勝率は強さを語らず、されど素人を騙る/だれもが強く、かしこくみられたい
◆勝率は強さを語らず、されど素人を騙る
ゲームの勝率を誇る人を、
時々見かけます。
しかしゲームの勝率というのは、
明確な上手さの指標ではありません。
なぜなら大雑把すぎるからです。
上手であれば、
ゲームについて勝率以外での
言葉で詳しく内容を語るでしょう。
しかし勝率というのは、
・わかりやすい強さの指標
のように受け取られます。
そのゲームや、
勝率の仕組みに詳しくない人には。
つまり、
・詳しくない素人や、
初心者に対してアピールしたいとき
勝率という数字がでる言葉を使う
誰にでもわかりやすいこと、
特に数字の多さというのは
伝わりやすいですからね。
再生数4000万の動画と、
再生数500の動画。
どちらがすごく見えるかと
言われたら、
4000万の方でしょう?
ゴッホの絵のように、
値札が付いて始めて
詳しくない人にすごさが
伝わるわけです。
(ゴッホの絵は最近はそうじゃない、
みたいな風潮があるそうですね。)
なので勝率がどうこう、
ランクがどうこうと言っていることは
初心者に向けて言いたいときに
使われます。
明確な上手さの指標ではないんですけど、
そういう印象を強くさせたいときにつかう。
noteのいいね、
Twitterのいいねも同様です。
少し騙しにかかるとき、
ハッタリをかけたいときの方に
使われます。
なのでわたしは勝率どうこうと、
言っている人がいたら
・本当に初心者
・素人に強くみせたい人
どちらかなのかな、
と思います。
◆だれもが強く、かしこくみられたい
人は誰しもが、
他人から自分が強く、
かしこくみられたいものです。
だからこそ人間関係というのは、
・自分が下手に出る方が上手くいく
けれどもそれだけでは、
自分の欲求が満たせない。
なかなか難しいものなのです。
そういったものに興味がない、
というようなふるまいをする人もまた、
・他人が囚われていることを
自分は気にしないという強さ
これをアピールしています。
なので、
承認欲求がどうこうで
他人を咎める人っていうのは、
わたしからはかなり不自然に思えます。
あるのが当たり前ですから。
むしろ、
自分のそういった欲求を認められないのは
いずれ自分の首を絞めることに
なってしまうでしょう。
自分の弱さを認め、
他人の弱さも認めないと
ちょっと生きづらさを感じてしまいます。
・自分は我慢してるのに、
他人は我慢もできない馬鹿ばかり
みたいに思ってしまいますから。
それではまた。