【雑記】被災記 2024年1月2日〜31日
2024年1月1日、能登半島地震が発生。翌2日以降、私は1ヶ月ほど、むちゃくちゃに引っ掻き回された金沢市の自宅の片付け作業にあたった。
どこにも需要はないと思うが、その間に書いた作業日誌風の手書きメモを起こし、ここに載せる。
地震に関係ない記述も多い。細々した個人的な記述は省略。最低限、文章として「読める」部分だけ残したつもりだ。
なお、これらのメモはいずれも、各日付の翌日に書いたものである。起床し、前日の作業日誌を書くことが、この間の私の日課だった。
1月2日
重い腰を上げ、片付けを開始する。
2つある本棚のうち、横幅の広い方の本棚が、倒れかかってしまった。もう一つの方は、倒れはしなかったものの、上の方の本が飛び出してきて、部屋中に散乱。当然、倒れかかった方の棚の本も、(現時点では下の方の様子はよくわからないが)、少なくとも上の方は壊滅――全て、床に落ちてしまった。
両方ともつっかえ棒で固定していたのだが、片方には効かなかったわけである。
あまりに本が多いこの部屋は、いつか大地震に見舞われたら、徹底的に破壊されることになりそうだな――などと日頃から思っていたこともまた、それはそれで事実だ。なんとなく思い描いていた「壊滅状態」にいざ直面してみれば、それを思い描きつつ「だましだまし」生きてきた日々のすぐ裏側にあった現実が、これまで通り、あまりにも当たり前のこととして、私の同意を得たかのような顔をしながら事態を推移させるのに、立ち会ったかのような気分である。
この惨状を見るとなかなか信じがたいことだが、私は、客観的に見ても、できる限りの対策は行っていたのである。ただし、生活と両立しうるギリギリのところで、だが。
本棚にはつっかえ棒を。積み上げてある本の山が崩れるのは、まあ仕方がない。レコードを並べたカラーボックスも心配だが、これも、仕方がない。オーディオ機器の周りには本を置かないように。パソコンのメインのストレージはSSDなので、衝撃には強かろう。心配なのはデータ用HDDだが、極力バックアップは取っているし、物理的に、物が落ちてきづらい場所に置いてある。周りには本を置かないように(2度目)。本棚は非常に重いので、よほどのことがなければ倒れてくることはないだろう。この本棚が倒れるほどひどい揺れに襲われてしまった時は、それはもう、日常的な対策の延長でどうにかできる範疇を超えている……。
で、私は今、そうした状況に実際に直面しているわけである。
参った、としか言いようがない。ゲームで言えば、要するに、負けだ。
部屋中を飛び回ったらしい本のうち2冊は、倒れかかった本棚の後ろ、つまり棚と壁の隙間に当たるスペースに潜り込んでしまった。本棚をこのまま直立させるわけにはいかない。
本棚は、棚の前に置かれた電子ピアノにもたれかかるように、斜めに倒れかけている。使いもしない電子ピアノが、地震の時、こんな形で役に立ってくれたことは、数少ない、良い意味での誤算だった。部屋の不要品はこの機に大量に捨てるつもりだが、このピアノは残したほうが良いようだ。
本棚を正面から見て、左側手前に、本の山ができている。棚は、手前に倒れかかっている。後側には、本2冊。なお、実際には、正面にも物が散乱しているので、文字通り正面から本棚を見ることは不可能である。
後ろの本を取るには、本の山に乗って、棒か何かで引き寄せるしかなさそうだ。
足の裏に靴下越しの痛みを感じつつ、私は本の山に乗った。本の量がとてつもなく多いので、バランスは取れる。整理しきれない分量なりに、可能な限り大切に扱ってきた本たちを踏みにじるような真似をして、足裏の、紙を踏み潰している感触が、心苦しかった。
モップの柄で、本棚裏の本を取ろうとする。うまくできない。
雪かき用のスコップで、取ろうとする。うまくできない。
1,2時間、苦闘した。
結局、本を引き寄せるのではなく、逆に押しやって、正面から見て右の方にあるらしい、しかし現時点では近づくこともできない、本を片付ければ問題なく近づけるはずの空間へと、本を逃がすことができた。
私は疲れ果てた。その後も、少し、空きのある別室へと本を移動させるようなことを行ったが、とてもやる気が続かず、すぐ寝てしまった。
1月3日
片付け、遅々として進まず。今後もすぐに参照できる場に置いておきたい本は、本の山に埋もれないようにしたいのだが、一時的にそれらを置いておくスペースすら、この部屋にはどこにもない。本を分類しながら片付ける、などという悠長なことを考えながら動いていると、作業はちっとも前に進まない。「質」にとらわれることなく、ただ、物体の山という「量」を扱うつもりで臨まなければ、埒が明かない。
少しだけ、本を別室に動かし、少しだけ、スペースができた。
マスクはつけているが、目が埃でしょぼしょぼする。
夜、眠い目をこすりながら、「2001年宇宙の旅」鑑賞。正月の恒例行事である。ここ数日で、数少ない正月らしいイヴェントだった。
1月4日
延々、作業。少しは別室への本の移動が進んだ。床が見えてきた。とはいえ、かき分けてもかき分けても、際限なく次から次へと本が溢れてくる。気が滅入る。
レコードも、少し移動。レコードを並べていたカラーボックスも、吹っ飛んでしまったのだ。
レコードは本よりも重い。カラーボックスを、レコードが入ったままの状態で持ち上げようとしたところ、指を切ってしまった。
私の持っているレコードはLPやEPだけだが、SPだったら、もっと盤へのダメージは大きかったと思う。LPは割れづらい。
いずれにせよ、レコードであれCDであれDVDであれHDDであれ、物理的損傷によって情報が失われてしまうのはあまりに痛い。この点、本は、潰れようが破れようが、読めなくなるということはあまりないので、強い。不幸中の幸いというべきか。
今後は、バックアップはSSDに取るようにしようか?
傾いた本棚を直立させようとしたところ、失敗。なぜか、どうしても倒れてきてしまう。よく見ると、少し、高さが高くなっている。ということは、おそらく底面と床の間に本が潜り込んでいるのだろう。
ともかく、本棚の右、真横から下部を目視できるようにしなければ。
気が遠くなりそうだ。
作業中、Darkthroneとフリッパーズ・ギターとコーネリアスとNapalm Deathを聴いた。大音量で。予備のミニコンポで。
本の山に埋もれた、メインのオーディオは無事だろうか。まあ、レコードプレイヤーは諦めたほうが良かろう。
1月5日
午前中は怠けていた。
テレビで録画されていた「昭和残侠伝」観る。何も考えずに観られる、全く中身のない映画である。三島由紀夫はこのシリーズが大好きだったらしいが、さすがの悪趣味さだ。ジャンク・カルチャーへのリサイクル的再評価こそ、三島美学の真髄ということか。
午後より肉体労働。だいぶ、本の山を別室に動かした。
本に埋もれていたパソコンのディスプレイ、小型テレビ、そしてレコード・プレイヤー以外のオーディオ機器をレスキュー。外見上、思ったほどひどいダメージは受けていないようだ。CDプレイヤーを通電させ、中に入っていたMayhem "Live in Leipzig"もレスキュー。
CDは、いくつかのケースが割れたほかは、概ね無事だったようである。それにしても、よく聴くCDに限って下の方に潜り込んでしまった。
ディスプレイ、スピーカー、ヘッドフォン、プリアンプのみ別室に移動させる。
傾いた本棚を直立させようとまた試みるも、うまくいかず。右下を覗き込んでみると、どうも、巾木(壁と床をつなぐ枠のような部分)の出っ張りに引っかかっているらしい。
一度、手前に少し動かしてから押す、というようなことをすればうまく立つだろうか。
床に直に置いていたレコード・プレイヤー上に降ってきた本の山も、なんとかどけた。だが、倒れかけの本棚の近くにプレイヤーを置いていては危険だ。他所に移さねば。
ようやく、少し先が見えてきた、といったところか。片付け終わったところでまた揺れる、ということがないよう祈るばかりだ。
1月6日
[注:この日より3日ほど、他の用事があった。]
作業を行わなかった。
午前中は、前日に引き続き、「昭和残侠伝 血染の唐獅子」観る。別に面白くもない、「若大将」的ワンパターンである。どもりの弟分は、美味しいキャラクターではある。「ミリオンダラー・ベイビー」のデンジャー(知的障害者の青年)的なおいしさだ(私は、デンジャーこそ「ミリオンダラー・ベイビー」の主人公だと思っている)。
[略]
夜、焼肉を食べに行く。
両隣に座ったグループは、ともに、新年の挨拶と震災の話題で盛り上がっていた。
1月7日
前日に引き続き、作業を行わなかった。
1月8日
作業を行わなかった。
[略]
夜、テレビで、ベナンの少数民族タネカを探すドキュメンタリー・バラエティ番組を観る。写真家ヨシダナギの取材映像をスタジオで芸能人が観るというスタイルの番組だ。スタジオには松本人志がいた。
引き続き放映されたニュース番組で、松本の活動休止の速報。性加害の疑惑が報じられたことに伴う裁判に専念するため、とのこと。
一度スキャンダルが報じられるや、条件反射的なバッシングが沸き起こり、対象となった人物を表舞台から引きずり下ろす動きが、「正義」の裁きであるかのように機能してしまうシステムのひずみは、単なる個人の性加害よりもはるかに罪が重い。松本が実際に加害者だったかどうかに関わらず、このひずみは徹底的に否定されるべきだろう。
1月9日
昼過ぎまで寝ていた。
夕方、少しだけ片付け作業。本棚の前にある本を少しどかし、レコード・プレイヤーを移し、さて、前のめりに傾いた本棚をどうしようか――と、棚の縁を掴んで何度か前後に揺らす。意外に、半分以上が空になった本棚は軽い。何度か揺らしているうちに、突如として、ガタンと音を立てて、棚は直立した。指を挟まなくてよかった……。
しかし、真下に一冊、新書が挟まれてしまった。講談社新書の『全学連と全共闘』だ。できれば手元に置いておきたい本である。いや、仮にどうでも良い本だとしても、放置しておくわけにはいかない。ゆっくり小刻みに左右に動かしながら引っ張り、なんとかレスキュー。やや表紙に傷が付き、折れ目もついてしまったが、破れることはなかった。ああよかった、99匹の羊を尻目に、1匹だけをレスキューしたような喜びだ。
と、その直後、棚がカタカタと音を立てた。バランスがまだ悪いのか? いや、違う。地震だ。私は慌てて部屋から飛び出した。時に18時。
少しテレビでニュースを確認してから、再び作業。まだ、棚は少しバランスが悪いようだ。少し力を入れて押すと、すぐグラグラする。
耐震シートを下に挟むべきなのだろうか。だが、どうもこの棚は、底面全体ではなく、両端の2辺で支えられているらしい。このような家具に、耐震シートは使えるのだろうか?
色々と調べるほかない。
アマゾンで耐震グッズを検索すると、ヒットする商品の名が、「ふんばりくん」だの「あんしんくん」だの、「〇〇君」だらけであった。なぜだ。
「たおれんぞう」というのもあった。象と「ぞう」をかけるとは面白いジョークだ。
1月10日
いよいよ地震から10日が経とうとしている。片付け、遅々として進まず。
延々、入念に、耐震グッズについてインターネットで調べる。実際問題として、これまでの対策では今回の震度の揺れに耐えられなかったのだから、何か、対策を追加しないわけにはいかない。
1月11日
昼過ぎに起床し、夕方まで怠ける。
テレビで「昭和残侠伝 死んで貰います」観る。ジメジメジメジメとした、非常につまらない映画だ。このシリーズの最高傑作とのことだが――毎度毎度、全く同じ内容という意味で同類の「若大将」シリーズの最高傑作が「エレキの若大将」だというのはまあ理解できるが、「死んで貰います」という作品は、一体どこに傑作の要素があるのだろう。高倉健の良さ、私には全く理解できないぞ。
夕方より夜にかけ、少し片付け作業。
左側の、倒れなかった方の本棚に使っているジャッキ式のつっかえ棒を、これまでより奥、端の方に動かす。現時点でもこの本棚はびくともしないのだが、更に、耐震グッズを追加しよう。
これまでは乱雑なりにどこに何があるかぼんやりと把握していた本の並べ方が、完全にシャッフルされてしまった。これから、読みたい本を探すために本の山を引っ掻き回す機会が増えると思うと、気が重い。
1月12日
昼過ぎ起床。
テレビで『欲望の資本主義2024』観る。やくしまるえつこの萌え(?)ヴォイスに耐えながら最後まで観たところで、結論は、マルクスとヴェブレンをつまみ食いしたような素朴な疎外論である。
夕方、前日の日記を書いている最中に少し揺れた。
日記を書き終えてから、片付け作業。
夜、とりあえず連結シートと滑り止めマット(並べてある本の落下を防ぐため)を通販で注文。
1月13日
昼過ぎ起床。夕方より片付け。
机の周囲を少し片付けた。CDや、幼い頃に遊んでいたウルトラマンのソフトビニール人形などが散乱していたのだ。捨てられずにいた幼い頃のおもちゃは、処分するべきだろうか。
片付け中、内田百閒『冥土』が出てきたので少し読んでしまった。昔(8歳頃か)、夢中になった短編集である。改めて「支那人」に笑い転げた。
大島弓子『ダイエット』も読む。実に病んだ物語だ。しかし、同時収録されているエッセイ漫画のつまらなさはどうにかならなかったのか。猫を擬人化するどさくさ紛れに、自分を擬猫化するのはさすがだが。
五十嵐大介『魔女』第1巻も再読。最初に読んだ2005年か06年には面白いと思った作品だが、改めて読むと……だめだろう、これは。漫画として完成度が高いとは思うが、背後にあるウィッチ・フェミニズムとエコロジーとスピリチュアルのごった煮のような思想には辟易させられる。「言葉を超えた領域」を知るということの特権性にあぐらをかいて、「けがれ」にまみれた現代人へと一方的なお説教を垂れ流し、自分の身ぎれいさの根拠としては、「不当に差別されて可哀想な魔女」の個別的エピソードしか示せない――要するに、我が身の可愛さを投影するための道具として、魔女のプリミティヴを都合よく利用しているのである、この漫画は。
プリミティヴなものと自らとの間にある距離に自覚的であること、プリミティヴなものを称賛することの暴力性に自覚的であること――こうしたことが、このような作品を良質にするための欠かせない条件だ。
1月14日
夕方、作業。倒れた方の本棚から分離され、落ちてしまっていた本棚の上段を、下段に乗せた。とてつもない重さだった。椅子に乗って作業したが、バランスを崩しそうになり、ひやりとする場面もあった。もし転んでいたら、大怪我は避けられなかっただろう。
1月15日
この日は、病院に行く予定があった。
翌日の予定が前々から決まっている時の常として、前日の深夜もまた、私は、なかなか眠ることができず、いつまでもグズグズと起きていた。予定通りに起きることができないような生活サイクルに、予定日に向けて、いつも少しずつずれていくのである。
なんとか深夜遅くに眠りにつき、8時半頃に起床。11時からの受診時間に間に合った。
病院で、どう見ても椅子としか思えない物体に、「これは椅子ではありません。座らないで!」と張り紙がしてあった。荷物置きとしてのみ使え、という意味なのだろうが――マグリットかよ!
レトリスト・インターナショナルによれば、「この迷路で遊んではいけません」という立て札に、現代文明の精神が最も表れ出ているらしい。
受診を終え、午後、帰宅。
倒れた方の本棚を、ジャッキ式つっかえ棒でとりあえず固定。その後、インターネットで耐震グッズをじっくりと探し、耐震シールを通販で一つだけ購入。
1月16日
夕方、起床。片付け作業を始めようかと腰を上げたところで、緊急地震速報。能登で震度5とのこと。ああ、怖かった。重いものを持ち上げている時に震度5の揺れに襲われたらと思うとゾッとする。
しかし、いつまでも怖がってはいられないので作業開始。
散乱していた本などはだいたい別室に移したりきれいに積んだりしたので、「部屋が片付いた」とは到底言えないものの、次の片付け作業へと移行できるよう、概ね準備は完了した。本棚も、もう本を並べ始められる状態である。
ここからは、少し細かい作業に移らなければならない。
オーディオの位置はどうしよう。本の落下対策は? いや、本以外のものも倒れないよう固定せねば。でもその前に、少し掃除をしたいぞ……。
とりあえず、これからやるべきこと:
1,引き出しの中の不要品を捨てる。
2,簡単な掃除。カビをふこう。
3,本棚の上の方の段に、滑り止めマットを敷く。使い勝手があまりに悪い場合、落下防止シールを別途購入。
4,壊れた(もともと壊れかけていた)カラーボックスを捨て、新しいものを購入。もちろん、固定具も一緒に。
こんなところか。物を置く大体のレイアウトを決めてから、それぞれの物の耐震対策を考えよう。
1月17日
通気孔、窓枠、その周囲の壁に、カビが生えていたので、無水エタノールをつけたティッシュで拭く。無水エタノールは、オーディオの端子をクリーニングするために買い、少し使っただけで使用期限を迎えてしまったものだ。電子機器にはもう使えないが、カビ拭きには問題なかろう。
この日記、面白くもない家事記録と化しているな。
1月18日
前日の22時半に眠り、19時に起きた。20時間以上眠ってしまった。
掃除の続き。
掃除を終え、深夜、テレビで録画しておいたNHKの番組『ザ・プロファイラー』ムッソリーニ特集を観る。全く中身のない番組だな……。
ムッソリーニの暴力性が批判的に取り上げられているが、一番肝心な視点は、当時、暴力的だったり反ユダヤ主義的だったりしたのは、ファシズムやナチズムだけではないということだろう。このことを隠蔽して、責任をファシズムだけに負わせる批判は全て無意味だろう。
ムッソリーニについては、ロマノ・ヴルピッタ『ムッソリーニ 一イタリア人の物語』が必読だ。
『謎の日本人サトシ~世界が熱狂した人探しゲーム~』というドキュメンタリー番組も観る。一枚の写真だけを手がかりに、一人の日本人を探すというゲームを追ったもの。14年がかりで探され続けたその「サトシ」なる人物は、結局、AIによる顔認証システムの助けを借りて、発見されたらしい。うーん、……それはずるいだろう。
AIに支配された、クソみたいなグローバル全体主義社会である。そして、ファシズムこそ、アンチ全体主義者にとっての可能な選択肢にほかならない。
この日記、面白くもない家事記録+テレビ感想文と化しているな。腰を落ち着かせて読書したり映画を観たりということを、どうにも、行う気になれない。
さっさと、部屋の機能と、部屋での私の生活を復活させなければ。「復活」させるほど調子の良い内実のある生活でもなかったかもしれないが……。
1月19日〜20日朝
本の整理。
あまりにも冊数が多く、あまりにも散らかっており、どこから手を付けるべきか途方に暮れてしまう。だが、無茶苦茶な並べ方でとにかく本棚に詰めていくということは、できれば行いたくない。最低限、何となくどこに何があるか把握できるようにしておきたい。
そうしたことを念頭に置いて、なおかつ重い本は下の方へ並べるよう心がけつつ作業するのは、骨が折れる。
1月20日夜〜21日朝
深夜中、延々、本の整理。
ああ、本はどうやって並べればよいのだろう……。
なんとか、単行本は、何がどこにあるかざっくりとしたジャンル分けができつつあるが、文庫本は完全にシャッフルされてしまった。
重い本はなるべく下の方に置くよう心がけるが、こうすると、よく読む軽い本が、手に取りづらい上の方に行ってしまう。
地震前の私の本棚は、意識して細かく分類していたわけではなかったが、自然と、機能性の高い並び方になっていた。ただし、重い本は下に、というルールは無視されていた。なんとか、安全性と機能性をそれなりに両立できる並べ方が編み出せればよいのだが。
それにしても、とてつもない量の本である。冊数にすれば2〜3000冊といったところだと思うが、部屋が狭いので、密度がとてつもなく高い。2,3個の本棚に収蔵できる量ではないので、必然的に、溢れた本は積み上げられていく――延々と。もちろん良くないことだ。しかし、他に手のうちようがないのである。
当然、苦悩は、並べ方のみならず、積み上げ方にもついて回る。ダンボール箱にでも入れて整理したほうが良いのだろうか?
ああ、疲れた――筋肉が痛い。
1月21日夜〜22日
休みをはさみながら、延々17時間ほど、本の整理。だいぶ、本は本棚に収まってきた。
現代思潮社コーナーを作った。三一書房コーナーも作りたい。
森鴎外や夏目漱石など、著作権が切れインターネットで公開されている古い文学作品は、よほど思い入れの強いもの以外、手放すことにする。
迷うのは、雑誌類。よほど中身に関心のないものであっても、一度手放すと再入手が困難だろうと思うと、なかなか手放す気になれない。
1月23〜24日
本の整理。
その後、深夜中かけて、髪を切った。
一人で、浴室で、バリカンで。
さっぱりした。
朝、また本の整理。収蔵はだいぶ進んだ。残りは、新しい本棚と滑り止めマットが届いてから着手しよう。
Mayhem "Live in Leipzig"聴きながら、昼前、寝る。名盤だ。
ブラックメタルの魅力は、装飾過多とプリミティヴが融合している点にある。
1月25日
深夜、「新・明日に向って撃て!」観る。作られるべくして作られた、娯楽性の高い続編だ。
血清を注射しようとする場面は、ドラッグのメタファーととらえて良いのか?
朝方より、部屋の整理。本を並べ、不要な書類を仕分ける。
昼前、注文していた本棚が届いた。
組み立ては翌日にまわし、昼過ぎ、就寝。
金沢を散歩する夢を見た。
金沢駅から金沢港に向かって歩いていると、見知らぬ(実在しない)料理店がたくさん並んでいる。この通りは、随分、都市として賑わっているようだ。
食べ物屋ばかりで面白くないな、しかしラーメンでも食べていこうかな――と考えながら人混みの中を歩いていると、「中華料理店があるよ」という声。近くを歩いていた見知らぬカップルの会話だったが、私は思わず「どこに?」と聞き返す。男が、黙って道の向こう側を指差した。
少し歩くと、古本屋を発見。中には、白水社の『小説のシュルレアリスム』シリーズが並んでいた。私が持っていないものもあるようだ。私は喜んで、物色を開始。
すると、後ろから女が来た。目当ての本をとられないよう、私は肘で棚をガード。女は、「ちょっと、どいてください」と言い出す。やがて、私が失礼だとかなんとか、しつこく怒り出した。
なんてうるさい女だ。どこかに消えてくれ!
ここで、目覚めた。深夜だった。
中小規模の――田舎の県庁所在地程度の規模の、当然金沢市もそうである程度の規模の――地方都市では、都市が実現しようとしている都市機能と、実際に都市に居る人々が体感できる都市機能との間には、差が生まれやすい。金沢もまた、表通りは都会的だが、都会的な風景が期待させるほど、実態として都会であるわけではない。
現実の都市の裏側に、都市が実現していたはずの、幻の都市があるのだという言い方もできるだろう。
私はよく、夢の中で、そんな「幻の都市」を散歩する。
1月26日
朝より、届いた本棚の組み立て。組み立て自体はすんなり終わったが、同梱の地震対策グッズの取り付けに、思いの外手こずる。ナイロンのベルトと木ネジで壁に固定するタイプのもので、こうしたグッズを別途買うべきなのかと考えていただけに、付属品にこれが入っていたことを喜んだのだが、いざ取り付けようとすると、棚の天板に、木ネジが全く入らない。壁側にはすんなりと入ったのだが、天板は、ドライバーでいくら穴を開けようとしても全くだめである。付属品なのに!
何度も、木ネジを滑らせ落としてしまった。
結局、きりで下穴を開け、なんとかベルトの固定に成功。あらかじめ買ってあった「あんしん君」(家具の下に敷き、家具を壁の方へ傾かせ、倒れづらくするグッズ)も取り付け、地震対策は、こんなところでよいだろう。本を並べると、部屋がまた少し片付いた。
あとは、文庫本をどうにかどかし、レコードを並べ、オーディオを直し、パソコンを設置すれば、部屋の機能はほとんど元通りである。
本棚の設置には昼過ぎまでかかってしまった。
外出し、昼食にラーメンを食べる。帰宅後、就寝。
入眠時のBGMは、Venom "Black Metal"だ。
ブラック・メタルは「凶悪」な音楽と言われるが、ヴェノムに関しては、「悪」なのはサタニックだからではなく、頭が悪いからだろう。頭の悪いロック小僧が、教室でオナニーした自慢を大声で歌う、音質の悪い、チープな悪魔メタル……。
こんな音楽のせいでノルウェーのアンダーグラウンド・シーンが血みどろになったと思うと、実に馬鹿馬鹿しい。ヴェノムが冗談でやっていたことをメイヘムが本気にとらえ、ユーロニモスが(相対的には)冗談でやっていたことをカウント・グリシュナックが本気で極め――さて、それでは、「本気」の人々を前にした時、「冗談」の側の人々がそれまで主観的には感じていたはずの「本気」さは、煙のように消えてしまうものだろうか。
こういう時、相対的に「ふざけて」いた側は、あくまで自分が自分なりに持っていた主観的な「本気」さを、手放すべきではないだろう、と私は思う。
つまり、「こんなひどいことになるとは思わなかった」という理由で反省するような真似は、するべきではないと思うのだ。
1月27日
カラーボックスを設置し、レコードを並べられる状態にする。ボックスの下には耐震ジェルを4つずつ置き、内側には滑り止めマットを敷いた。これでボックスはびくともしないし、レコードも滑り落ちづらくなったはずである。
それから、オーディオ機器の設置。カラーボックスの上に耐震ジェルを貼った人工大理石のオーディオボードを置き、その上にインシュレーターと小型スピーカー。(オーディオ的に良くない設置法であることは承知しているが、部屋が狭く、他にやりようがないのだ)。オーディオボードは、ジェルの力で固定されているはずだ。
問題は、インシュレーターとスピーカーである。両面テープででも固定してしまおうか?
これまで床に直に置いていたレコード・プレイヤーは、机上に設置。空論とぶつからないよう気をつけよう。
端子をクリーニングしてから、アンプにケーブルをつなぎ、恐る恐る機器の電源を入れると、無事、動作した。故障はないようだ。
10cc, The Beatles, Primal Scream, The 13th Floor Elevators, バリ島のケチャなど、スタンダードな愛聴盤を色々と再生し、動作チェック。その傍ら、山積みのCDをアンプの横にどかした。枚数にすれば、多めに見積もっても400枚弱といったところだろうか? とはいえ、狭いところに押し込めるには、とてつもなく多く思える枚数だ。今のところ、ただ積んであるだけなので、とてつもなく目当てのものを探しづらい。
これで、部屋の整理もだいぶ済んできた。あとは、パソコンを設置すれば、部屋の機能は一応回復する。パソコンが壊れていないこと、そして、大きい地震がもう来ないことを祈るばかり。
いやはや、日頃は「革命派」気取りで世界を破壊し尽くすことを夢想しているくせに、いざとなると情けない祈りである。今の私にできるのは、小市民的に、生活環境を建て直していくことだけだ。小市民的な現実生活にとらわれず、観念をブーストさせることこそ大切なのだから、これはこれで良いだろう。
今月に入ってから全力を傾けてきた地震対策が、有効に機能しますように。
1月28日
本棚の上の方の段全てに、滑り止めマットを敷く。やはり、利便性はかなり下がる。文庫本が取り出しづらい。
それから、少し本を並べ替え。早速、いくつかの本をどこに置いたか分からなくなってしまった。北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』は、現代思想だったか、メディア論だったか……どのコーナーに置いたのだっけ?
結局、「ナショナリズム」コーナーの一番取り出しづらい場所に置いていたのだった。まあ、ここで良いか。
今後、行方不明の本を探して本の山を引っ掻き回す機会が増えると思うと気が滅入る。
そうは言っても、本の整理とは楽しい作業でもある。もっと部屋が広く、本棚が多ければ、床に積んである本に煩わされず、本を整理・分類する作業自体に没頭できるのだが。
机上の整理。不要な書類を分類、処分。
1月29日
結局、スピーカー、インシュレーター、オーディオボードは、両面テープで固定することに決め、午後、作業。
その後、不要品の仕分け。使わない文房具が、やたらたくさん引き出しに入っていた。カラフルなサインペンなど、こんなにたくさん持っていても使いみちはないのだが……。
しかし、試し書きしてみると、長年放置していた割に、色はしっかり出るのである。
1月30日
机の周りの整理と掃除。長らく掃除していなかったので、とてつもない量の埃が溜まっていた。
古いバファリンが埃の中から転がり出てきた。バファリンを飲むのにアレルギー薬が必要だ。
うず高く積まれた文庫本とCDの山の扱いには困ったが、なんとか、空きスペースに押し込めた。
これで、机はどうにか使えるようになった。
恐る恐る、パソコンの設置に取り掛かる。
パソコンはデスクトップ型だ。筐体が、倒れてきた本棚(上段)にぶつかり、強い衝撃を受けていたようなので、とりあえず一度パネルを外し、しっかり取り付け直す。
そして通電させると……よし、起動したぞ! 本当に良かった。
久々に、パソコンからnoteにログインした。この手書きの日記も、パソコンで文字起こししてnoteに載せようか? 他人に読ませるほど中身のある文章ではないが。
その後、一旦シャットダウンして、筐体下部に耐震ジェルを取り付ける。机上の、レコード・プレイヤーにぶつからず、パネルが他のものに接触しない場所を選んでゆっくり下ろす作業に、手間取ってしまった。何度もやり直し、どうにか完了。これで、揺れのせいでパソコンが倒れるリスクは減らせたはずだ。あとは、本棚さえ倒れてこなければ問題なし。
1月31日
1日に投稿する予定だった木澤佐登志『闇の精神史』書評をnoteに投稿。瓦礫と塵埃から「失われた夢」の破片を掘り起こす云々、という同書の末尾の記述は、ここ一ヶ月の、埃まみれの本の山を延々片付け続けた作業に通じるものがある。
一応、部屋もほぼ元通りになったことだし、私の「復興」作業もそろそろ終わりと言ってよいだろう。
1月は全く読書できなかった。2月は、よく本を読み、音楽を聴き、文章を書くようにしたい。読みたい本、聴きたいCDやレコードは山積みだ。
だが、生活空間の確保のためには、今後はこまめに本や音盤は売るようにして、物を流動的に扱うようにしなければなるまい。
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