かまってちゃんから見えた大切なこと〜満たされない感情の消化〜
こんばんは。Vinoです。
そろそろ梅の季節でしょうか?
はじめましての方へ。
昨日、久しぶりに帰宅後、お菓子をバリバリ食べました。
普段、ほとんどお菓子を食べないのですが、おせんべい、カステラなど家にあったお菓子を手当たり次第、口に入れてしまいました。
いつもは夜のお菓子は太るので気をつけているのですが、昨日は、おせんべいを食べるの止めようと思っても全然止まりませんでした。
思い当たる原因は、もちろん職場の人間関係です。
先日、こちらの記事でも書きましたが、かまってちゃんが仕事の邪魔をしてきます。
昨日は、とにかく仕切りに話しかけてきて振り向かないと反応するまで
しつこく話してくるのです。
口じゃなくて手を動かせ。
なんて言葉を耳にしたりしますが、まさにその言葉がピッタリでした。
おまけに、昨日は、一方的に仕事を押し付けてきた人もいました。
最近、大人しくなっていたのに、またひどくなってきました。
こちらに断る余地を残さないコミュニケーションは、息が詰まる感じがします。
この2人に共通していることは、「要求」が強くて多いこと。
自分の感情の面倒を自分で見ないで他人に処理させようとしていること。
これは、子供の頃に、親に甘えてやっていた自分の感情の処理方法を大人になった今でもやってしまっていると言えます。
もういい大人なので、他人を使って自分の感情を消化しようとせず、紙に書き出すなりして、自分で自分の感情の面倒をみたいものです。
ただ、まぁ誰かに聞いてもらえると少し孤独感が癒えるというのは分かる気がします。でも、相手を自分の感情のゴミ箱のように扱ってはいけません。
聴いて欲しいなら、お金を払ってカウンセリングを受けるなり、建設的な方法を取らなければ、いつまで経っても、苦しみから抜け出せません。
そんなことがあり、インターネットで承認欲求が強い人への対処法を調べていたら、こんな記事を見つけました。
自分がこう言ったら、相手にこう反応して欲しい、自分のやったことに驚嘆して欲しいなど、自分の中に満たされない甘えが強くあり、相手が思うように反応しないと不機嫌になるそうです。
甘えの欲求が強い人は、虚栄心が強くなり、その虚栄心によって甘えの欲求を間接的に満たそうとするのですが、それをやればやるほど心を満たすのにエネルギーが必要になってくるということです。
心理的に自立出来ていないから、一人でいることを楽しめないし、一人で生きることも楽しめなくなります。
一人で生きることを楽しめるようになって、はじめて甘えの欲求から脱出した大人になれるのですが、甘えの欲求が強いと損得勘定が先に立ってしまい、自分が得をすることで間接的に満たされない感情を満たそうとするようです。
だから、利己主義者は他人との付き合いが楽しくなくなり、他人との付き合いが楽しめないことは生きていても楽しくないということに繋がるという話でした。
たとえば、小鳥のさえずりのようなことに意味を見出すより、社会的な地位を上げることに血眼になることは、前者は甘えの欲求は満たせないけど、後者は、間接的に甘えの欲求を満たすことが出来るからと書かれていました。
ものすごく納得感があるというか、とても腑に落ちました。
かまってちゃんに困らされて、今、こうやって記事を書いているのですが、自分の人生にとって、すごく大切なことを学んだような気がします。
自分は、ずっと甘えの欲求を間接的に満たそうとして、社会でボロボロになり借金を重ねてしまったのかもしれません。
自然界に存在するようなホンモノの豊かさにつながること、喜びを見出すこと、これが今後、わたしが目指していくべき方向性のような、微かな灯りが見えた気がしました。
身近に起きる現象は、わたしのこころの反映。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!