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マンションの騒音に悩んだ日々
また今日もだ。目が覚めてしまった。
早朝4時半、叫び声で目が覚める。
時には浅い眠りの中、女の人が叫ぶ夢を見て嫌な気分で目が覚める。
悪夢を見て目が覚め、その声だと分かり嫌な気分になる。
約5年前から、住んでいるマンションで私は日々葛藤してきました。
今回の記事は、私が住んでいるマンションの騒音に悩みながらも、できる範囲で試してみたことについて書いたものです。
参考になるかはわかりませんが、興味のある方はぜひ最後までご覧ください。
現在もこの状況は続いています。
でも、私の方に変化が起きました。
それは、毎日のルーティンの一部となり、タイマーや目覚まし時計の代わりに使うようになったことです。
毎日同じ時間に、同じ音が響きます。
朝5時55分に扉を勢いよく閉める音、そしてその15分後に再び同じように勢いよく閉まる扉の音。朝7時20分には2人が家を出る音、朝8時30分には1人だけが戻ってくる音。
夜6時50分には、1人が帰宅した際の扉の音。そして、夜9時30分と10時30分には大きな物音が聞こえます。
平日と土日祝日では、音が鳴る時間が異なります。
特に、朝の叫び声は土日祝日の場合、朝4時30分から6時30分に変わります。
それほどの騒音でも、寝室が違うと家族には聞こえないようで、子どもには「それ、目覚まし時計じゃないの?」と言われてしまいます。
あんな叫び声の目覚まし時計があったら、どんな人でも目が覚めるでしょう。
そして、毎日毎日、私が寝てる真上から聞こえてくる騒音。
静かな元旦にもかかわらず、いつも以上に大きな物音と叫び声が響き、私の新年の幕開けとなりました。
もちろん私の初夢は女の人の叫び声です。
私が我慢してきたのは主に以下のことです。
・早朝の叫び声と物音
・冬季の引き戸の開け閉め音
・夕方の引きずり音
・日中の叫び声
特に耐え難いのは、早朝の叫び声と引き戸の開け閉めです。
そして、どうにも耐え難くなり、証拠を残そうと思い、目が覚めた早朝に天井の動画を撮影しました。
音は録れましたが、その動画を撮ったり保存したりすることに、次第に違和感を感じるようになりました。
そして、録音ができているか確認するために音を聴くと、その叫び声を最低でも2回聞かなければならないことが、とても嫌な気持ちでした。
そのことに対する嫌悪感はますます強くなり、それでもなお、まるで私がストーカーや盗撮をしているかのような罪悪感を感じるようになりました。
私のスマホは、天井の動画でいっぱいになりました。
その後、管理会社に相談しました。
担当の人に状況を説明し、理事会で提案してもらうことになりました。
その部屋の住人と思われるため、全戸配布と見せかけて、その部屋にのみ騒音改善を求める紙の投函を行ってもらいました。
さらにエレベーターなどの掲示板に貼り紙を掲示してもらいました。
このやりとりは3回以上続きましたが、叫び声や引き戸の音は一切改善されませんでした。
警察に相談しようかとも本気で悩みましたが、最終的には相談には至りませんでした。
次第に、管理会社の担当者からは「外の声や音ではないか」と言われ、「私以外からの苦情がない」との理由で対応が悪くなっていきました。
管理会社の担当者には録音も取ってあると伝えましたが、「聞かされてもどうしようもありません」と言われ、証拠が何の役にも立たないことが分かりました。
その後、その騒音の元と思われる上の階の人とエレベーターで会い、挨拶を交わした際に、その聞き覚えのある声から、私は騒音の元がその夫婦だと確信しました。おそらく年代は60歳前後だと思われます。
その夫婦は、いつも同じ時間に同じ音を立て、規則正しく生活しています。現在、約5年が経過し、私はその騒音を一種のオブジェのように感じています。
毎日繰り返されるので、もしかしたら本当に目覚まし時計なんじゃないかと思ったりします。
私も他の部屋の人に迷惑をかけているかもしれないと思うと、お互い様なのかなとも感じます。
それでも、大変な思いをしながら支払いをしてきた、子どもたちが育ったマンションです。
だからこそ、価値が低くなったような気がして、残念な気持ちでいっぱいです。
毎日郵便受けに投函される「マンション売りませんか」のチラシを見るたびに、見て見ぬふりをしてゴミ箱に捨てています。
朝、エレベーターで会う2人に背中を向けて乗るエレベーターは何とも言えない気持ちになります。
毎日毎日
扉の開け閉めでは、めちゃくちゃ大きな音で開けたり閉めたり、閉めるときは、バーン!という音。
初めて聞いた時は、雷鳴かと思った。
この音は、今も毎日毎日続いている。
もしこの世が終わるとき、その人たちが私の寝ている上に落ちてきたら、私はそれだけは全力で阻止したい。
今日も測ったように5時55分に、バーン❗️という扉を閉める音がした。
あ、まだ、支度してない!もう、こんな時間か。
今日も頑張ろう!仕方ない、今はそんなアラームの役割をしている。
これは、共存なのかもしれない。
見知らぬ人との共存、許容するのも、共生の一つかも知れない。
人は望まぬ環境にも順応できるようにできていると感じています。
それでも、大切な思い出や価値は決して上書きされることはない。
私は今もその思い出と価値と共に生活しています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
私が目指しているのは孤立のない共生社会の実現です。