維持された。
群司令部の輸送将校と輸送中隊、分隊、艦隊、各舟艇の輸送将校は搭載及び積み下ろしの準備について陸軍司令部G-4部門と緊密に連絡を取った。
2.神戸―大阪エリアの機雷区域に関する予備研究は、ひと月以内には海峡を適度に安全な掃海をすることができないと述べており、それゆえ上陸点は和歌山の紀伊水道エリアにおける最も冒険的な海岸に変更された。また、そこには神戸―大阪及び京都に向かう適切な鉄道輸送網もあった。
3.計画初期段階では、マニラ区域にいた第5艦隊司令官と第5水陸両用軍司令官がこの計画策定に大きく関与していた。これらの大兵力は、スタッフ間の連絡により上陸軍には加わらなかった。
4.第8水陸両用群スタッフの連絡士官は、第98歩兵師団の輸送と上陸の予備計画のために真珠湾に飛んだ。最終的な作戦任務計画は、輸送群とトラクター群の双方が目標区域に向かう途中だったので、これらの群がサイパンで足止めされていたときに発出された。
5.9月12日、第8水陸両用群司令部作戦任務計画A801-45、作戦任務指令A802-45、移動指令A804-45が全部隊に伝達された。

E 作戦遂行フェイズを含む要約
1.計画が進行して兵員が乗船準備をしている間、掃海部隊は輸送エリアや上陸海岸とされている紀伊水道の海峡の目標を掃海するのに忙しかった。目標到達日時が早まったこと、米軍の水圧機雷への対処方法、掃海人員が悪天候に見舞われたことなどの要因が重なって、掃海された海峡は一日6,000ヤードに必然的に制限されることになってしまった。
2.UDT部隊は占領群よりも前に目標区域に到着しており、海岸には障害や要塞はなくクリアで、イエロー海岸の右横に1本の桟橋があって積み下ろしには適していないが、ポンツーンドックの錨として使うことができたと報告した。この偵察とさらなる海岸部隊からもたらされた追加情報から、イエロー海岸のブルー海岸は1,000ヤード南東側に移動すること、上陸する海岸の中間点に桟橋もしくは突堤を設営すること、そしてブルー1海岸とイエロー2海岸の間に分割線を引くことが決定された。海岸に対する統制艦の位置もそれに応じて変更された。
3.陸軍第33歩兵師団司令官Percy W. Clarkson少将とその側近たちは9月17日に、陸軍第1軍団司令官I. P. Swift少将とその側近たちは9月18日にそれぞれフィリピンのリンガエン湾のアリンゲイでUSS WASATCHに乗艦し、占領エリアに向かった。
4.USS WASATCHの東部占領群司令官は、第8水陸両用群移動指令A804-45にしたがって和歌山に向け、第14輸送中隊(臨時)と前衛部隊を引き連れてフィリピンのアリンゲイを1945年9月20日に出発した。
5.占領エリアへの移動は問題なく行われた。9月24日、HEMINGER(DE746)の護衛によってトラクター部隊BとLCT60隻の船団が目標エリアに向けて平行にコースを進むのが見えた。これらが見える直前に、LOY(APD56)が31.05N 134.55Eの地点で浮遊機雷を発見し、撃沈した。
6.BOLTONポイント(ちょうど掃海済みの海峡の外側)に到着する前に、掃海済みの海峡の狭い限界に対応するため、船団の巡航位置を二列縦隊に変更し、船団は紀伊水道を通過して9月25日06:30(Item)に和歌山海岸に投錨した。和歌山トラクター部隊BとLCTの船団は掃海済みの海峡を通過する船に続き、計画通りに担当エリアに投錨した。
7.上陸計画は08:30(Item)に「H」時刻として実行され、第一波は08:27(Item)に上陸し、次の波が計画にしたがって時刻通りに上陸した。第344EBSR部隊に加え、第130RCT部隊と第136RCT部隊が11波をもって時刻通りに上陸し、08:46(Item)には第136RCT部隊司令官が上陸軍の指揮を執ることになった。第123RCT部隊は13:30(Item)に上陸を宣言し、第6軍と第1軍団の兵員は17:30(Item)に上陸を開始した。兵員20,750人、車両2,486台、貨物7,820トンがKINGデイの間に積み下ろされた。一日を通して天候は優良で、LST7隻とLSM21隻が上陸することができ、KINGデイの間に積み下ろしを行った。間違いなく多くの陸軍兵員がKINGデイに上陸したが、兵力の積み下ろしは神戸―大阪と京都の占領区域に向かう鉄道と自動車によってこれらの占領区域の危険を除去できるだけの数にとどめるよう命令された。
8.KINGデイには、タグボート1隻が和泉灘の方向から上陸エリアに接近してきた。全ての日本船舶は上陸エリアからは離れておくよう命令されていた。この日本のタグボートは国際信号により船首を風上に向けて停止するよう命じられたが、信号は無視され、TOLLBERG(APD103)の機銃が警告射撃を行い、タグボートに停止するよう指示した。タグボートは船団の外にとどまるよう命令され、北に向かって離れ、再び見えなくなった。のちに判明したところでは、このタグボートは前進してきた海軍司令官からこの区域に移動するよう命じられていたのだが、この情報は占領群司令官には一切伝わっていなかった。
9.KINGデイの1日後、積み下ろしは順調に続けられ、最初の梯形の移動の大半は12:00(Item)に完了した。第8水陸両用群司令官は12:00(Item)に所在先任海上指揮官(管理)任務を行うことになった。20:00(Item)には、第1軍団司令官は本州の大阪に設けた指揮所から、上陸した第1軍団の全兵力を指揮することになった。18:00(Item)には、兵員31,424人、車両4,987台、貨物16,118トンが積み下ろされた。
10.KINGデイの2日後、真珠湾から乗艦した第98歩兵師団、第18輸送中隊(臨時)、トラクター部隊からなる和歌山グループCのLST16隻とLSM15隻が到着した。08:30(Item)に、第389・第391RCT隊が計画通りに波を形成して上陸を開始した。KINGデイの2日後終了前に水陸両用舟艇はLST約26隻を積み下ろした。
この日は、天候が悪化した事実があったにもかかわらず、兵員14,867人、車両989台、貨物6,188トンが積み下ろされた。上陸した海岸のポンツーンドックでは、船の吐出口からの吐き出しと積み下ろしの速度を可能な限り上げた。
10(訳注:10が2つあるが原文ママ).9月28日、第18輸送中隊と残りのLSTの積み下ろしが続いた。第98歩兵師団司令官は、柏原(訳注:ないし橿原)の指揮所から12:00(Item)をもって上陸の指揮を執ることになった。その間、気象予報は16.00N 136.00E付近で台風が発生して北西に進み、和歌山エリアに影響を与えうることを示していた。その結果、第54.18.14任務群を含む、積み下ろされる予定の水陸両用舟艇はさらなる台風の発達と進行方向に応じて航行を遅らせた。18:00(Item)の予想位置は19.00N 131.00E、進路は北北西、風速は10~12ノットに増え、影響を受ける範囲は250マイルであった。
11.9月29日、さらなる気象予報は、台風が和歌山の舟艇に重大な影響をもたらしうることを示していた。台風に備えた停泊地は全艦艇に周知されていた。上陸指揮官は、9月30日正午に積み下ろしを中止または貨物をしまい込むことができなかったLCMよりも大型の非水陸両用舟艇に対して退避を命令した。全LST、LSM、LCTは9月30日の夜が来る前に台風退避地点に向かう準備をするよう命令された。第21LST艇隊長と第34LSM群司令官は海上におり、接近する台風から逃れるために予備コースに向かった。陸軍上陸部隊司令官は、悪天候の接近と積み下ろしがおそらく中止されるであろうと予想していた。また、装備を海岸から高地に移動し、海岸から撤去することが推奨された。積み下ろしは続いていたが、18:00(Item)時点での累積合計は兵員48,995人、車両7,305台、貨物41,083トンであった。
12.9月30日朝、台風退避地点のチャートと指令が和歌山―和歌浦エリアの全艦艇に配布された。しかし、のちに報告されたところでは、台風は曲がらずに和歌山エリアはクリアで、しかしながら強いうねりが予想された。天候がおさまり、第54.18.14任務群(LST15隻)はリンガエンに向けて出発し、第18輸送中隊はリンガエンに直行した。LST、LSM、LCTは台風の危機が去って退避の必要がないことを確認した。しかしながら、13:08(Item)には、好ましくない風を原因とする強いうねりのせいで海岸での通常の積み下ろしを中止しなければならなかった。累積積み下ろし合計は、兵員54,628人、車両10,138台、貨物48,478トンであった。
13.10月1日から5日まで、和歌山の海岸における水陸両用舟艇の積み下ろしは強いうねりと強風によって中断した。しかしながらこの間、いくらかの物資と装備がLCTによって紀ノ川から陸揚げされた。積み下ろし済みの全舟艇は後方に下がった。10月2日、波高は4~5フィートになり、一部のポンツーンドック底部の固定部が緩んでブルー海岸に流された。南風が西ないし北西に変わり、26~32ノット、突風40~50ノットと予想されたため、小型舟艇に対する暴風警報が発出された。TENNESEE(BB43)に乗艦し、CALIFORNIA(BB44)を従えた第51任務群司令官Oldendorf海軍少将と、MAKIN ISLAND(CVE93)に乗艦し、MCGINTY(DE365)とWESTON(DE814)に護衛されたLUNGA POINT(CVE94)を従えたEscForPac(訳注:ユニット名だが訳出不能)と第51.4.47任務群司令官のDurgin海軍少将は、横須賀に向けて和歌浦湾を出た。最新の情報では、台風の中心は10月5日09:00(Item)頃に和歌山の東側を通過し、4日午後からは東風が強くなる見込みで、最大風速40~50ノットの北ないし西風に変わるという。LST4隻とLSM1隻は、10月4日の暗くなる前に海岸に上陸して積み下ろしと格納作業をしていたが、全舟艇は10月4日の夜のうちに暴風の矛先をかわすために台風退避地点に退却した。舟艇は5日午後遅くに通常の投錨地点に戻ることができた。35~40ノットの風による被害はなかった。
14.10月6日には天候は回復し、波高も1~2フィートに落ち着いた。積み下ろしが進められ、LST7隻がイエロー海岸に接岸し、LST1隻が6日早朝にポンツーンドックに位置した。LSTのためにポンツーンドックを直立させることができるかどうかを見極めるべく、和歌山のマリーナの調査が行われた。先任上陸指揮官は、ポンツーンドックはLST2隻が接岸できるように建設したが、ドックは現在斜めになっており、また、ドックのLSTは海峡を横切るだろうからドッキングと繋留は非常に困難であると報告した。この報告に基づき、計画は却下された。
15.加えて、水陸両用群上陸と和歌山占領の指揮について、東部占領群司令官のNoble海軍少将は1945年10月2日を目標に日本本州の名古屋への上陸と占領を指揮する責任を負っていた。しかしながら、名古屋エリアの伊勢湾北部における磁気機雷という予想外の状況と機雷掃海を阻む悪天候により、1945年10月2日という目標は延期された。10月25日になって初めて、名古屋エリアが艦艇航行に十分安全であると考えられるようになった。それゆえ、当初名古屋に向かっていた艦艇の多くは行先を変え、四日市港と名古屋港の開港を待つために和歌山に針路を取った。名古屋に向かっていた他の艦艇はMIKEデイが決まるまでフィリピンにとどまるよう命令された。
16.第6軍司令部、第1軍団司令部、第33・第98歩兵師団司令部の最初の揚陸を行った全水陸両用舟艇は、1945年10月8日に積み下ろしを完了した。積み下ろし総計は、兵員58,140人、車両10,346台、貨物52,855トンである。
17.1945年10月7日~31日の間は、主に所在先任海上指揮官の管理機能、海上の司令部と上陸した陸軍司令部とのカンファレンスに専念された。
18.報告と研究によると、別の台風が発達し、和歌山エリア付近を通過する可能性があることが明らかになった。10月8日の段階で、夜通し風速30~35ノットになるので全艦艇が予防策を講じる必要があることがわかっていた。台風は9日24:00(Item)頃に和歌山に到達すると予測され、全艦艇はその日の暗くなる前に台風退避地点に退却した。台風は10月10日頃に和歌山に到達し、20:30(Item)に最大風速66ノットに達した。無数の艦艇が錨を引きずったが、重大な損傷や人的被害は報告されなかった。この台風による唯一の損害は、WASATCH(AGC9)、DUTCHESS(APA98)、POOLE(DE151)の錨が失われたというものであった。10月11日午後になって初めて、艦艇が通常エリアに戻ることができる海の状態に戻った。
19.10月16日に第8水陸両用群(所在先任海上指揮官(管理))司令官は、伊勢湾で操業中の日本漁船に対して、漁船が機雷掃海任務を阻害しない範囲で和歌山エリアの日本人の過酷な食糧事情を軽減する権限を与えた。10月18日、第8水陸両用群は佐藤和歌山県知事に対して、何隻かの日本の小型漁船が清掃とバーターのために和歌浦湾の制限エリア内に侵入してとどまっていること、そしてそれをすぐにやめさせろと助言しなければならなかった。10月20日、命令に対する度重なる違反のため、和歌山エリアにおける日本の小型船舶の航行と漁業は禁止されることになった。全艦艇の艦長は日本の小型船舶を速やかに排除するステップを踏むよう命令され、第20輸送中隊司令官は輸送エリア周辺でボートによるパトロールを行うよう命令し、港湾係官には商船が繋留されているかをパトロールするよう指示した。Noble海軍少将は、10月22日に和歌山―和歌浦エリアにおける漁船の統制に関して日本側代表者と協議を行った。日本側は漁船の統制に関して(漁船側に)提案を提出させるようにし、仮にその提案が妥当なものであれば漁業の再開を認めようとするものであった。
20.10月22日、東部占領群司令官はMIKEデイが10月26日となる計画であることを認識し、第8水陸両用群司令官は和歌山から名古屋へと移動する移動指令A808-45を発出・配布した。
21.第34LST艇隊長(Tiemroth海軍大佐)は、1945年10月25日に第8水陸両用群司令官が名古屋に向けて出発したことに伴い、和歌山エリアにおける水陸両用軍指揮官に任命された。第103役務分隊長が所在先任海上指揮官(管理)任務を行うことになった。

PARTⅡ ― 時系列の経過

1945年9月18日
12:00 占領日の変更はなく、計画通りに第54.25任務群(第34LST艇隊、第21LST艇隊、第12LST艇隊)がOSMOND INGRAM(APD35)、BASSETT(APD73)、PC1125、PC1137、SC628、SC1281に護衛され、OTCとして指定されたLCFF426内の第34LST艇隊長がフィリピン・リンガエンのホワイトビーチを出発した。
気象:7,000フィートでは高層雲と高積雲の曇り、2,000フィートでは積雲と層積雲のスキャターからブロークン。午後早くに軽いにわか雨。視程は8~10マイルでにわか雨では5マイルに低下。風は南から6~12ノット。気圧は1004.5ミリバール。海面は南から小波、うねりはなし。気温は最低/最高気温77°F。

1945年9月19日
フィリピン・リンガエンのアリンゲイに投錨。
気象:10,000フィート以上では高積雲の曇り、7,000フィートでは朝から高積雲の曇り、午後は3,000~4,000フィートにかけて層積雲のブロークン。午後を通して軽い雨。視程は8~10マイル。風は南ないし南東から15~22ノット、ガスト30ノット。海面は南からのわずかな波、うねりはなし。最低気温76°F、最高気温87°F。

1945年9月20日
06:30 WASATCH(AGC9)内の第8水陸両用群を伴う第54.24任務群(第14輸送中隊(臨時))の占領任務の計画と日時に変更なし。LOY(APD56)、TOLLBERG(APD103)、PCE872、PC1127に護衛され、OTCとしてGEORGE CLYMER(APA27)内の第14輸送中隊がフィリピン・リンガエンのアリンゲイを出発。
12:00 19.16.0N 120.01.0E
20:00 19.16.0N 120.42.0E
気象:8,000フィートでは高積雲と高層雲の曇り、4,000フィートでは層積雲がスキャターからブロークン。早朝と夕方に軽い雨。視程は8~10マイル。風は日の前半は南から30~36ノット、ガスト43ノット、日の後半は8~10ノット。気圧は1008ミリバール。海面は南西から小~中程度の波。最低気温75°F、最高気温87°F。

1945年9月21日
08:00 20.27.0N 122.55.0E
12:00 21.08.0N 123.31.0E
20:00 22.17.0N 124.59.0E
気象:10,000フィートでは巻雲と高層雲の曇り、2,000フィートでは積雲のスキャター。視程は10~12マイル。風は東ないし南から14~17ノット。気圧は1012ミリバール。海面は東から中程度の波、東からわずかなうねり。最低気温75°F、最高気温86°F。

1945年9月22日
08:00 23.50.0N 127.16.0E
12:00 24.31.0N 128.01.0E
20:00 25.36.0N 129.17.0E
気象:10,000フィートでは巻雲と高層雲がブロークンから曇り、2,500フィートでは積雲がスキャターからブロークン。視程は12~15マイル。風は南ないし南東から12~16ノット。海面は南東から小波、東から小さなうねり。最低気温76°F、最高気温85°F。

1945年9月23日
08:00 27.16.0N 131.16.0E
12:00 27.43.5N 131.54.0E
16:38 関連全部隊に対してディスパッチャーから作戦任務計画A801-45、作戦任務指令A802-45の変更#2、作戦任務指令A803-45の変更#1が発出。第54.6―第54.9、第54.24―第54.27の各々から変更された任務群が指定された。9月26日22:00Zに有効となる。
20:00 28.40.0N 133.04.0E
気象:朝は10,000フィートで高積雲の曇り、7,000フィートで高層雲の曇り、午後は2,000フィートで積雲のスキャター。午後は軽い雨ないしにわか雨。視程は12~15マイル、にわか雨により4~6マイルに低下。風は南西から16~21ノット。気圧は1011ミリバール。海面は南西からわずかな波と軽いうねり。最低気温75°F、最高気温84°F。

1945年9月24日
08:00 30.30.0N 134.32.0E
09:30 LST835、946、1033が第28交替大隊を乗せ、佐世保を出て和歌山に向かうという報告を受信。
11:15 LOY(APD56)が浮遊機雷を撃沈 ― 31.05N 134.55E
12:00 31.14.0N 134.50.0E
14:30 右舷船首にLST船団(第54.25任務群のトラクター部隊)を視認。
19:30 左舷船首にLCT船団(第54.20.4任務群)(第39LCT艇隊)を視認。
20:00 32.47.0N 134.59.0E
23:37 掃海された海峡に入るため船団が3T隊形(2列)を組む。
24:00 旗艦に乗艦している者が総員配置(WASATCH(AGC9))。
気象:10,000フィートでは巻層雲の曇りで、朝は7,000~8,000フィートでは高積雲ないし高層雲の曇り、午後はスキャター。午後半ばあたりには水上の竜巻と大雨のスコール。視程は午後の降水域で10~12マイル。風は西ないし北西から6~10ノットで、午後半ばには北から12~15ノットに変化。気圧は1010ミリバール。海面は西から小波、北東からわずかなうねり。最低気温71°F、最高気温82°F。

1945年9月25日
01:17 舷側の手前にブイAを視認―距離は900ヤード。旗艦は掃海済みの海峡に入った。
04:53 「展開」を開始。船団は輸送地点に向かった。
06:26 旗艦(WASATCH(AGC9))が担当地点に投錨。
06:30 TOLLBERG(APD33)が、停止せよの国際信号を無視した日本のタグボートに警告射撃をして停止させた。臨検の上、輸送エリアから離脱させた。9人が乗っており、武器も貨物も積んでいなかった。彼らの目的は、明らかに和歌山への商用であった。
07:40 第14輸送中隊と第34LST艇隊、上陸指揮官が計画通りに組織的な波を形成して上陸地点に向かった。上陸地点に向かうまでにバランスを保ちながら兵員が舟艇に乗艦した。兵員の上陸後に舟艇が引き返し、15グループからなるLSTが満潮時に海岸から上陸を開始し、すぐに車両と貨物の積み下ろしが始まった。LSMは上陸指揮官から待機を命じられた。
08:15 第1波がそれぞれの海岸に向かった。
08:18 第2波がそれぞれの海岸に向かった。
08:23 第3波がそれぞれの海岸に向かった。
08:27 第1波が海岸に上陸した。
08:28 第4波がそれぞれの海岸に向かった。
08:31 LST863が接岸した。
08:33 第2波が海岸に上陸した。
08:38 第3波が海岸に上陸した。
08:38 第6波がそれぞれの海岸に向かった。
08:38 LST874が接岸した。
08:40 LST1104が接岸した。
08:41 第4波が海岸に上陸した。
08:46 第5波が海岸に上陸した。
08:46 RCT136の艇長が戦力の上陸を指揮することになった。
08:48 LST619が接岸した。
08:52 LST1019が接岸した。
08:56 LST905が接岸した。
08:58 第8波がそれぞれの海岸に向かった。
09:00 第6波が海岸に上陸した。
09:02 LST877が接岸した。
09:06 LST812が接岸した。
09:08 第7波が海岸に上陸した。
09:11 第9波がそれぞれの海岸に向かった。
09:12 LST892が接岸した。
09:13 第8波が海岸に上陸した。
09:18 第10波がそれぞれの海岸に向かった。
09:19 第9波が海岸に上陸した。
09:23 第11波がそれぞれの海岸に向かった。
09:29 先任上陸指揮官が、接岸したLST9隻のうち4隻がうまくいったと報告した。これ以上接岸を命令されたLSTはない。
09:33 第10波が海岸に上陸した。
09:37 第11波が海岸に上陸した。海岸では反攻には遭遇しなかったと報告した。
10:02 第12波がそれぞれの海岸に向かった。
10:11 第12波が海岸に上陸した。
10:25 第13波がそれぞれの海岸に向かった。
10:34 第13波が海岸に上陸した。
11:00 和歌山の港湾管理者がTANEY(CGC37)に乗艦し、任務を報告した。
11:00 射撃機器のサーキットをセーフにした。
11:30 P-51 4機編隊のうち1機が海上に墜落した。墜落したエリアを捜索したが、1時間後に個人識別のないリカバリー酸素ボトルが見つかった以外に成果はなかった。当該機はすぐに沈んでしまった。機体は上がらなかった。
11:30 列車1が兵員を乗せて神戸に向け発車した。
12:30 列車2が兵員を乗せて神戸に向け発車した。
12:30 RCT123隻からなる第1波が命令により海岸に上陸を開始した。
13:25 第5水陸両用軍が乗ったAUBURN(AGC10)が到着し、和歌山沖に投錨した。
13:30 RCT123隻からなる第1波の最後の船が海岸に上陸した。
13:30 列車3が兵員を乗せて神戸に向け発車した。
14:16 LST群の上陸指揮官が、以下のLSTに対して今晩の満潮までに上陸準備をするよう命令した:LST619、905、587、649、943、990、690、649、1138、550、708、768、930、952、912
14:30 列車4が兵員を乗せて神戸に向け発車した。
14:45 船団の波が貨物積み下ろしに手間取っていて、兵員が上陸できないという報告が受信された。
14:45 RUSHMORE(LSD14)が、全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
15:30 列車5が兵員を乗せて神戸に向け発車した。
15:32 第33歩兵師団の急襲兵員全員が上陸した。陸軍は第6軍の兵員に対して17:30に上陸を開始するよう求めた。
15:57 ATF112とATR51が第8水陸両用群司令官に報告した。
16:30 列車6が兵員を乗せて神戸に向け発車した。
17:30 第6軍と第1軍団の兵員が上陸指揮官に指定された通り上陸を開始した。
17:30 列車7が兵員を乗せて神戸に向け発車した。
18:30 護衛を伴ったLCT艇隊(LCT60隻)が到着し、任務報告を行った。
18:30 列車8が兵員を乗せて神戸に向け発車した。
19:19 第12LSM艇隊が、統制士官に対して残りのLSMをイエローとブルーの各海岸に上陸を開始させるよう命令した。
19:30 列車9が兵員を乗せて神戸に向け発車した。
20:30 列車10が兵員を乗せて神戸に向け発車した。
24:00 過去24時間の活動の要約:兵員20,750人、車両2,486台、貨物7,820トンを積み下ろした。
気象:最初の数時間は10,000フィートでは巻層雲がほとんどなしかスキャター、日中は2,000フィートでは積雲がスキャター、夕方と夜は快晴。視程は10~12マイル。風は北ないし北東から11~15ノット。気圧は1015ミリバール。海面は北東からわずかな波でうねりはなし。最低気温62°F、最高気温80°F。

1945年9月26日
03:00 GRANVILLE(APA171)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
04:00 MIFFLIN(APA207)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
06:00 TELFAIR(APA210)とSIBLEY(APA206)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
07:00 第33LST艇隊が名古屋に向けリンガエン湾を出た(第58.8.2任務群)。
08:00 ELMORE(APA42)とBARNSTABLE(APA93)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
09:00 第33歩兵師団司令官が、上陸した当該師団の指揮を執ることになった。
11:00 SUMTER(APA52)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
11:30 舗装部隊を含む全8隻のLSTが全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
12:00 第8水陸両用群司令官が第12巡洋艦群司令官の海軍中将の所在先任海上指揮官(管理)任務を引き継いだ。
13:00 NEW KENT(APA217)とOKANOGAN(APA220)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
15:00 TABORA(AKA45)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
16:00 GEORGE CLYMER(APA27)、LANDER(APA178)、COLLINGER(APA234)、GRISS(APA110)、CRITTENDEN(APA77)、ROXANE(AKA37)、SYLVANIA(AKA44)、CATSKILL(LSV1)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
17:10 CATSKILL(LSV1)、BIRGIT(AKA24)、BUPLIN(AKA87)、WASHBURN(AKA108)を除く第14輸送中隊は、TOLLBERG(APD103)が随伴してフィリピンのレイテを航行中。RUSHMORE(LSD14)は指定された地点で艦隊を離れてマニラに向かった。
17:20 LOY(APD56)は、和歌山に向けて掃海済みの海峡に入るためにサイパンから航行中であった第18輸送中隊(臨時)のための目標艦及び誘導艦として活動中。
17:56 中央統制士官と上陸指揮官が、第18輸送中隊(臨時)に乗せた第98歩兵師団を計画通りに上陸させるために指導を行った―RCT2隻が組織的な波を形成して08:30にブルー海岸に向かう。陸軍が必要とするならば追加兵員の上陸を要求して即応できるようにする。組織的な波からの舟艇の反転による通常の積み下ろし、海岸のLSTとLSMの慎重さ。
20:00 第1軍団司令官が当該軍団の上陸指揮を引き継いだ。
21:56 第33LST艇隊が9月29日までリンガエン出発を遅らせるという命令が発出。
24:00 過去24時間の活動の要約:人員10,874人、車両2,901台、貨物8,800トンを積み下ろした。APA14隻、AKA3隻、LSD1隻が出発した;現在までにLST19隻、LSM45隻、LCT60隻のKINGデイ梯形が積み下ろされた。
気象:朝は10,000フィートで巻雲の曇り、午後はブロークン。7,000~8,000フィートでは午後は高積雲で曇りからブロークン。視程は8~10マイル。風は北ないし北東から5~10ノット。気圧は1017.5ミリバール。海面は波、うねりなし。最低気温54°F、最高気温77°F。

1945年9月27日
07:10 第98歩兵師団を乗せたLST16隻、LSM15隻のトラクター群を随伴した第18輸送中隊(臨時)が到着し、指定エリアに投錨した。
08:00 BIRGIT(AKA24)とBLADEN(APA63)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
08:23 第1波がブルー1、2海岸に向かった。
08:26 第2波がブルー1、2海岸に向かった。
08:30 第3波がブルー1、2海岸に向かった。
08:31 第1波がブルー1、2海岸に上陸した。
08:34 第2波がブルー1、2海岸に上陸した。
08:35 第4波がブルー1、2海岸に向かった。
08:39 第3波がブルー1、2海岸に上陸した。
08:39 第5波がブルー1、2海岸に向かった。
08:43 第4波がブルー1、2海岸に上陸した。
08:47 第5波がブルー1、2海岸に上陸した。
08:59 第7波がブルー2海岸に向かった。
09:03 第8波がブルー2海岸に向かった。
09:05 第7波がブルー1海岸に向かった。
09:07 第9波がブルー2海岸に向かった。
09:08 第7波がブルー2海岸に上陸した。
09:11 第8波がブルー2海岸に上陸した。
09:12 第10波がブルー2海岸に向かった。
09:14 第7波がブルー1海岸に上陸した。
09:16 第9波がブルー2海岸に上陸した。
09:17 第11波がブルー2海岸に向かった。
09:18 第8波がブルー1海岸に向かった。
09:20 第10波がブルー2海岸に上陸した。
09:22 第12波がブルー2海岸に向かった。
09:26 第8波がブルー1海岸に上陸した。
09:26 第11波がブルー2海岸に上陸した。
09:28 第9波がブルー1海岸に向かった。
09:29 第13波がブルー2海岸に向かった。
09:31 第12波がブルー2海岸に上陸した。
09:36 第9波がブルー1海岸に上陸した。
09:37 第13波がブルー2海岸に上陸した。
09:39 第20輸送中隊(臨時)が、名古屋への出発が遅れていたMIKEデイに向かう予定の部隊に対して助言した。助言を受けた部隊は、目標区域への到着を遅らせる必要があるのならば沖縄へと行先を変更するであろう。
10:03 第6波がブルー1、2海岸に向かった。
10:10 第6波がブルー1、2海岸に上陸した。
10:30 第10波がブルー1海岸に向かった。
10:30 第14波がブルー2海岸に向かった。
10:36 第15波がブルー2海岸に向かった。
10:38 第11波がブルー1海岸に向かった。
10:38 第14波がブルー2海岸に上陸した。
10:39 第10波がブルー1海岸に上陸した。
10:44 第15波がブルー2海岸に上陸した。
10:45 第16波がブルー2海岸に向かった。
10:45 第12波がブルー1海岸に向かった。
10:47 第11波がブルー1海岸に上陸した。
10:51 第13波がブルー1海岸に向かった。
10:53 第16波がブルー2海岸に上陸した。
10:53 第12波がブルー1海岸に上陸した。
10:59 第13波がブルー1海岸に上陸した。
10:59 第14波がブルー1海岸に向かった。
11:04 第15波がブルー1海岸に向かった。
11:07 第14波がブルー1海岸に上陸した。
11:10 第16波がブルー1海岸に向かった。
11:13 第15波がブルー1海岸に上陸した。
11:18 第16波がブルー1海岸に上陸した。
12:00 DUPLIN(AKA87)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
16:00 LAURENS(APA153)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
16:00 全15隻のLSMからなる第34LSM群が、護衛なしでレイテに向け和歌山を出た。
16:00 WASHBURN(AKA108)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
16:35 全23隻のLSTからなる第21LST艇隊が、護衛なしでリンガエンとレイテに向け和歌山を出た。
17:10 DUPLIN(AKA87)、BIRGIT(AKA24)、WASHBURN(AKA108)がHEMMINGER(DE746)の護衛を受け、レイテに向け和歌山を出た。
17:46 LSM354、337、62、338を伴う第36LSM群(LSM420内)がはしけ任務を行うよう、和歌山残存部隊の中から指定された。
20:00 LATIMER(APA152)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
24:00 過去24時間の活動の要約:人員14,867人(うち11,706人はこの日到着した第98歩兵師団)、車両989台、貨物6,188トンを積み下ろした。AKA3隻、LSM15隻、LST23隻が和歌山を出た。KINGデイ梯形のうち、積み下ろされた全水陸両用舟艇はおよそ26隻のLSTであった―天候が良くなかった。
気象:4,000~5,000フィートでは乱層雲の曇り、午後は2,000フィートではスキャター。終日軽い雨と軽い霧。視程は3~5マイルで一時的に2マイルに低下。風は朝は北東から4~7ノット、午後と夕方遅くに北ないし北東から14~40ノット。気圧は1010ミリバール。海面は北東から小波程度の平穏でうねりなし。最低気温60°F、最高気温70°F。

1945年9月28日
07:36 第98歩兵師団の予備のRCTが上陸を開始した。
08:05 第98歩兵師団の予備のRCTが上陸を完了した。
10:50 第26LSM群司令官が当該LSM群に指示があるまで航行を遅らせるよう命令した。
12:00 第98歩兵師団司令官が当該師団の上陸指揮を引き継いだ。
12:00 全15隻のLSMからなる第26LSM群が、護衛なしでリンガエンに向け和歌山を出た。
13:00 第28交替大隊を乗せたLST835、946、1033が佐世保から到着した。
13:35 9月25日11:30に墜落したP-51は第309爆撃航空団第348戦闘航空群所属機と判明した。遺体は引き揚げられていない。
14:00 COTTLE(APA147)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
15:54 第1戦闘中隊長が、LCS12隻を含む第7LCS群(LCFF484内)に対して以下の事項を伝達した:LCS6隻は10月6日、残り6隻のLCSと群司令官は名古屋上陸後。
16:00 第34LST艇隊がLST7隻を積み下ろし、RFSと報告した。
16:00 BURLEIGH(APA95)とDREW(APA162)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
20:00 BOTTINEAU(APA235)とCAPE JOHNSON(AP172)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
22:00 ALLENDALE(APA127)、BUCKINGHAM(APA141)、LOGAN(APA196)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
23:45 作戦任務の統制を行っている全司令部が、気象予報が10月1日の早い時間帯に台風の中心が和歌山の南東150マイル付近を通過するとみていることを確認した。強風が北東1/4方向から吹くとみられる。
23:46 陸軍上陸部隊の司令官は、台風に伴う悪天候が9月30日から始まると予想されることを伝達した。雨と強風が予想され、おそらく最初は北東1/4方向から、左側ないし北に変わる。装備は海岸から高地に移動するかカバーをかけるべきだ。積み下ろしは、舟艇や小型船が台風から安全を確保するため月曜日夕方には中止されるだろう。
24:00 過去24時間の活動の要約:台風の進行方向により命令を留保して遅れていた水陸両用舟艇のの作業が進行して第98歩兵師団の予備RCTを上陸させた。人員1,537人、車両334台、貨物6,652トンを積み下ろした。
気象:6,000~7,000フィートでは高積雲がスキャターからブロークン、2,000フィートでは積雲がスキャターからブロークン、午後は4,000フィートで層積雲がスキャター。視程は12~15マイルで、午後は軽いもやのため5~7マイルに低下。風は北から6~9ノット。気圧は1008ミリバール。海面は北からの小波で穏やか、うねりはなし。最低気温63.5°F、最高気温80°F。

1945年9月29日
09:00 JOHN LAND(AP167)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
09:00 CALLOWAY(APA35)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
09:25 第4水陸両用群を乗せたMT MCKINLEY(AGC7)が到着し、和歌山に投錨した。
17:12 積み下ろしができずに海岸にいるLCMよりも大きな水陸両用舟艇は退去せよ、そして9月30日午後の満潮時に退却せよという命令が発出された。LST、LSM、LCTは台風退避地点に向かい、9月30日夜までに安全を確保する。
19:00 TROILUS(AKA46)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
21:00 ELECTRA(AKA44)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
23:00 WINSTON(AKA94)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
24:00 過去24時間の活動の要約:人員1,727人、車両1,145台、貨物12,210トンを積み下ろした。第98歩兵師団を積み下ろすLSTの作業を改善するトラックが不足したことにより、海岸で満潮が過ぎるまでいくぶん遅れが生じた。より明確な台風通過の情報が得られるまで、空になって繋留中のLSTとLSMの航行が遅れた。
気象:午後遅くは10,000フィートでは快晴から高積雲のスキャターに変化。視程は6~8マイルだが、早朝と夕方早くに軽いもやのため3~5マイルに低下。風は日の前半は北から5~8ノット、午後は東から3~5ノット。気圧は1015.5ミリバール。海面は北からの小波で平穏、うねりはなし。最低気温62.5℉、最高気温81℉。

1945年9月30日
08:00 台風退避地点のチャートと命令が和歌山―和歌浦エリアの全艦艇に向け発出された。
09:00 PC1127、TAWAKONI(ATF104)を随伴した第102輸送分隊長(OSMOND INGRAM(APD35)内)と、LCT12隻を随伴した第72LCT群司令官が広島湾に向け和歌山を出た。OSMOND INGRAM(APD35)は兵員と533個のES & BRを搭載して和歌山に戻る予定。
12:00 台風の進路情報受信のため繋留中の第15LST艇隊の航行が遅延。
13:08 海岸の悪天候のため、通常の積み下ろしが中断された。
13:30 LENOIR(AKA74)が全人員、車両、貨物を積み下ろしたと報告した。
14:07 9月12日の第5水陸両用軍指令番号00124の遵守に関するカンファレンスのため、日本側代表者が旗艦(USS WASATCH(AGC9))に乗艦したと報告があった。全ての要求が合意された。日本の全船舶が四日市港から出るのに1週間かかると見積もられた。名古屋でも同様の要求がなされた。
15:00 BLESSMAN(APD48)に乗った第1UDT中隊長と第17UDT隊が、グアムに向け和歌山を出た。その後は、真珠湾を経てサンディエゴに向かう予定。
15:38 日本側代表者が旗艦から退去した。
17:45 上陸指揮官が、名古屋―四日市エリアの予備研究が四日市港の港湾施設と橋梁が地震による被害のため上陸には使えないと判断しているとの報告を受信した。名古屋港は最新の情報よりもかなりましである。APAとAKAのためのドックエリアは7もしくは9。
22:15 第20輸送中隊司令官は、天候が回復し次第すぐに日中に到着すべく和歌山に向けリンガエンを出た。
22:37 第102輸送任務群司令官(OSMOND INGRAM(APD35)内)は、10月6日までFOXデイを遅らせることを確認した。任務群を随伴して和歌山に戻る命令が発出された。
24:00 過去24時間の活動の要約:人員5,673人、車両2,833台、貨物7,395トンを積み下ろした;本日までの累計:人員56,628人、車両10,138台、貨物48,478トン。強いうねりにより積み下ろしが中止され、ポンツーンの一時的な解体を余儀なくされた。第18輸送中隊は積み下ろしを完了した。
気象:朝は7,000~8,000フィートでの高積雲のスキャターから、6,000~7,000フィートでの高層雲、高積雲がブロークンから曇りに変化;午後遅くと夕方及び午後早くの数時間は2,000フィートで積雲のスキャター。日の最後の数時間はところどころ軽い雨。視程は朝はもやのため2~5マイル、残りの時間は5~8マイル。風は西からバリアブル、4~7ノット。気圧は1015.5ミリバール。海面は東からの小波で穏やか、南から低く長いうねり。最低気温66.5℉、最高気温82℉。

1945年10月1日
07:00 上陸指揮官が、上陸や積み下ろしには波とうねりが高すぎると報告した。3列の白波が立った。波は6フィートに達し、海岸から200ヤード内側まで押し寄せた。今朝は海の状況のせいでドック再建は実行不可能である。
09:15 第18輸送中隊司令官(BURLEIGH(APA95)内)は、BETTINEAU(APA235)、LOGAN(APA196)、COTTLE(APA147)、DREW(APA162)、LAURENS(APA153)、LATIMER(APA152)、BUCKINGHAM(APA141)、CALLOWAY(APA35)、JOHN LAND(APA167)、CAPE JOHNSON(AP172)を随伴し、LIVERMORE(DD429)、LUDLOW(DD438)に護衛されてグアムに向け和歌山を出た。
11:30 四日市―名古屋エリアで昨日受領された報告の代わりに、第25歩兵師団の上陸地点を四日市から名古屋に変更するというリコメンドが第5水陸両用軍に対して発出された。第1軍団司令官は同意した。
13:30 ALLENDALE(APA127)、CATSKILL(LSV1)、ELECTRA(AKA4)、TROILUS(AKA46)、LENOIR(AKA74)、WINSTON(AKA94)が、PLUNKETT(DD431)とKEARNEY(DD432)に護衛されて和歌山を出た。ALLENDALEとPLUNKETTはレイテに向かった。CATSKILLはマニラに向かい、リンガエンでバランスを取る。
13:52 ATR10とATR51が第1戦闘中隊長(所在先任海上指揮官)によって名古屋作戦任務に向け準備を完了した。
14:30 第13LST艇隊長が全28隻のLSTを伴い、護衛なしでリンガエンに向け和歌山を出た。
17:00 第20輸送中隊(臨時)が第33LST艇隊を伴い、BARBER(APD57)とREGISTER(APD92)に護衛されて和歌山に向けリンガエンを出た。
17:15 第12LSM艇隊長(LCFF486内)がLSM全15隻とLST4隻を伴い、PC578とPC1128に護衛されて沖縄に向け和歌山を出た。
21:30 第103役務分隊長は、第8水陸両用群司令官の出発時に所在先任海上指揮官(管理)となることを確認した。
24:00 過去24時間の活動の要約:紀ノ川河口でのLCTによる少量の積み下ろしを除けば、積み下ろしを妨げる強いうねりが続いた。積み下ろしをする残りの水陸両用舟艇はLST13隻、LSM15隻、LCT48隻。LSTだけが最初に上陸し、2隻が部分的に積み下ろしを行った。ポンツーンドックは、大きなうねりが止んだらすぐに再建されるだろう。
気象:朝は7,000~8,000フィートで高積雲がスキャターからブロークン、午後から夕方にかけて6,500~7,500フィートで高積雲がブロークンから曇り;早朝は2,000フィートで積雲がスキャター。視程は5~7マイルで早朝と夕方は軽いもやのため3~5マイルに低下。風は北から5~9ノット。気圧は1013.8ミリバール。海面は北東からの小波で穏やか、南から長いうねり。最低気温69℉、最高気温82℉。

1945年10月2日
07:00 先任の上陸指揮官が、波とうねりが中程度の高さになったと報告し、ブルー海岸でLSTによる積み下ろしが08:00頃に再開される見込み。
07:00 艦船を伴い、第1戦闘中隊長が横須賀に向け和歌山を出た。
10:05 第1軍団司令官が第8水陸両用群司令官に対して、第6軍司令官が名古屋で第25歩兵師団の積み下ろしに合意したことを伝えた。
10:30 海軍艦艇と兵員が入港する前に名古屋港の整備を要求する件についてカンファレンスを行うため、日本側代表者が旗艦に乗船したとの報告があった。
13:00 先任の上陸指揮官が、高波によって本日のポンツーンドックに関するあらゆる作業は妨げられる状態であると報告した。高波のため、イエロー海岸にLST2隻を向かわせることが提案された。
14:10 和歌山―和歌浦エリアにいる全艦艇は、10月3日09:00に台風退避地点割当番号2が準備できている旨連絡を受けた。
15:49 和歌山―和歌浦エリアにいる全艦艇は、10月3日08:00に台風退避地点に入るとの命令が出た。ガスト40~45ノットが予想される。台風回避バースに行くよう指示があった。
16:10 上陸指揮官が、LSTに対して10月3日朝頃に寒冷前線が通過するまで上陸しないよう命令した。天候は積み下ろしには不適である。
16:56 第1軍団司令官が、予定日時に兵員を受け入れるために名古屋の準備をするようにとの要求を地方の日本側指揮官に伝えた。作戦任務指令A803-45が、名古屋のドックサイドへの上陸と積み下ろしに備えるため修正されたことを確認。
17:00 第15LSM艇隊長は、全LSMが積み下ろしを完了したと報告した。
21:00 PC592、1127、1136、1185、SC628が任務から解放され、報告とさらなる命令を求めて太平洋艦隊総司令部に向かった。
23:20 先任の上陸指揮官が、波高4~5フィート、3~4列の白波、波が海岸内側150ヤードに達したと報告した。ブルー海岸に投錨していたポンツーンドックの1つの箇所が係留から外れてブルー海岸の脇腹に上陸してしまった。そこは、海が穏やかになったら容易に引っ張り出せる位置であった。
24:00 過去24時間の活動の要約:悪天候のため積み下ろし総計に変化なし。
気象:10,000フィートでは巻雲がスキャターからブロークン、2,000フィートでは積雲がスキャターからブロークン。視程は8~10マイル。風は南から8~12ノット、朝半ばには20~30ノットに増え、午後遅く及び夕方までの残り時間もガスト45ノットであった。気圧は1010ミリバール。海面は南から中程度~高い波と低く平均的なうねり。最低気温69℉、最高気温84℉。

1945年10月3日
22:37 第20輸送中隊司令官は、名古屋のドックサイドでの積み下ろしに備えた予備の上陸計画が準備中であることを確認した。MIKEデイは中隊の2分の1がドック、その他は使用できるスペース。もし直行するなら、和歌山で輸送部隊からLST部隊とAPD部隊を交替させるために1大隊が必要である。
24:00 過去24時間の活動の要約:悪天候のため積み下ろし総計に変化なし。
気象:7,000~8,000フィートでは高積雲と高層雲の曇り、2,000フィートでは積雲と層積雲がブロークンから曇り。軽~中程度のにわか雨で夕方には小雨。視程は4~7マイル、にわか雨により2分の1~2マイルに低下。風は南から25~30ノット、ガスト45ノット、午後半ばに寒冷前線が通過したときには北西から12~16ノット。気圧は前線通過前は1007.5ミリバールで午後半ばには1007.4ミリバール、日の終わりには1015ミリバール。海面は前線通過までは南から中程度~荒い波、その後は北西からわずかな波、南からわずかなうねり。最低気温65.5℉、最高気温82℉。

1945年10月4日
07:20 上陸指揮官が、朝の高波で上陸したLSTはなかったと報告した。あらゆるLSTを上陸させる前に新たな水路調査が行われなければならない。LST2隻が09:00にポンツーンドックの傍らに向かう予定。
09:00 第4水陸両用群司令官が乗船したMT. MCKINLEY(AGC7)が和歌山を出た。
09:05 上陸指揮官が、水路調査は今日の高波でもイエロー海岸にLSTが上陸できる好ましい状態を示していると報告した。
17:28 旗艦(WASATCH(AGC9))は台風退避地点に向け航行中。
18:08 旗艦が台風退避地点に投錨。
18:20 先任の上陸指揮官が、波の状況は以下の通りと報告した:波高は6フィートまで。波は沖合300ヤードで白波となる。
24:00 過去24時間の活動の要約:制限された積み下ろしが開始され、海岸からポンツーンドックの舗装路が引き上げられた。この日までの積み下ろし総計:人員56,791人、車両10,190台、貨物48,958トン。全艦艇が予防策として、暗くなる前に割り当てられた台風退避地点に向かった。
気象:日の前半は7,000~8,000フィートで高層雲の曇り、残り半分は4,000フィートで乱層雲の曇り、一日全体としては2,000フィートで層積雲と積雲がスキャターからブロークン。終日小雨。視程は3~5マイル、短時間の雨で1~2マイルに低下。風は北ないし北東から7~11ノット。気圧は1013.0ミリバール。海面は穏やかで北から小さなうねり。最低気温62℉、最高気温67℉。

1945年10月5日
08:00 士官2名と兵員12名からなるアドバンス海岸部隊が、上陸装備の予備調査のため名古屋に向け和歌山を出た。
14:05 上陸指揮官が、波高は1~2フィートで沖合50ヤードで白波になると報告した。
15:02 名古屋港とドックの掃海に従事している艦艇を除いて、10月6日12:00(Item)以後、伊勢湾北部に向かう全艦艇に対して、日本の地方連絡官が停止を指示した。これらの艦艇は機雷掃海活動が終わるまでそのまま。
16:00 旗艦(WASATCH(AGC9))は新たな投錨地に向かっている。
16:48 旗艦は割り当てられた地点に投錨。
24:00 過去24時間の活動の要約:台風通過の間は活動なし。35~40ノットの風による損害はなし。午後遅くに艦艇が通常の投錨地に戻った。明日の日中に積み下ろしは再開の見込み。
気象:午後半ばから夕方までは7,500フィートで高積雲がブロークンから曇り;1,500~2,000フィートでは積雲がブロークンから曇り。この日の最後の数時間は快晴。午後遅くまで軽~中程度の雨、12:00に後方基地付近で熱帯性擾乱。視程は4~7マイルで、雨では1~2マイルに低下。風は日の半ばまでは北から3~5ノット、のち西から9~15ノットに変化。気圧は1008.0ミリバールから1003.5ミリバールに急速に低下、正午には1003.5ミリバールから日の最後には1014.0ミリバールに急速に上昇。海面は北からわずかな波と南から小さなうねり。最低気温63.5℉、最高気温74℉。

1945年10月6日
08:40 先任の上陸指揮官が、イエロー海岸にはLST7隻、ポンツーンドックにはLST1隻、その他はドックで予定通りと報告した。積み下ろしは、波の状態が良くなったらすぐに再開する予定。
09:00 COLUSA(APA74)が和歌山に到着した。
10:10 第5水陸両用軍司令官が乗船したAUBURN(AGC10)が、CAVALLARO(APD128)に護衛され、東京に向け和歌山を出た。
12:04 第13LSM艇隊長が、MIKEデイが遅れ、全兵員が名古屋の代わりに和歌山に向かっていると報告した。
12:35 第15LSM艇隊長(LCFF569内)が、LSM7隻を伴って沖縄に向け和歌山を出た。
12:35 LST5隻(743、118、592、968、1088)が、第15LSM艇隊と合流してリンガエンに向け和歌山を出た。
17:00 MCINTYRE(APA129)が和歌山に到着した。
17:00 TALITA(AKS8)が和歌山に到着した。
24:00 過去24時間の活動の要約:残り全てのLSTが朝の満潮時に上陸した。良好な気象下で10月7日正午までに積み下ろしを完了する見込み。この日までの積み下ろし総計:人員57,078人、車両10,345台、貨物50,446トン。
気象:朝半ばまでは高層雲、低層雲ともにフューからスキャター、その後7,000フィートで高積雲がブロークン、2,500~3,500フィートでは積雲と層積雲がスキャターからブロークン。視程は6~8マイル。風は北から5~9ノット。気圧は1016.5ミリバール。海面は穏やかないし北からの小波、うねりはなし。最低気温65℉、最高気温77℉。

1945年10月7日
07:00 米軍を降ろして任務から解かれたHANSFORD(APA106)が、アメリカに戻る前に降ろす追加人員を乗せるために東京に向け和歌山を出た。
08:20 先任の上陸指揮官が、LST(1033、835、865、1081、341、868)と次の満潮時に積み下ろしと撤収を行う舟艇以外の全LSTとLSMが積み下ろしと海岸からの撤収を完了したと報告した。
09:26 第5水陸両用軍司令官が、LOY(APD56)、BASSETT(APD73)、OSMOND INGRAM(APD35)、REGISTER(APD92)、BARBER(APD57)の名古屋上陸後までの再展開の許可を求めた。
10:45 第20輸送中隊長(MONTOUR(APA101)内)が、GALLANTIN(APA169)、PRESIDENT HAYES(APA20)、MCCRATEN(AKA198)、RANKIN(AKA103)、TREGO(AKA78)、DU PAGE(APA41)、NATRONA(APA214)、JAMES O'HARA(APA90)、OXFORD(APA189)、WHITLEY(AKA91)、ARENAC(APA128)、DUTCHESS(APA198)、HENDRY(APA118)、PICKEM(APA190)、KNOX(APA46)、VELENCIA(AKA81)、JERAULD(APA174)、LYONS(APA71)を伴い、REGISTER(APD57)とBARBER(APD92)に護衛されて第25歩兵師団を乗せて到着し、和歌山に投錨した。
14:00 SANGATUCK(AO75)が呉に向け和歌山を出た。
14:55 第33LST艇隊(LST1040、492、524、880、909、913、1110)が、第25歩兵師団を乗せて到着し、和歌山に投錨した。
15:00 PC1185とPC592がグアムに向け和歌山を出た。
15:53 第6軍司令官が、第8水陸両用群司令官に対して、大阪湾南東海岸に沿った天候の状態と上陸不可能な海岸のせいで、また、掃海作戦任務に時間がかかったせいで、海岸線に沿った佐野、浜寺公園ないしその他の地点にアクセスできるようにするための大阪湾に通じる海峡の機雷掃海計画の破棄に異存はないと述べた。
18:00 COLUSA(APA74)がリンガエンに向け和歌山を出た。
21:00 LST865が積み下ろしを行った(水陸両用舟艇の積み下ろしが完了)。
24:00 過去24時間の活動の要約:全水陸両用舟艇がこの日積み下ろしを完了した。積み下ろし総計:人員58,140人、車両10,346台、貨物52,855トン。第6軍、第1軍団、第33及び第98歩兵師団の最初の上陸が完了した。
気象:4,000~5,000フィートでは層積雲の曇りで、1,500~2,000フィートでは一時的な雨。日中は小雨で午後遅くと夕方早くの数時間に再び雨。視程は4~6マイルで、雨で一時的に2分の1マイルに低下。風は北から6~10ノット。気圧は1015.5ミリバール。海面は穏やかで北から小波。最低気温65℉、最高気温75℉。

PART Ⅲ ― 装備

A 味方装備のパフォーマンス:
コメントなし

B 弾薬消費:
使わなかった。コメントなし

PART Ⅳ ― 戦闘による損害

A 味方の損害:
なし

B 敵の損害:
なし

PART Ⅴ ― 特記事項、結論、リコメンド

A 海軍の火力支援
1.和歌山上陸時における予期しない反攻に対する海岸の平定と射撃の要求に備え、一つの詳細な海軍火力支援計画が作成された。散発的なものを除けば反攻はなかったが、あらゆる事態に備えることは賢明であって、少なくとも、仮に上陸の試みが放棄されるか上陸強行が決定されれば、装備撤退時の火力支援は確実である。
2.第51任務軍司令官(Oldendorf海軍中将)は、9月23日(Kデイの2日前)に和歌山エリアに到着し、状況がうまくいっていること、日本人が協力的であること、海軍の火力支援が不必要であることを確認した。以下の艦船が投錨し、組織化されていない敵軍による孤立的、偶発的な反攻があった場合の火力支援に備えていた:
戦艦TENNESSEE(OBB43)(第51任務軍司令官Oldendorf海軍中将)
戦艦CALIFORNIA(OBB44)
軽巡洋艦DENVER(CL58)(第12巡洋艦任務群司令官Riggs海軍少将)
軽巡洋艦CLEVELAND(CL55)
駆逐艦COWELL(DD547)(第1任務群司令官Bottom海軍准将)
駆逐艦PUTNAM(DD757)
駆逐艦STRONG(DD758)
駆逐艦J. C. OWENS(DD776)
駆逐艦MASSEY(DD757)
駆逐艦FRANKFORD(DD497)
駆逐艦CHAMPLIN(DD601)
駆逐艦WILLARD KEITH(DD775)
駆逐艦ROWAN(DD782)
LCS(L)31、32、34、35、36、51、52、53、54、55、56、57を伴う第7LCS群(Stone海軍少佐)
3.上陸中のあらゆるソーティーで反攻はなかった。
4.リコメンド
(a)米陸軍による日本占領は非常にうまく進行中だが、復員率の増大とともに急速に減る我々の現在のマンパワー、装備、設備を活用するために可及的速やかに以下の長期計画が推奨された:
(1)日本の全重要地域の写真調査を完遂すること
(2)空軍、陸軍地上軍、海軍艦艇が共用できる特別なグリッドチャートの作成
(3)これらのチャートの出版許可と陸軍駐屯地、空軍中枢、極東海域で必要となる全米海軍艦艇に対する配布準備
(4)これらのチャートは可能な限り詳しく、追加情報により常時修正して利用可能にし、修正して水路チャートとして使えるようにすること
(b)このようなシステムの有用性は自明である。(訳注:この部分は判読不能)この点においてはもちろん、海軍艦艇は陸軍のコールサイン、防護された周波数、その他の最新の知識がグリッドチャートに公表記載されたものを持っていなければならない。
(c)日本エリアに展開している陸、海、空軍間の頻繁な合同訓練が、装備への習熟を保証すべきである。
(d)チャート上に示された構造や分布など多くの情報の取得は、我々占領軍が撤退してからかなり後になっても防衛上極めて重要である。

B 航空支援
1.航空支援の提供

適切な予防的計画により、敵潜水艦と航空反攻に対する艦船防護体制が整った;そして、一時的に航空機を統制した。航空機は、以下の空母から手配されることになっていた:
MAKIN ISLAND
LUNGA POINT
PETROF BAY
可能であればSAVO ISLAND
2.作戦任務の誘導
(a)予防的観点から、航空支援が一度だけ採用された。
(b)11:00(Item)まで(プラス2.5時間)、8機が上空の地点で戦闘空中警戒を行い、その後警戒態勢を整えるために空母に戻った。
(c)2機のVTが写真撮影機として離陸した。うち1機はCASCUに報告し、1つの任務=海岸と上陸の波の撮影、を割り当てられた。これが完了すると、機は空母に戻った。
(d)他の全機は、必要な場合に10分で向かうことができるようにデッキ上で警戒態勢を取った。
(e)航空機はMAKIN ISLAND(CVE92)とSANTEE(CVE29)から任務についた。
(f)上陸は問題なく行われ、さらなる航空支援の必要はなかった。
(g)KINGデイの次の日、及びその後も航空支援を求められた航空機はなかった。
3.コメント
(a)通信

通信網のセットアップは、標準的なものであった。全通信は乗組員によるものであったが、これらのうち2つだけ:SAD-HF(5530)、ASCU(2404)とCASCUとの交信量は多かった。これら2つの通信網の通信は良好であった。
(b)連携
空母とASCU、第5水陸両用軍(AUBURN(AGC10)内)との連携は、KINGデイ以降の幾日かの間保持された。

C 積み下ろしの要約
1.第54任務群司令官(第5水陸両用軍司令官)の作戦任務計画A1501-45は、Noble海軍少将(第8水陸両用群司令官)指揮下の第54.5任務群が第6軍司令部の小隊、第1軍団の小隊、第33・第98歩兵師団の積み下ろしの総括責任を持つよう示していた。
2.第14輸送中隊(臨時) ― 第6軍、第1軍団、第33歩兵師団の最初の小隊を輸送してきた第34LST艇隊(臨時)、第12LSM艇隊、第39SCT艇隊が9月25日に到着して積み下ろしを開始した。
3.第18輸送中隊(臨時)(第13LST艇隊と第15LSM艇隊―第98歩兵師団を運んできた)からなる第2陣が9月27日に到着し、積み下ろしを開始した。
4.積み下ろしは時折、台風を原因とする荒波によって妨げられた。ポンツーンドックと舗装路の破壊、LSTの破損を防ぐため、LSTは舟艇の積み下ろしを妨げられて格納しなければならなかった。
5.下表は、和歌山に積み下ろした舟艇、車両、人員、貨物トンの日別要約を示している。

D 艦艇の沿岸での動き
1.紀ノ川の北1マイルから始まる2,000ヤードにわたる海岸が上陸地点として選定された。この海岸は、長さ500ヤードごとに海から見て右から左にイエロー1、イエロー2、ブルー1、ブルー2の4つに細分化された。これらの上陸中心点となる海岸に建設中の桟橋1本があり、これが目印となった。
2.1945年9月25日朝の満潮近くに上陸が開始され、LSMを含む組織化された波がうまく上陸した(LSMは積み下ろし前に潮が後退するのを待たなければならず、多くは次の満潮まで格納しなかった)。はじめのほうの波の上陸と同時に、LST6隻がイエロー1海岸の右約600ヤードに上陸し、うち3隻は干潮時に砂浜に車両と貨物を降ろすことができた。別の3隻は次の満潮時に積み下ろしと格納を行うために海岸に十分近づくことができず、より適した海岸の位置に変更するのを待つことになった。Kデイの午後の間、移動陸軍航空隊の装備を搭載したLCTがブルー2海岸の左300ヤードに上陸し、彼らの装備を降ろし、格納し、はしけ担当の中央統制士官に報告した。
3.水陸両用群上陸中隊「A」が、第544EB & SRの小隊とともにはじめのほうの波で上陸して海岸の中央付近に司令部を設置し、LST、LSM、LCTの交通を統制した。第1小隊はブルー海岸の責任を持ち、第2小隊はイエロー海岸の統制を執った。予定通りに上陸した輸送中隊と輸送分隊の上陸指揮官と、第14輸送中隊の輸送海岸部隊は通信をセットアップし、舟艇の全般的な積み下ろしの責任を引き継いだ。
4.海岸の勾配は、波高がとても適していたKデイを除けば、LSTやLSMにとって非常に不適であり、絶え間なく困難を経験した。LCTは、中程度~低い潮の間を除けばうまく上陸し、LCMとLCVPは24時間ぶっ通しで任務ができた。任務の最初の3日間は、風は取るに足りないか弱く、LSTのための砂浜のランプが流失した以外はわずかな波で問題はなかった。
5.ポンツーンドックの舗装は、要求に応じてKデイに完成し、CBは「U」字に曲がったポンツーンドックの建設にとりかかった。ドックは、海岸の中央でコンクリートの杭の周りに建設され、桟橋はポンツーンドックの中核及び錨となった。(桟橋は中空のコンクリート製の杭で構築されており、ポンツーンドックのための錨としての目的に対応すべく、杭は安っぽく、日が経つにつれて流されたり固定しなくなるような不安定な構造だった)Kデイの1日後の15:00までに650脚のポンツーンドックがほぼ完成し、日暮れまでにはLST3隻がドックに着くことができた。それ以降、天候が許す限り、LSTはどんな潮位であろうが昼夜24時間妨げられることなくドック上で積み下ろしを行った。
6.Kデイの正午に、ブルー海岸は安全が確保され、第33歩兵師団、第1軍団、第6軍の全ての積み下ろしがイエロー海岸上で行われた。
7.Kデイの2日後、第98歩兵師団がブルー1海岸とブルー2海岸に上陸し、第18輸送中隊からの海岸部隊が輸送中隊の全般的な積み下ろしを行った。水陸両用群海岸中隊A第1小隊がブルー海岸のLSMとLCTの交通整理にあたった。
(訳注:見出し8がない)
9.Kデイから4日後、水陸両用群の上陸指揮官は第18輸送中隊の海岸部隊を支援し、水陸両用群の海岸部隊がブルー海岸の作戦任務の全責任を負うことになった。
10.Kデイの3日後前半までに、第98歩兵師団の輸送船団とともにこのエリアに到着した追加のポンツーン舗装が完成して組み立てられ、ポンツーンドックの端に設置された。そして、ドックは今やLST6隻を収容できるようになった。ポンツーンドックのプラットフォームないしドッキングエイドは深さ70フィート、長さ350フィートで、停泊したり、トラックが運転できるほど広さに余裕があった。舟艇の交通に遅れはなく、ドック上でのLSTの積み下ろしも遅れることなく続いた。
11.作戦任務の最初の4日間は、LST16隻が海岸に上陸したが、うち積み下ろしを完了したのは11隻にとどまった。海岸の勾配が甚だ適しておらず、潮の高低差が減少し、海岸の溝によってLSTが制限を受け、長い砂浜のランプは潮の侵入と軽い波によって流されてしまう。ランプは砂袋だが、これは砂浜のランプが尋常でない長さであるために、単に部分的にうまくいっているだけであった。ランプはしばしば100フィートから200フィートの距離に押し出さなければならず、また5フィートの高さまで積み上げなければならなかった。海岸で準備された使えそうな砂は、急速に消費されてしまった。ポンツーン舗装の1本の紐は、イエロー海岸での作戦任務で継続的に使用され、貨物をたくさん搭載したLST何隻かはこのポイントで積み下ろしを行った。
12.Kデイの4日後、うねりが始まり、波が高くなってきた。午後、海岸での積み下ろしは緩慢になった。Kデイの5日後の03:00には、ポンツーンドックでの積み下ろしを継続することができなくなった。うねりと波は4フィートに達し、舟艇とドックの両方が叩かれるようになった。ドックにいた全舟艇は退却命令を受けた(LST1隻が格納時にトラブルを起こし、200ヤード沖合で1本の棒が刺さってしまったが、救出支援を指示されたタグボートが向かう前に自然に取れた)。夜明けには波は高くなり、6フィートに達して3つの波の列となり、沖合100~150ヤードで波が砕けた。全舟艇が海岸から離れ、積み下ろしを中止するよう命令された。しかしながら、陸軍は既に小船を通じてぬかるみの中、ドックで積み下ろしの準備をしていた。そして、LCTとLCMは、全舟艇が台風退避または悪天候でぬかるみや川に避難命令が出る日の遅くまで積み下ろしを続けた。
13.積み下ろしのこの段階では、LST55隻が積み下ろしを完全に終え、5隻は部分的に積み下ろしを完了、そして8隻はまだ積まれたままであった。
14.台風が来る前に、ポンツーンドックの端は分離されて沖合に錨を下ろした。しかし悪天候が続いている間、錨の鎖が切れてブルー2海岸左側1マイルの海岸に流された。
15.Kデイの8日後には天候と海の状態が回復し、36時間にわたってさらにLST1隻が積み下ろしを完了し、4隻が一部積み下ろしを行った。その後、波の状態が再び悪化して海岸での活動が妨げられた。
16.Kデイの11日後の朝の満潮時に、一部のLSTの残りの積み下ろしが海岸とドックで行われ、Kデイの13日後の朝までに全舟艇が積み下ろしと格納を終えた(これらのLSTのうち、2隻は非常に多くの積荷があり、うち1隻は750トン、もう1隻は450トンの貨物をゆっくり動かした)。この段階では、ポンツーンドックの海岸部分は浮き、川の避難場所に引っ張った。
17.LST68隻がこの作戦任務で和歌山で積み下ろしを行い、うち21隻は海岸、47隻はポンツーンドックであった。
18.結論として、以下のコメントが認められた:
(a)水陸両用群の上陸指揮官と統制士官とのチームワークは緊密で、このことにより、一杯になった海岸とドック地点は利用可能な状態が維持され、海岸付近は最大能力をもって機能した。
(b)第33歩兵師団と第1軍団、第6軍司令部の上陸を仕切った第544EB & SR(陸軍の海岸部隊)のパフォーマンスは素晴らしく、海軍海岸部隊と陸軍海岸部隊との連携はすこぶる調和がとれていた。
(c)第98歩兵師団の上陸を仕切った第533EB & SRは、上陸装備がなかったことにより重大な障害を抱えていた。トラック、クレーン、トラクターを海岸に送るのが遅れたことが原因で、搭載ミスであることは明らかだった。しかし、この障害があったにもかかわらず、この海岸グループで海岸への貨物積み下ろしを仕切る人員の仕事ぶりは非常に信頼できるものであった。
(d)第14輸送中隊の海岸部隊は、指揮規律において妥当なものであった。
(e)第18輸送中隊の海岸部隊は、未経験者を抱えていたが、非常に良好な仕事ぶりを発揮した。
(f)水陸両用群海岸中隊「A」は、高い指揮規律において任務を遂行した。
(g)ポンツーンC.B.は、いかにも優良な規律の下任務を遂行した。
(h)通信は、上陸指揮官の横方向のサーキットにいくらか不便はあったものの、非常に満足のいく規律の下行われた。
(i)LSTの上陸と通常の積み下ろしのためのマリーナの活用可能性が徹底的に調査され、出口の欠如、積み下ろしエリアからの距離、海岸のスペース不十分により、LCT、LCM、LCVPには不適当と判断された。そして、LSTに関しては操艦が極めて難しいことが明らかになった;わずか2つの良さそうな上陸ポイントがあり、これら2つの場所は舗装される必要があり、ドックに停泊したLSTはマリーナ沖の海峡にとどめ置かれた。また、LSTは卓越風の方向に舷側を向け、潮流を横切ることになった。極めて危険な場合を除き、マリーナの使用は問題なく行われた。しかしながら、マリーナに至るまでのぬかるみは整備され、制限されたドックのスペースは最も有効に活用された。紀ノ川左岸の護岸も同様に考慮されたが、積み下ろしのためにエリアを準備すると任務が増えることになるので、陸軍の技官はその可能性を却下した。
(j)1945年9月25日から10月8日までに人員58,140人、車両10,346台、貨物52,855トンが和歌山に積み下ろされた。
(k)和歌山で最初の5日間に揚陸されたLST55隻は、ポンツーンドックを建て、使用するための可能な設備がなかったことによって積み下ろしを完了できなかった。

E 通信
1.通信は良好であった。作戦任務で必要とされるものに適合するよう通信計画が立案された。サーキットの数と割り当ては、全ての要求を満たした。敵の反攻がなかったという事実からみて、サーキットのいくつかは必要がなく、この事実が明らかになるとサーキットは閉じられた。主要なサーキットでは、時折交信頻度が混雑したが、わずかな遅れで済んだ。中央局は警戒態勢にあり、交信規則の維持のための段階を踏み、取り仕切りや交信の中継を早めた。

F 諜報
1.第8水陸両用群司令官作戦指令A803-45(添付資料G(訳注:これは翻訳しません))の諜報計画は、日本・和歌山の上陸できる海岸と港湾設備に関する全記載が含まれていた。根拠の偵察と実際の検証は、示された情報の正確さを実証した。ほとんどが第5水陸両用軍を通じてもたらされた資料は、十分かつ信頼できるものであった。しかしながら、UDTによる調査の後、LSTの上陸地点を含め、より満足できる上陸地点について、前もって選定されていた海岸から南東に1,000ヤード移動したところを使うことが決定された。この新しい地点が採用され、派遣官が参加ユニットに助言した。緩いと報告されていた海岸の勾配は約3分の1で、2ファゾムの線が125~180ヤード沖合に、3ファゾムの線が200~300ヤード沖合にあることがわかった。
2.しかしながら、海岸に上陸するために接近する沖合の特性は、嵐や強風に晒されることによって実際は変化し、LSTの上陸ポイントは変化する海底の状態とアプローチに適合させるために常に再調査を行い、移動させなければならなかった。たとえば、KINGデイにLSTの上陸ポイントはイエロー1海岸の右脇腹に位置していたが、南東に700ヤード移動された。KINGデイの2日後の夜の4~5フィートの波を伴う悪天候により、LSTの上陸地点はイエロー1海岸に変更しなければならなくなった。海岸の土壌の構成が緩かったことは、強風時の砂嵐の原因となり、それが強くなって海岸での積み下ろしが中止された場面もいくつかみられた。
3.敵の防禦装備は報告されている通り発見されたが、銃はなかった。多くの例では、木で作られたダミーの機銃が、一見して本物の機銃が置いてあるようなコンクリート製の地盤の、鉄のマウントの上に設置されていた。地域住民によると、近隣には2つだけ本物の銃があり、これらは1945年7月9日に日本軍兵員によって取り除かれたという。木で作られたダミーの戦車は、和歌浦の集落の神社の入口にあった。
4.和歌山が日本における一つの重要な工業都市であった証拠は、一つの大きな金属治金工場(上陸した海岸地区に位置)の存在により示された。名前と所有者は不明であったが、1945年8月15日まで爆弾の容器、機関車、機関車の部品、鉄パイプを作る軍需工場として政府により操業されていたと報告された。この工場は、戦争開始直後(1942年前半)に建設された。加えて、日東織物会社と住友金属工業会社はそれぞれ工場を稼働させ、後者は機関車の車軸や爆弾の容器、鉄パイプを製造していた。和歌山市の土地は航空爆撃によって実質的には平地にされてしまったが、工場はほとんど被害を受けていなかったことがわかった。

G 物資
1.準備
物資の支援は、以下の機関を通じて太平洋艦隊総司令官によって行われた:
太平洋艦隊役務部隊司令官
太平洋艦隊空軍司令官
フィリピン沿岸部隊司令官
マリアナ司令官
第10役務中隊長
第103役務群長
第104役務群長
海軍沖縄作戦基地司令官
第7役務中隊長
第73役務群長
2.集結地での物資
(a)マニラとレイテを出発する前に、艦艇は以下にしたがい、可能な限り近くで供給と提供を受けるために向かった:
(1)兵器 ― 許容量
(2)予備 ― (機械、軍需品、電子機器)許容量
(3)燃料と潤滑油 ― 許容量
(4)乾物 ― 最大搭載量。艦艇の中隊には90日を超えないこと、乗船する兵員には60日を超えないこと
(5)生鮮品 ― 最大搭載量
(6)衣類と小物 ― 90日分;または1945年2月覚書S局及びA局技術指令1149-0(特殊衣類許可量)に記載された特殊衣類最大許可量
(7)艦艇の部品のストック ― 90日分
(8)医療品 ― 90日分
(9)真水 ― 最大許容量
(b)物資の支援は、レイテでは第10役務中隊により、マニラでは第73役務分隊により、スービック湾とハワイ、マリアナでは海軍補給廠により受けた。リンガエンにいた全艦艇は、リンガエン湾で補給サービスがなかったので、リンガエン到着前に必要な物資を満載した。
3.目標エリアにおける物資
目標エリアにおける物資の支援は、第103役務分隊により受けた。いくぶん制限のある、使用可能な物資の枯渇を最低限にとどめるため、水陸両用舟艇は自分の輸送中隊のAPAやAKAから供給を受けた。輸送中隊の出発前に、余っている生鮮品と冷凍品の供給がこのエリアに残っている艦艇によって行われることになっており、輸送中の生鮮品と冷凍品の提供はその艦艇に最優先権が与えられた。
(a)燃料と潤滑油は、PAMENSET(AO85)、MOOSE(IX24)、BIG HORN(IX204)により供給された。
(b)生鮮品と冷凍品は、GRAFFIAS(AF29)、KARIN(AF33)、SHAULA(AK118)により供給された。
(c)衣類と小物 ― GSK、C & SS、SSSはTALITA(AKS8)、PETERTK.BURNETT(IX104)により供給された。
(d)水は、PANOGANSET(AO86)により供給された。
(e)修理は、CASCADE(AD16)、CORONIS(ARL10)、LUZON(ARG2)により行われた。大きな労働負荷となるため、緊急修理のために稼働能力を制限する必要があった。

H 医療
1.作戦任務中に敵の反攻には遭わなかったので、結果として戦闘に伴う死傷者はなかった。重装備の取扱から、海岸で軽い怪我人が出た。LSMの海軍兵員2人が誤って溺死した。
2.輸送船団から海岸部隊の医療部門が、海岸でのあらゆる怪我と重傷者を世話するために上陸した。
3.KINGデイに先立つ2日間、オーストラリア第54避難病院が上陸軍の負傷者受け入れのため和歌山に開設された。KINGデイには、病気の者や負傷者を病院に搬送するため、上陸した海岸に野戦救急拠点と救急ジープの人員が展開した。
4.この上陸の間、避難してきたRAMPはいなかった。

I 所在先任海上指揮官の管理
1.1945年9月26日(Kデイの1日後)に、和歌山で東部占領群司令官が所在先任海上指揮官(管理)の任務を託され、1945年9月25日(訳注:10月25日の誤り?)に名古屋に向けて出発するまでその任務を維持した。
2.この間、和歌山-和歌浦エリアは多数の艦船で埋め尽くされ、第33、第98歩兵師団の最初の上陸だけでなく、第25歩兵師団の最初の上陸や他の雑多な艦船が名古屋に向かうなどしたが、海峡(訳注:伊勢湾)が開放されるまで待機するために和歌山に針路を変更した艦船もあった。このエリアには、しばしば250隻もの艦船がいた。そのような多数の艦船の管理はとても複雑だったが、TANEY(CGC37)上、のちBELET(APD109)上の港湾指示部隊の活動は問題を大幅に緩和した。チャートと所在先任海上指揮官に投錨地点として設けられたBrandonポイントに配置された港湾入港統制船は、入ってくる艦船に付き沿い、和歌山沖と和歌浦の投錨地点との間に配置された目視リレー船は物資支援も行った。にもかかわらず、目視と無線による統制は困難であった。
3.郵便の収受は、特別装備の郵便LST(LST50)によって行われた。和歌山―沖縄間で駆逐艦による宅配サービスが開設され、沖縄を襲った台風が全ての郵便施設を破壊し、かつ、駆逐艦による毎日の宅配サービスが横須賀に開設されるまでの間継続された。和歌山、名古屋、佐世保、呉、長崎の各エリアへの全郵便物は横須賀からLST50に送られ、駆逐艦による宅配サービスへと分配された。
4.和歌山―和歌浦エリアでの検査の後、海岸から離れる(訳注:和歌山市内に外出することを言っている)海軍軍人に対する正しい指導と解放が和歌浦で行われた。和歌山は警備が厳重で、陸軍により制限されていた。
5.所在先任海上指揮官の指導は、台風の(情報の)掲示と台風退避地点のチャートを含んでいた。このエリアにいた艦船は2つのシビアな嵐を乗り越え、唯一の損害はWASATCH(AGC9)とDUTCHESS(APA98)の2つの錨がなくなったことだけであった。
6.主要な制限エリアの外側における港湾の漁業の特権が、食糧難を緩和するため日本人に許可されたが、日本の船は制限エリアに近づいてはならないというルールが広範に破られたため、後に取り消された。第8水陸両用群司令官がこのエリアから離れる時、漁業特権の再開に向けて交渉が進行中であった。
7.さきの台風によって海岸で洗われたLST555とYMS478は、検査及びこれらの船の再配置のために行われた検査・調査副会議において部品取り船とされることになった。
8.第8水陸両用群司令官が和歌山エリアから離れる時に、所在先任海上指揮官(管理)任務は第103役務分隊長に移譲された。第34LST艇隊長(Tiemroth海軍大尉)は、水陸両用軍の代表者となった。

PART Ⅵ ― 人的パフォーマンスと死傷者

1.さまざまな米陸軍と米海軍部隊に割り当てられた任務間の連携とそのスムーズな実行は優れたものであった。日本人に対する我が軍人の物腰は、堅実で公平な態度を例示するものであり、高位の権威によって発出された指導書にしたがったものであった。
2.敵の反攻がなかったので戦闘による死傷者はいなかったが、2つのアクシデントがあった。そのアウトラインは医療のところにコメントした通りである。
3.作戦任務における兵員の傑出したパフォーマンスの認識は、別の報告でカバーしている。

PART Ⅶ ― 写真の部

1.出発線を離れてすぐの第一波
2.海岸エリアに接近する第一波
3.海岸に接近するLSM
4.イエロー海岸でのLSMの積み下ろし
5.イエロー海岸でのLCVPの兵員揚陸
6.イエロー海岸右腹でのLSTの上陸
7.ブルー、イエロー海岸でのLCM、LCI、LSTの上陸と積み下ろし
8.和歌山の鉄道ヤードと紀ノ川、背景は工場エリア
9.イエロー海岸の背後の丘に設置されたダミーの銃
10.和歌浦の神社入口にあった木製のダミー戦車
11.商業・住居エリアが広範に破壊されたことを示す和歌山の街
12.ブルー海岸背後のダミーの銃

――― * ――― * ――― * ―――

▼他の報告書からダミー高射砲の写真を2枚抜粋します(2枚とも和歌山)。

文献

(全て米国立公文書館)
引用)COMPHIBGR 8 - Report of operations in the occupation of the WAKAYAMA Area, HONSHU, JAPAN, 25 September 1945 - 25 October 1945.
引用)Dummy AA gun off the beach at WAKAYAMA, JAPAN.

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