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確実な部分があるからこそ 不確実な部分に対応できる #65 偶有性

人には、それぞれ固有の人格があります。
しかしながら、自分自身ですら、自身の人格を理解し切れていません。

そのために、脳科学や心理学などにおいて、活発に研究されているのかと思います。
その結果として様々な研究結果もあります。
もちろん、その中には、まだまだ研究段階で不確実な理論もあります。
反面、実務に取り入れられている理論も、多数、出回っています。

それから考えると、自身の実務と照らし合わせつつ、本を読んだり、研修を受講したり、講演会を聴いたりなど、自分自身の不確実な部分を構築する自己啓発活動は重要ではないかと考えます。

「世の中には、必ず不確実な部分が存在し、確実な部分と混在している」

この話を聴いたのは、もう、随分と前になりますが、あるシンポジウムにおける茂木健一郎氏の講演です。
茂木氏と言えば、脳科学者として人間行動と脳との因果関係を独特の語り口調で紐解いてくれることで人気の方です。

脳科学者 茂木健一郎氏

一般的に楽観的なモノの考え方をする楽天家は、信用され難い傾向にあるかと思います。
しかし、人間の脳とは、元々は、楽観的にモノ事を考えるように出来ているらしいです。

完璧を基準にされ、完璧でない自分に納得が行かず自暴自棄に陥っている方がいます。
もちろん、完璧を追求すること自体を否定するつもりはありません。
しかし、完璧を追求するあまり、モノ事を悲観的にばかり考えていたら自暴自棄どころか鬱に陥ってしまいます。
かと言って、何でも、楽観的にばかり考えていたら、モノ事は成り立たないとも思います。

「確実な部分」と「不確実な部分」の均衡で成り立っていることを脳科学では、「偶有性(ぐうゆうせい)」と言うのだそうです。

そのロジックですが、人間の脳には、原理・原則と言う確実な部分があるからこそ、不確実な部分に対応できる。

「自分の中の確実なものを磨き、不確実なものに挑むことを楽しめば、そこから未来は開かれる。」 (茂木健一郎氏)

つまり、より多くの確実な部分を持つことができれば、それ相当の不確実な部分、あるいは、柔軟な発想力を持つことが出来るのだと言うことになります。

私也の解釈になりますが、自分の中の確実なものとは、基本の繰り返しで構築された基礎と言えるのではないかと思います。

逆に基礎が構築できていない状態で、応用的な情報を詰め込んだら、どうなるのかです。
確かに、一時的には上手く行くこともあろうかと思います。
しかしながら、環境変化の著しい現代において、その応用が通じなくなった場合にどうするのかです。

家で例えてみます。
基礎がしっかりした家は、地震が発生してもまずは、ガッチリと建物を支えてくれます。
逆に、どんなに建物がガッチリしてようとも、基礎が軟弱だったら、倒壊してしまいます。

何事も基礎がしっかりしていれば、仮に、問題が発生しても、一旦、そこに立ち返り、基本を繰り返すことで、仕切り直すことが出来るかと思います。
ところが、立ち返るべき基礎がない場合は、バランスを失い、崩壊してしまう可能性すら感じます。

基礎である確実なものが、しっかりとしていればこそ、不確実なものである新しい未知の物事への挑戦ができる。
そして、その未知への挑戦を楽しむこともできるのだと思えました。

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