『和華』(日中文化交流誌)
日本と中国の文化について紹介しています。 18号「職人の技」 漆器 磁器 銅器 紙 服飾 日中の職人 各地の伝統工芸品・歴史・技法・現代の新たなスタイルを丁寧にお伝えします。
目次: 知ってますか?日本庭園に隠された中国文化 奈良時代/平安時代/鎌倉・室町時代/江戸時代 小石川後楽園の中国趣味 中国思想の影響を受けた浄土の庭園 東日本大震災復興記念庭園 日本庭園から見る中国文化 水の景 池泉/洲浜/曲水/龍門瀑 石の景 三尊石組/鶴島・亀島/枯山水 コラム 中国蘇州の枯山水 植裁 箱松/大刈込 景物 飛石・敷石/蹲踞・手水鉢/燈籠/橋 コラム 隠元禅師が造った萬福寺東方丈の庭 黄檗僧独立性易ゆかりの錦帯橋 黄檗僧黙子如定が造った眼鏡橋 杭州の西湖と日本の名園 小石川後楽園/旧芝離宮恩賜庭園/縮景園/養翠園/千波湖・偕楽園 中国蘇州の古典園林を楽しむ 洞門/太湖石/水中倒景/漏窓/廊下/舗地/船/借景
目次: 日本の喫茶文化の世界 黄檗宗開祖隠元禅師が日本に伝えた煎茶文化 特集:煎茶の世界 人物インタビュー 自由にお茶を楽しむのが静風流 煎茶道静風流三世家元・海野俊堂氏インタビュー 和敬清閑、一煎の温もりを心の温もりに 小笠原流煎茶道五代家元・小笠原秀道氏インタビュー アメリカ留学という異色の経歴を持つ家元 煎茶道東阿部流五世家元・土居雪松氏インタビュー 煎茶道黄檗売茶流 美意識を高め、美意識に従う 技で彩る 煎茶道具の世界 天下径山―日本臨済宗の祖庭、茶道の源流 煎茶道具の基本
豪族の子として生まれ18 歳で都の大学へ入学 空海は、宝亀 5年(774)年、讃岐国に多度郡弘田郷(現在の香川県善通寺市)で生まれた。父は佐伯直(田公)といい、瀬戸内海周辺の豪族である佐伯氏の一族である。母は都みやこの知識階級の氏族であった阿刀と氏の出身である。幼名は真魚といい、聡明な青年であった。恵まれた教育環境をもち、15歳で都に出て、母方の伯父である阿刀との大足について儒教や漢学を学んだ。阿刀大足は、桓武天皇の皇子である伊予親王の個人教師を務めた学者で、何かと真魚に
2004 年10 月、中国の西北大学博物館に未知の日本人の遣唐使関係者の墓誌があることが報道された。名前は井真成、長安において734 年正月に36 歳で死去したといい、「姓は井、字は真成。國は日本と号し」とあるので、日本人であることはまちがいない。井上忌寸、葛井連といった渡来系氏族がおり、「井」はこれらを略したものであろう。墓誌は蓋と身の石材からな り、蓋は一辺37㎝の正方形、厚さは7㎝、身は一辺39.5㎝の正方形、厚さは10㎝で、中国の墓誌としては小型、全171 字の文字
2019 年12 月末に日本の新聞各紙は中国深圳の望野博物館が所蔵する墓誌に日本の遣唐使関係者の名前があることを報道した。734 年6月に死去した鴻臚寺丞李訓という人物の墓誌で、鴻臚寺は外務を掌る役所、文章を作成したのは秘書丞褚思光、そして「日本国朝臣備書」とあるから、この人物が墓誌の文字の下図を筆書したことがわかる。 広東省にある「深圳望野博物館」で発表会の様子 朝臣備とは誰か。大宝度の粟田朝臣真人は「朝臣真人」、霊亀度の阿倍仲麻呂は「朝臣仲満」と記され(『旧唐書』
阿倍仲麻呂(701 ~ 770)は古来の有力中央氏族出身、716 年に16 歳で霊亀度遣唐使の留学生に選定された。彼は『古今和歌集』羈旅406 番「あまの原ふりさけみればかすがなる みかさの山にいでし月かも」の歌で知られ、これは『百人一首』にも採られているので、日本の遣唐使一行の中でもっとも人口に膾炙した一人であり、高等学校の教科書でも、遣唐留学生の代表的人物として大書される。ともに留学した人びとには下道(吉備)真備、井真成、僧の玄昉などがおり、日唐関係が安定化した後期遣唐使
遣唐使の中で長期留学は俗人では勝宝度くらいがピークで、その後は短期の請益生が中心になるという変遷がうかがわれる。僧侶の方は長期・短期ともに後代まで求法に熱心だった。特徴のある人物を紹介する。 弁正 弁正は俗姓秦氏、大宝度の留学僧だが、唐で妻帯し、朝慶・朝元の二人の息子を儲けて、ついに帰朝しなかった(『懐風藻』釈弁正伝)。これだけだと留学脱落者・破戒僧だが、彼は外向的な性格、囲碁も得意で、即位前の李隆基、すなわち玄宗と親しくなり、玄宗の目を日本人に向けるのに有効に作用する。
遣唐使船は前期では2隻、後期は4隻が基本で、1船に120 ~150 人が乗船している。その構成員を大 別すると、①使節員、②船員、③随員、④留学者となる。 遣唐使の主要任務は唐との通交にあり、①の中心となる官人には相応の能力・学識が求められた。大宝度の粟田真人は服装・容姿や中国的教養が評価されており(『旧唐書』日本国伝)、彼は白雉4年(653)の留学僧道観の後身で、こうした留学経験者の起用例もある。 ただ、大使は四位くらいで、かつ1~2年は必要な任務に耐えるだけの体力・
遣唐使とは各国から唐に派遣される外交使節である。唐(618 ~ 907)は長らく分裂していた中国を再統一(589 年)した隋(581 ~ 618)のあとをうけて、約300 年間存続し、東アジア、東部ユーラシアの政治・文化の中心として、周辺諸国に大きな影響を及ぼした。 倭国・日本の遣唐使は630 ~ 894 年の間に20回ほど計画・派遣されている。日本史上において遣唐使が注目されるのは、奈良・平安時代の律令国家につながる古代国家が、7世紀後半、隋・唐代に完成した律令体制を
【主催】雑誌『和華』 【募集期間】7月10(金)~8月23日(日) 【応募方法】 Step1:いずれかの『和華』SNSをフォローします。 (Facebook・Instagram・Twitter、どちらでも可能) ■和華Twitter:https://twitter.com/WAKAKOURYU ■和華instagram https://www.instagram.com/waka_kouryu/ ■和華Facebook:https://www.facebook.com/%
文:『和華』編集部 写真提供:日中民間工芸科家友好促進会(株) 伝統を受け継いだ上で、日々新しい技術を模索している職人たち。ここでは技術を磨きながら様々な取り組みをしている日中の職人たちをご紹介する。 黄楊木彫り黄楊木彫りは浙江地区の伝統的な民間彫刻芸術の1つで、黄楊木を彫刻材料とし、清潔さと光沢、繊細なテクスチャ、典雅な色などの自然形態を活かして彫刻する。生き生きとした造形と人物を描くことで人気を集め、第一期国家級無形文化財に登録された。
優秀作品には、青島ビール等豪華景品プレゼント&雜誌「和華」本誌に掲載! 【趣旨】 この度、雑誌『和華』より写真コンテストを開催します。SNS(Facebook・Instagram・Twitter)写真投稿で青島ビールが当たります!受賞された写真は、次号の『和華』紙面に掲載します。ぜひ奮ってご応募ください。 【主催】雑誌『和華』 【協賛】株式会社アジア太平洋観光社 株式会社池光エンタープライズ 〆【第一弾締切】(今後も募集継続する予定です) 2020年5月3
文:『和華』編集部 写真提供:CTP そもそも漆器とは、器物の表面を生漆でコー ティングした日用品や工芸品などのことで ある。生漆で加工した器物は彩り鮮やかで、 摩耗に強く、腐食しにくい性質があり、千年 の環境の変化を経てもその美しさを失うこ とはない。漆工芸はアジア共通の文化要素 である。奈良、平安時代にかけて中国の炝金、 描金等の技術が導入され、日本の漆器にも また深い影響を残している。 四大漆器 揚州漆器 揚州漆器は、秦・漢の時代に制作され始め、当時からす
高岡漆器「青貝塗(螺鈿)」の技法 取材・文/高谷治美 写真提供/姚遠 高岡を有名な漆器産地として発展させてきた「青貝塗(螺鈿)」 技法。螺鈿が青貝ともいわれるのは、薄貝によって青い色調が 出せるようになったから。その卓越した技術とは……。 高岡の螺鈿細工は、0.1mmという透けるほどの薄いアワビ 貝を使うのが特徴。直接下絵を貝に書き写し、細い針で切り抜き、切った螺鈿パーツを漆地や木地などにはめこんで模様を表現する技法をいう。漆の黒が薄い貝を通して透けると青く見
文/『 和華』編集部 協力/一後晴之(漆芸家) 漆工芸はアジア共通の文化で、漆の木は、中国、 日本、朝鮮半島、ベトナムなどに自生している。そ もそも漆器とは、器物の表面を漆でコーティング した日用品や工芸品などのことである。生漆で加 工した器物は彩り鮮やかで、摩耗に強く、腐食しに くい性質があり、千年の環境の変化を経てもその 美しさを失うことはない。英語の「china」が中国の 磁器を示すように、 「japan」という語にも日本と いう国を示すとともに、漆器の意味がある
文・写真:任長箴 宣紙とは 宣紙とは、中国の古典書画に使用する紙である。唐代に涇県で生まれ たと言われており、既に1500年あまりの長い歴史を持つ。独特の紙質 はしなやかで艶をもち、墨の発色がよく、光沢はあるがつるつると上滑りはしない。経年劣化せず、変色もなく、寿命が長いことが特徴である ため、古くから「紙の中の王、千年寿紙」と褒め称えられてきた。宣紙の制作には1,000幾ばくの日夜を要し、108の複雑な制作工程がある。これは機械に替えることができない特殊技法である。 2
細川紙の歴史2014年11月、「細川紙」(埼玉県小川町、東秩父村)が、「石州半紙」(島根県浜田市)、「本美濃紙」(岐阜県美濃市)とともに、ユネスコ無形文化遺産の「和紙・日本の手漉和紙技術」として登録されました。これらの紙は、原料に楮のみを用い、伝統的な製法と製作用具によってつくられています。 小川町周辺の製紙の歴史は非常に古く、奈良時代の「正倉院文書」には「武蔵国紙480帳」が納められたという記述が登場します。この武蔵国には現在の小川町周辺も含まれ、当時からこの地で紙漉き
紙漉きの技術は仏教伝来とともに中国から日本に伝わった。その後、日本では自生していた楮などを原材料に、独自に紙漉きの技術が発展していく。 一方、中国では竹や藁、青檀などさまざまな材料を探索し、その原材料に基づいた技術が発展してきた。こうして、日本と中国の紙漉き技術は異なる道を進んだが、中国の紙は各時代の日本に「高級紙」として輸入され、大事に使われてきた。 本稿ではそうした歴史をたどり、ユネスコ無形文化遺産に登録された日本の細川紙と中国の宣紙を紹介する。 ▲中国:宣紙製作作業