【No.1308】私は専門といえるものがないんです…。
私は専門といえるものがないんです…。
と思っている人には役に立つ話かもしれません。
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先日「COO代行養成講座」という講座の説明会に参加しました。講師の信國さんという方の言葉が印象的でした。
「なんで "なんでも屋" が売れないと思っているのか、そっちのほうが意味がわからない」
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これは僕の質問への回答です。僕が会社でいろんな業務に携わるからこそ、何でも屋になってしまい、専門分野がないことで、自分の売りがわからないという質問への回答です。
参加した「COO代行養成講座」の内容にもつながる話なのですが、
最近って、いろんなところで"専門家"になろうと言われるじゃないですか。
ニッチな分野で1位になろうとか、自分は何屋さんなのか宣言しなさいとか、
そういう言葉に惑わされると、私は専門といえるものがないんです…。と思っちゃいますよね。
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でも、最近、勤めている学習塾で、僕自身の授業を自分で売れるようになってきました。
例えば、最初は、英語の授業を勧めます。悩んでいる生徒さんが多いですからね。そんで、英語の授業をしていくうちに、他の科目の話をするようになります。例えば古文。みんな悩んでいますから。僕は古文のほうが専門だ、とか言って営業するわけです。
これまでの僕は、いろんな科目が見れる先生は胡散臭いと思い込んでしまっていたんですね。
だって、専門がないってことですから。お客さんからしたら、英語の専門家じゃないヤツから英語を習っても、英語が伸びなさそうに聞こえませんか。
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でも、ちょっと違う傾向が見えてきました。
英語も見つつ、同時に、古文も現代文も社会も、あと、ちょっと数学も、
1人の先生にまとめて教えてもらえるなら安心だ、みたいな需要があることに気が付きました。
で、実際にそう売り込んでみると、ぜひってお願いされるんです。
専門家じゃなくてもいいやん。むしろ、何でも屋のほうが求められているのでは?
というのが最近の気づきです。
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学校教育の科目の分類は誰かが勝手に決めたものです。
国語という科目にも、社会や理科の知識が必要だったり、
英語の長文でも、社会や理科の知識があると読みやすくなったり、
英語と古文の文法が似ている部分があったり、
歴史の知識があると古文の点数も上がりやすくなったり
つながっているんですよね。
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とすると、生徒や保護者さんからしたら、
別にその科目だけが上がればいいわけではありません。全部の科目があがるに越したことはありませんから、
もし相性の合う先生がいろいろ見てくれるなら有り難いって言う声も一定数あっても良さそうです。
もちろん英語だけ、数学だけって希望する生徒もいますが、そういう需要はそれとして、
とにかく、専門家じゃない、むしろ何でも屋を求めている人がいる、というのが最近の驚きです。
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今回参加した「COO」というのもそうで、
COOとは、Chief Operating Officerの略で、事業のために業務の執行を統括する責任者という定義だそうです。つまり、会社の何でも屋です。
1人の人が、マーケティングも、営業も、税務会計も、企画も、人事も、ITも、とりあえず全部いったん見れるというのは、一定の規模以下の会社には求められるでしょ?というのは納得できる話です。
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もちろん、最初の取っ掛かりは必要だと思います。
「なんでも、まずはお困りごとを相談ください」と、見ず知らずの人に言われても、胡散臭いだけです。
だから、最初は〇〇屋という看板はあったほうが良さそうです。でも、その分野で100点である必要はありません。「私は70点くらいの専門性しかありません。でも、他の分野も相談に乗れます」というスタンスも、売り方としてアリかもしれませんね。
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高倉健さんじゃないですが「自分、不器用ですから」って、職人さん・スペシャリストになるのもいいと思います。
でも、逆に「自分、器用貧乏ですから」って、いろいろやってきたために専門性がないって人も、ぜんぜん悩む必要もなくて、何でも屋さん・ゼネラリストを目指せばいいんですよね。
需要はどこかにあります。自分が知らないだけで。
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だから、もちろん1分野だけでも70点~80点の専門性に向けた修行は必要だとと思います。なにか突き抜けるものもなく全部40点では、ゼネラリストではなく、ただの中途半端野郎ですから。
なにか平均より上な得意分野があれば(今はなくても作りさえすれば)
・100点満点の専門家ではないからダメ
・ "なんでも屋" ではダメ
というのは、単なる思い込みかもしれません。
ということで、今日も1日「優柔不断は誤った決定よりなお悪い」「あらかじめ○○していたら、あとで楽になる」という言葉を胸に、結果の有無に関わらず、人生に仕事に楽しんでいきましょう!