月光
月灯りっつうのはあんがい眩しいもんだな
父は暗隠染まる居間の隅端で
萎れいく百合の項垂れた花弁の様に
湿気混じりの篭声を床に落とした
貧格などは要らんと無駄打ち気張り
紙幣のない20時の居間は
江戸の夜より影めいている
簡易のガスコンロの火種を世風から守る
純母の手は赤子を撫でる様に健気で無垢い
私と妹は昼間に通う小学校の水飲み場から
捻った蛇口より吐かれる痰の様な水を
ペットボトルに汲んでは足音を殺した
なみなみに詰め込んだ水は重く
漏れ出た妹のため息は夜の校庭に笑われた
私は怒悔の念を呑み込んでは
妹とひたすらにブランコを漕ぎ
脱ぎ飛ばした右足の運動靴に
癇癪しきれぬ想いを無理矢理に載せた
便所のタンクに敷き詰める水
顔を洗う明るい朝の水
母の火種で暖かく変貌する水
我が家はそうやって成り立っていた
家の前を流れる川の音で心を洗い
母の沸かした白湯で人を保ち
夜中のブランコの揺らぎで子供でいられる
20時を過ぎた居間には優しい月光がぼんやりと
夜にカーテンを開く我が家の居間に舞い降りる
原始の営みは私にとって嫌悪の象徴
しかし父は生き夜に美しい甘美な星に見惚れていた
母はじっとりと黙り
妹は寝息をたてた
父は窓から世を見つめ
微笑を含んでは欠伸をかました
父のいうところの世と
私が重きを置く世が
銀河の一駅分より遠く
次元も意味合いも違うということに
気づいたのは私の身体がひとまわり
大きくなった頃だと自負する
どんな僻地で疎外の居間で暮らしても
父は自然の系譜に従い
原始に寄り添い混ざることで
平穏な脳波を微弱に身体に走らせては
柱を支えていたのだろう
私は今でも幼少の暗隠染まる居間を想う
焦りのなかを走る時こそ
月光浴に興じる父の微笑を
想い箪笥の引き出しから引っ張り出しては
着込みあつらう真似事をしようと
月灯りっつうのはあんがい眩しいもんだな