時間よ止まれ 高階貴子のラブレター(中宮 定子の母)
「たかしなのきし だ」
放映中の大河ドラマ「光る君へ」。
板谷由夏さん演じる、藤原道隆の正妻、高階貴子(たかしなのきし)が登場すると、何となく親近感を感じる私。
何故かって?
長い話しになりますが…
あれからもう半世紀。
中2の冬休みに出された国語の宿題は、苦手な古典。
百人一首の中から好きな歌を一首選び、その歌を暗唱出来るようにし、休み明けにはクラスメイトの前で披露せねばならない。
いやいやながらに選んだのは、
「忘れじの 行く末まではかたければ
けふを限りの命ともかな」
と言う歌だった。
詳しい意味がわからないけれど、何となく切ない感じが伝わって来て、私はこの歌がとても好きになった。
多分、恋の歌だろうとは察していて、クラスで発表するのには、ためらいもあったのだけれど。
それから毎日、練習を繰り返し発表の日がやって来た。
やっぱりね。
察した通り、私が選んだ歌はクラスメイト達が発表する歌とは系統が違い、浮いてしまった感があり。
皆んなは、誰一人として恋の歌を選んでいなかった。
皆んな気恥ずかしいから恋の歌を避けたの?
それとも私がおませ過ぎた?
それ以降も、古典文学に興味を抱く事のないまま学生時代を過ごした私であったが、
「忘れじの 行く末まではかたければ…」
この一首だけは何故か忘れず、50年近くの時を経ても暗じる事が出来る。
若い時代の記憶力の良さとも言えるけれど。
それよりも、幼いながらに芽生えていた女心をくすぐられ、印象が強かったのだろうと感じる。
五十代が終わりに近づいた頃だった。
苦手だった源氏物語や枕草子を読んでみたくなり、解説書を探している時に、サントリー文学賞を受賞された山本淳子先生の著書、
「源氏物語の時代
一条天皇と后たちのものがたり」
に出会い、この本の面白さは退屈なものだと感じていた古典文学への認識を変え、興味深い分野へと導いてくれた。
一条を取り巻く、愛と欲望が渦巻くストーリーは、ドラマよりも更にドラマティックだ。
本を読み、その真実の物語を知った事で、ただの紙面上の史実でしかなかった平安王朝に生きた人々に、一挙に血が通い出したのである。
舞台は約千年前。
25年の長きに渡り在位した一条天皇と妃達の物語である。
近代になるまで天皇の結婚に愛は不要とされていた。
結婚の目的は、先ずは血統を絶やさないようにする事。
このルールは古今東西、変わりはないが。
その為には、まつりごとがスムーズに運ぶように支えてくれる貴族の姫君達を妻に迎え、正妻も側室も差別することなく平等に扱う。
これが、天皇が己を守る術であり結婚だった。
ところが一条はその掟を破り、歴代の中で初めて愛を貫いた天皇だと言われいる。
彼が生涯をかけて愛した女性は、藤原定子。
藤原道兼の長男、道隆の長女である。
定子は14歳で3歳年下の一条に入内し、中宮(天皇の正妻)
に登りつめる。
当然ながらの政略結婚だが、2人は深く愛し合うようになっていった。
両親の不仲で内気に育った一条と、両親の愛に育まれ明朗闊達に育った定子。
内向的な一条が、年上でキラキラ活発な定子に惹かれたのは、ごく自然の流れに思える。
ここにプラス、この2人を強く結びつける役割りをしたのが学問だった。
一条は、自ら漢詩を作る程の漢文好き。
一方の定子は、学者の家に生まれ女官として宮仕えし、漢文を使いこなす母の英才教育により、漢文に優れた才能を持っていた。
この時代の漢文は、男社会に通じるエリートの証。
それゆえに上流階級の女達の中でも、漢文を学ぶ者は学者の家の子女や女官などに限られ、漢文を収めている姫君は非常に珍しかった。
そこが他の姫君達より、一歩も二歩も秀でた定子の魅力であり、一条の愛を勝ち取る武器にもなったのだろう。
一条が打てば定子が響く。
漢文を通じて二人は共鳴し合い、絆が深まっていった。
後に、定子のサロンに仕えた清少納言の才能を見出したのも定子である。
ウィットに富んだ会話で彼女の感性を刺激し、花開かせた定子。
その後、道長の策略により定子の一族は失却していくが、定子を崇拝する清少納言は、定子を讃え、サロンの素晴らしさを書き残した。
それが枕草子である。
明るく、賢く、美しく。
そして機知に富み。
そんな定子に私さえも惹かれて行った。
それから、枕草子や源氏物語などに関係する山本先生の本を2冊続けて読んだ後、更に一条の時代を知りたくなり、夢中でネット検索していると、存在すら忘れていた「あの歌」に出くわせたのだ。
作者の名前を見ると「儀同三司の母」とあり、添え書きには儀同三司とは定子の兄、藤原伊周の別称と書いてある。
実名は高階貴子。
歌人としても有名らしい。
「と、言う事は…
忘れじの歌は、定子のお母さんが詠んだ歌だ」
定子を育てた人はどんな女性だったのだろう?
興味を抱いた私は、そこで始めて五十年来の疑問と向き合う縁を得た。
高階貴子は中流貴族の学者の家に生まれ、才媛の誉れ高く、円融朝に女官として仕えた。
その時に後の関白、藤原道隆に見初められ、大恋愛に発展し正妻に収まる。
超上流の貴公子、道隆からすれば身分の釣り合わない正妻だが、バリキャリ女子の上に、高階家は美形で有名な在原業平の血を引いていると言われており、貴子も相当な美人だったと言われている。
貴子には、道隆が身分差を乗り越えたくなる程の魅力が備わっていたのだろう。
その証拠に、貴子は三男四女の子供を産み生涯、正妻として道隆から大切にされた。
高い教養を持つ清少納言が、定子に憧憬を抱いたのも、この賢い母の才を受け継ぎ又、その教育が功を成したのだろうと察する。
けれど道隆はイケメンのプレイボーイ。
片手に余る程の妻がいたと言う。
名家の御曹司の側面は、大酒飲みで陽気な人柄だったらしいから、憎めない愛嬌で女達を惹きつけたのかもしれない。
愛されていても、いつも貴子はハラハラしていた事だろう。
自分より身分が高い女が現れたらどうしよう…
正妻とは言え、彼女の一番の弱みはそこである。
通い婚で一夫多妻の時代は女が損だ。
待つしか術が無いのだから。
男心を捉えておくのは学問みたいにいかない。
勉強すればする程スキルアップ出来るものじゃないし。
どんな幸せな時でも不安が付き纏う。
そんな貴子の溜息が歌になって聞こえてくる…
「貴方は、私の事を絶対忘れないから心配するなって言うけれど、
そんな事この先はわからないわ。
あゝ、この幸せの絶頂で命が終われば良いのに。
道隆様が
私の元に通い始めた頃」
かつて14歳の私が選んだ歌
は、このような内容だった。
「私、やっぱり凄くませてたわ」
長い話しに付き合って下さりありがとう。
こんな巡り合わせがあったのです。
還暦を過ぎた今、
貴子の和歌を改めて読んでみますと、三十一文字に託した彼女の想いが見えてきます。
一途さと女の情念を感じさせながらも、そっと嫌みなく浮気な男心を牽制する。
愛すれば愛するほど、心の中に潜む鬼が牙を剥くもの。
そこを赤裸々に見せてしまうと、男は引いてしまいますからね。
モテる男だと尚更です。
このラブレターで、艶聞家の道隆もノックアウトされたのかもしれませんね。
千年と言う長い時の中で、どれだけの女性達がこの歌に共感してきた事でしょう。
貴子の恋歌に学び、感じ入る私です。
*長い文章を読んで下さりありがとうございました。