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当事者の視点で考える、ゴミ屋敷に住んでいた経験から見えた『本に必要なこと』
ゴミ屋敷は、家の中や敷地に大量のゴミが溜まってしまう状態を指し、単なる片付けの問題を超えて、社会的孤立や排除とも深く関わっています。
私自身、かつてゴミ屋敷で生活していた経験があり、その心の変化を振り返ることで、この問題について考えたいと思います。
ゴミ屋敷は「セルフネグレクト」とも関連づけられることがありますが、私の体験を通じて、その実態を少しでも明らかにできればと思い、この記事を執筆することにしました。
結論
ゴミ屋敷は、単なる片付けの問題ではなく、心理的な防衛手段としての側面があります。
外部からの侵入を防ぎ、安心を確保する「要塞」です。
解決には、ただ片付けを強制するのではなく、安心できるつながりを持つことが大切です。
ゴミ屋敷の中での生活
20代の時、実家暮らしでしたが、私に与えられた自室はゴミ屋敷の状態でした。
足の踏み場もなく、ゴミと洋服が混ざり合っていました。
たとえ一度片付けても、原因が解決しない限り、またすぐにゴミ屋敷になってしまいます。
そして、一度ゴミ屋敷になると、片付けるのに1週間はかかります。
私はゴミ屋敷にしたいわけではなく、結果としてそうなってしまうのです。
家庭環境と仕事のストレス
私の家庭は、単身赴任中の父が長期間不在で、母親と弟との暮らしでした。就職して働いていましたが、自分にしっくりくる状況ではありませんでした。
この仕事が私に向いているのか、疑問が湧きました。
そして、家庭内の不和の影響もあって、イライラしている母とはうまくコミュニケーションを取ることができず、否定されることが多かったです。
過去には命の危険を感じるようなやり取りもありました。
心理的な困難とゴミの役割
そのような心理状態で、外でも内でもうまくいかず、生命の危機すら感じていました。
安心も安全もない現実に、常にキャパオーバーで疲れ果てていました。
そんな中、仕事を辞めて少しの間家にいたこともありました。
ゴミは私が意図的に貯めたいわけではなく、勝手に増えていきました。
しかし、私の心の中ではこのような心理が働いていたのです。
ゴミは私の身を守るための要塞であり、人が入ってこないようにするバリアの役割を担っていました。
ゴミが増えるほど、私の内面は困難な状態であることを示していました。
私は自分を守ってくれるゴミに、冬の寒さから守られている感覚を感じていました。
誰にも入れさせたくない一方で、実は相当な助けを求めていたのです。
助けてくれるのは、誰でも良いわけではなく、私を理解し、信頼できる人でなければならないと感じていました。
ゴミ屋敷を改善するためのポイント
私は結局、結婚するまでゴミ屋敷に住み続けました。
安心で安全が確保されなければ、ゴミ屋敷は改善されませんでした。
ゴミ屋敷は 要塞 であり、不安や未解決の過去の問題、外の活動がキャパオーバーな状態 を示す バリア の役割を担っていました。
ゴミ屋敷を片付ける際の心情
結論として、ゴミ屋敷に住んでいた時は「今を生きていない時」「自分を生きていない時」「自分を守る必要がある時」でした。
ゴミ屋敷を片付ける際にしてはいけないことは、怒ったり、きつい口調で片付けを強制したり、馬鹿にしたり、部屋に暴力的に入っていくことです。
それは、唯一の大切な精神世界に土足で踏み込まれるようなものだからです。
安心できる人とのつながり
しかし、安心できる人がいれば、その意味は変わります。
ゴミ屋敷は要塞であり、守られる空間であり、外からの境界線です。
片付けられないのではなく、片付けたくないという気持ちがあったのです。
ゴミは自分の一部だと思っていたし、自分自身をゴミだと思っていたのです。
頭の中は常にいっぱいで、片付けろと言われると、ものすごく嫌な気持ちが湧きました。
ゴミ屋敷と自分を守るための感覚
問題を指摘されると、自分を守ってくれているものを取り除くように言われている感覚を覚えました。
自分を守ってくれる存在が必要であり、外の世界に自分の居場所を見つけたかったのです。
叔母の存在と心の支え
私の記憶に残るのは、ゴミ屋敷になっている部屋で、その状況を全く気にせず、指摘もせず、私の近くにきて話しかけてきた叔母の存在です。
また、「何かお下がりがあったら欲しいな」という頼みごとも、私を頼る態度が心に残りました。
ゴミ屋敷に住んでいても、私を認めてくれる人がいることは、私を気持ちの上で認めてくれる存在として、非常に救われた気持ちになりました。
ゴミ屋敷の片付けと新たな感覚
私は自分で時々その要塞を片付ける時がありました。
しかし、部屋がきれいになると、落ち着かない感覚がありました。
その感覚は今でも覚えています。
寒く、寂しい、寒々しいといった気持ちが湧いてきました。
片付けの余力と安心できる人とのつながり
片付けたくなかったのではなく、片付ける余力がなく、片付けたくないという感情もありました。
ゴミ屋敷は縄張りであり、そこに入ることは許されません。
入れる時は、自ら片付けを決意し、余力がある時だけです。
安心できる人とのつながりがあれば、片付けの余力が出てくることもあります。
つながりの重要性
そして、安心な人とつながることが重要であり、そのつながりは簡単に切れるものではないという感覚が大切です。
私がエンパワメントされ、ゴミを貯めなくてもよくなる時が来るのです。
仕事、いきがい、やりがい、場所、こと、人がキーワードとなり、恐怖や不安、不満、焦燥感、喪失感などから解放される時です。
ゴミ屋敷の本質とつながりの力
つまり、ゴミ屋敷とは「今を生きられない状況」であり、「今を生きることができるようにするためのつながり」が必要なのです。
そのつながりは、たったひとりから始めることができ、たった一人で崩れることもある。
だからこそ、その「たった一人とのつながり」が非常に重要なのです。
家庭で共に過ごす空間を居心地よくするために
片付けができなくても、周囲の人に配慮したルールを作ることができます。
例えば、
共有スペースには物を床に置かないことを約束する
共有スペースのゴミはゴミ箱に限定し、ゴミの日には必ず捨てるという約束をする
このようなルールを設けることで、少しでも片づけるまでの期間を共存することも大切です。
最後に
ゴミ屋敷を片づけること自体を目的にすると、うまくいきません。
大切なのは、住まいを安心で安全な場所とし、さらに自己実現の場を見つけるための仮の拠点として考えることです。
ゴミ屋敷とは、「今を生きていない場所」ですが、それを「今を生きる場所」へとシフトさせることが重要です。
そのためには、たとえ今はゴミに囲まれていても、誰かとのつながりがあれば、必ず片づけられる日が来ると、私は経験者として強く伝えたいと思います。
そして、この経験と視点を大切にし、地域で活かしていきたいと考えています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
この記事が、ゴミ屋敷の支援を考える際の参考になれば幸いです。
私が目指しているのは孤立のない共生社会の実現です。
記事のまとめ
ゴミ屋敷とは
・単なる散らかった部屋ではなく、自分を守る「要塞」
・外部からの侵入を防ぐが、本当は助けを求めている
・ただし、助けてくれるのは信頼できる人に限る
ゴミに囲まれる心理
・ゴミが身を守る「要塞」として機能する
・未解決の問題を抱え、外の活動がキャパオーバーになっている
・不安や焦燥感がゴミを増やす要因となる
・ゴミが増えるほど、内面の困難さが表れる
・冬にはゴミに囲まれることで暖かさを感じることも
してはいけないこと
・強い口調で片付けを強要する
・勝手に部屋に入る
・怒る
・馬鹿にする
片付けのタイミング
「安全」「余力」「片付けたい気持ち」が揃ったときにのみ片付けられる
ゴミ屋敷の本質
・ゴミ屋敷は縄張りであり、他人の介入は拒絶する
・自ら片付けようと決めたときだけ変われる
・安心できない環境では、すぐに元に戻る
・「今を生きられない状況」の象徴
・「今を生きるために、様々なつながりが必要」
・たった一人の存在が支えになり、たった一人によって崩れることもある
必要なこと
・安心できる人とのつながりがあること
・そのつながりが簡単に切れないこと
・「一緒に片付ける」という感覚
できること
・片付けが難しくても、周囲への配慮は可能
・共有スペースの床に物を置かない
・共有スペースのゴミはゴミ箱に限定する
・ゴミの日に必ず捨てる
・ルールを周囲と共有する
まとめ
・ゴミ屋敷を片づけること自体を目的にすると、うまくいかない。
・住まいは 安心で安全な場所 であることが大切。
・自己実現の場を見つけるための仮の拠点 として考える。
・ゴミ屋敷は「今を生きていない場所」だが、「今を生きる場所」へとシフトさせることが重要。
・たとえ今はゴミに囲まれていても、誰かとのつながり があれば、必ず片づけられる日が来る。