第0次産業「ボイストレーニング」
はじめまして。ボイストレーナーの浜渦弘志(はまうずひろし)と申します。浜渦姓は聞きなれないかもしれませんね。高知県は安芸郡北川村発祥の苗字でして、全国に1400名ほどいるそうです。
これから声のこと、呼吸のこと、からだのこと、思うこと、嬉しいこと、腹の立つこと、でもブレないで生きていくにはどうするか(を悩んだ挙句の自分へのアドバイス)など、思いつくままに書いていきたいと思います。
ボイストレーナーという仕事
ボイストレーニングという言葉もだいぶ浸透してきまして、みなさんもお聞きになったことがあるかもしれませんね。そのボイストレーニングをコーチする側の仕事がボイストレーナーです。本当にわかりやすく言いますと、高い声や大きな声、伝わりやすい声の出した方、呼吸法や体の使い方、また喉の開け方や、なぜ開けるのか、また開けたらなぜ良いのか等、論理的かつ具体的に、でもそれが人間の反応として自然であるかどうかにも留意しつつ、お伝えする仕事です。
この仕事には全く資格が要りません。どなたでも名乗れば、たった今からボイストレーナーです。表現の世界に資格制度ができるとおそらく腐敗するでしょう。逆に資格がない分、胡散臭いボイトレもあることも否定はできませんが(私もそう思われているかも…)、そのあたりはいつか書きたいと思います。早い話が、体が資本の、なんの保障もない日雇い労働者です。でもロマンはありますよ。だって、声と呼吸という「ひとの人生」に関わる仕事ですから。責任は重大と思って取り組んでいます!
目的は表現、声は手段
私は声と体と人間のメンタルとの関係を追求していく中で、ただ良い声とか、高い声の出し方や、カラオケでうまく聞こえるような歌い方を求めるだけでは、あっという間に飽きたらなくなってしまいました。私の興味はなぜ人は声を出すのか?歌うってどういうことなんだ?人間って一体なんだ?伝わる声ってなんだ?思わず「うん」と頷いてしまう声ってなんだ?という方へ向かっていきました。ちなみに、相手が思わす頷いてしまう声の出し方、というか体と呼吸の使い方もあります。それだけに人を騙すことには絶対には使ってはいけないわけです…
声というものは、仕方なく事務的に出すときもあれば、思わず出すときもあります。驚いて出したり、噛みしめるように出したり。声は人を魅了したり、遠ざけてしまったり、納得を得たり、共有したり…そんなとき、人はどんな感情でどんな体の動きで、どんな呼吸で声に至るのかというところに興味を持ち、どんどんのめり込んでいったのです。
例えば「さよなら」とひと声出すのでも、そこに「また明日ね」というニュアンスがあったり「もう会えないのね」というニュアンスであったり、ただ社交辞令的に言っていたり…面白くないですか…?そんなあらゆる人の表現を再現するのが表現芸術であり、声はその手段なのです。
ボイトレは第0次産業
実は、零と書くか、数字にするかに迷って、書き出しで早速、3分もかかってしまいました…それはさておき、ボイストレーナーという仕事は、教育・サービス業など第3次産業の範疇ではあると思うのですが、不要不急で、不況時には真っ先に切られてしまう趣味のような仕事、いやそれ以下のものではないかと、一時期、真剣に悩んだこともありました。
しかし、前述のように、声というものはただ良い声を出したり、高い声を出して、自己満足に終わるものではありません。気分が落ちれば声も出にくくなりますが、逆に寝不足でちょっとくらい調子が悪くても、本当に嬉しいことがあれば、すごい声がでてしまったりします。本当に面白いものなのです。単純に書きますと…
声=呼吸=メンタル=体…人間そのものなのです。
…全ての産業は人間が起こします。全ての産業の基礎は人間そのものであると思うのです。呼吸は生きることそのもの。声はその生きる証である呼吸から生まれ、体とメンタルのバランスを如実に表します。そのバランスを取ることで、精神は体から自由になり、体は自然さを取り戻す。
そんな自由になった自分から、自然な反応として声を出すことができたら…歌はもっと自由になるはず。気持ちももっと自由に、言いたいことも、もっと自由に伝えられるはず。
…これは、何かをする以前の、人間であり、動物である私たちの礎に関わる仕事なのだ、これは「第0次産業」なのだと、誇りを持てるようになったのが15年ほど前のことでした。
喜怒哀楽、みんなの本気を共有し合う世の中に
「会って話す」から「手紙」へ。手紙から「電話」へ。電話から「メール」へ。「メール」から「絵(スタンプ?)」へ…リアルでぶつかり合う機会はますます減っています。気楽にはなりましたが、なんとなく窮屈でギスギスしている…そんな感情を持つ方も多いのではないでしょうか。
実際、人間関係で悩む方からの相談もよく受けます。その多くがコミュニケーション不足、いや、コミュニケーションの仕方がよくわからない、コミュニケーションに疲れたというものです。そこで「相手に伝わる魔法の言葉」的な本を読んだとしても、それは自分の体の底から生まれたものではないために、いざという時うまく出てこなかったり、出てきても、いずれはバレてしまうようです。魔法は解けてしまうのでしょうか。
また「怒るなんておとなげない」「人前で感情的になるのは堪えろ」とよく言われますが、それも良いのですが、事なかれ主義にも陥りかねません。私は言いたいことをきちんと、たとえ話し下手でも、自分の言葉で言うべきだと思います。伝わり・共有できる声と呼吸でできればそれは可能だと思います。難しいと思われるかもしれませんが、才能など関係ありません。それは多くの人が、幼少期にはできたことなのです。しかし、大人になるにつれ、叱られ、頭を打ち、出る杭は打たれるうちに、放棄していってしまったのです。
人は、相手を前にしたとき、その人の呼吸を聞いています。呼吸からその人の内面を感じ取るのです。もちろん、実際には呼吸音はわずかですので、呼吸を声から感じ、受け取ります。それが共有できるものであるとき、人は少しずつ誤解を解き、またすぐには無理でも、少しずつ打ち解け、障壁を乗り越えていけると信じています。
誰も排除しない世の中へ。なあなあではなく共有できる、意見は違っても相手が受け入れることのできる世の中へ。そのために、私のボイストレーニングがお役に立てれば、こんなに嬉しいことはありません。ジャンルは歌でも演劇でも朗読でもプレゼンでも良いのです。みんな違ってみんないい。でもお互い壁を取り払って排除せず、生身でぶつかり合える世の中…ただの理想論と笑われそうですが、私はそんな世の中を夢見ています。
さて、最後におまけですが、動画をひとつ。のどの開け方についての解説です。よろしければご覧くださいね。