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道
アル=ファーラービー(ابو نصر محمد ابن محمد الفارابي)
1 政治の幸福
今日は、再び新しい強い刺激を受けた。上記の先哲「アル=ファーラービー(ابو نصر محمد ابن محمد الفارابي)」先生の概要と著作集を調べて、改めて、政治の幸福を得た。
思うに、私達一人一人の意識は、政府であり、そして、心身は国家である。しかし、しばしば、「意識」という政府に、指導者が不在の状態、もしくは、指導者が不健全・無気力であるが故に、事実上の無政府状態が続き、「心身」という国家が混乱しては、荒廃して、やがて衰亡していくのだ。
だからこそ、「内観」「修身」「自己啓発」「格物致知」「居敬窮理」等の「政治」を通じて、「国家」を修正や調整、改善や改新、向上や発展させていくのだ。
2「幸福な国家」(不可能)と「幸福な個人」(可能)
今、自分は医療関係と特定技能の両方の仕事をさせて頂いているが、私達は、平和・安全・健康、そして、「生存」自体に対する認識を、もっと高め深めていくべきであると思う。これらは、誠に、貴重で大切なことであり、そして、様々な奮励努力と偶発的な幸運によって、成り立っているのだ。まずは、この事実を確りと認識していくべきだと痛感している。
今は、コロナが大流行しているが、世界規模では、人口は増加し続けている。それは、事故や事件、貧困や病気、そして、戦争の可能性がますます激増することでもある。
平和・安全・健康は長続きするが、決して永遠に続く訳ではない。そして、長く続かせるには、継続的な努力が必要不可欠であり、そして、「徳」が重要不可欠ではないだろうか?
「衰・死・無」必ずや来る日々である。「殺傷・騒乱・大戦」必ずや来る時代である。
今、自分自身も、運よく、苦悩や苦痛を抱えつつも、平和・安全・健康で恵まれた心身・日々・環境を頂戴している。自分は、それらを維持しつつも、さらに利他的に発展や進歩させていきたい。そして、少しでも多くの人々に、その成果を共有しては、またさらに利他的に発展や進歩させていきたい。
上記のような幸せな日々は、私達の継続的な奮励努力・切磋琢磨・共存共栄によって、成し遂げられるものである。自然だが、決して、何の学習や経験、そして努力の無い偶然から生じることではないのだ。
先哲が遺した道は、私達の日常・精神・運命に深く沁み込んでいるのだ。しかし、私達はそれらを知らなかったり、忘れたり、間違って学び知ったり、危うく用いたり、そして、感謝や敬意に、批判や挑戦が無いままに受け取って、利己的に用いることが、実に甚だ多いと思わずにはいられない。
2:18 私は日の下で労した全ての労苦を憎んだ。私の後に来る人にこれを残さなければならないからである。
2:19 そして、その人が知者であるか、または愚者であるかは、だれが知り得よう。そうであるのに、その人が、日の下で私が労し、かつ知恵を働かしてなした全ての労苦を掌ることになるのだ。これもまた空である。
2:20 それで私は振り返ってみて、日の下で私が労した全ての労苦について、望みを失った。
2:21 今ここに人があって、知恵と知識と才能をもって労しても、これがために労しない人に、全てを残して、その所有とさせなければならないのだ。これもまた空であって、大いに悪い。
2:22 そもそも、人は日の下で労する全ての労苦と、その心づかいによってなんの得るところがあるか。
2:23 その全ての日はただ憂いのみであって、その業は苦しく、その心は夜の間も休まることがない。これもまた空である。
〖伝道の書 2:18-23〗
誠に、先哲の道を会得しては、現実に直面して、己の無知や暗愚を自認する、これが、幸福への第一歩であると、心の底から思っている。
そして、生死を確りと意識しては、現実に直面して、存在自体への知識を積み重ねていけば、儚さから美しさ、虚しさから喜び、空しさから楽しみが生じて、この美しさ・喜び・楽しみから、肉体の快楽・意識の安定・心理の安定・精神の調和・知への純愛、そして、本当の幸せが生じるのではないだろうか?
幸福な国家は、事実上、ほぼ不可能であろう。しかし、幸福な国家は、極稀で、至難の業ではあるが、可能である。その国家の別名は、「幸福な個人」である。
3 伯胡の後継者を志して
昔、中国には「子産」という偉大な政治家がいた。そんな子産が死去した時、「孔子」という偉大な哲学者が、「古の遺愛だ。」と言って、涙を流した。そして、子産は儒教の教義に貢献する偉人の一人となったのだ。
師は子産についてこう言った、「君子としての道が四つあった。まず、自身の行いは恭敬だった。次に、上への仕え方は敬虔だった。そして、人民の養成ぶりは恵み深いものだった。さらに、人民に課した使役は義に適っていた。」〖論語〗(公冶長 5:15)
そして今、自分(現実の主人格)と自分達四人(夢の中で生じた副人格達)がいる。自分は、孔子の「古の遺愛だ。」という言葉に、深い共感を覚えている。
Cuối cùng, tôi để lại muôn vàn tình thân yêu cho toàn dân, toàn Đảng, cho toàn thể bộ đội, cho các cháu thanh niên và nhi đồng.
最後に、私は、全人民・全党に対して、全部隊に対して、全ての青年達、子ども達に対して、私の限り無い愛情を遺しておく。
Tôi cũng gửi lời chào thân ái đến các đồng chí, các bầu bạn và các cháu thanh niên, nhi đồng quốc tế.
また、私は、世界中の同志達・友人達、及び青年達・子ども達に親愛なる挨拶を贈る。
Điều mong muốn cuối cùng của tôi là: Toàn Đảng, toàn dân ta đoàn kết phấn đấu, xây dựng một nước Việt Nam hoà bình, thống nhất, độc lập, dân chủ và giàu mạnh, và góp phần xứng đáng vào sự nghiệp cách mạng thế giới.
私の最後の望みは、我が全党・全人民が団結して奮闘し、平和・統一・独立・民主・富強のベトナム国家を建設して、世界の革命事業にその名を恥じない貢献をすることである。
ハノイ、10日5月1969年 ホー・チ・ミン(署名)
〖ホー・チ・ミン主席の遺書〗(結語)
しかし、現実はと言うと、国内は、この有様である。
そして、日本では、この有様である。
以前、勤務していた監理団体、そして日本語学校、さらに、ベトナム人の協会や人脈は・・・貪欲で利己的であり、無計画で他人任せであり、計算高い数々の偽善や虚偽の思考や行為・・・がほとんどであった。
ソクラテス先生・プラトン先生とアリストテレス先生、子産や晏子と孔子、仏陀と龍樹先生、イブン・バーッジャ先生とイブン・ルシュド先生、ルソー先生とカント先生・・・自分も先哲達の師匠から学生への継承のように、尊愛してやまい先哲の一人である伯胡(ホー・チ・ミンの敬称)から学び受け継いで、新しい道を創造する。
今、ベトナムでは、「ホーチミン思想」は、形骸化していしまい、政府は有名無実なプロパガンダや宣伝でしか用いず、ほとんどのベトナム国民は、誤解や忘却したり、無関心や放棄したり、そして、ほとんどのベトナム大学生達は、卒業単位の必須科目としか見ていない。そして、不合理な嘲笑や軽蔑も、決して少なくない。
そんな伯胡の遺産を、自分は誠心誠意を以て、肯定的な評価や称賛の心と共に、懐疑心や批判的思考・否定的な評価をも行って、新釈を施しては、温故知新を以て増補や革新を行って、発展や深化を成功させる。それが、三作品、特に、長大なシリーズ『ホーチミン思想』(全二十六巻)の真髄である。
確かに、結局のところ、世界は変わり続けるが、変わらない。悲惨な貧困も、理不尽で残酷な事故や事件も、苛烈な暴力や搾取・犯罪に戦争は起き続けるのだ。儚く、虚しく、空しい・・・しかし、自分は、美しさ・喜び・楽しさという、幻覚・妄想・仮想を、創造しては確立させたのだ。
だから、志を以て、幸せに生きて、幸せに死ぬ。自分は、生涯を掛けて書きたい、そして書かなければならない作品が、まだまだあるのだ。上記は、前期の哲学の一部でしかない。前期の哲学は、合計で七作品を予定している。
一作品目『愛国心』(一巻)哲学的な愛国論
二作品目『修徳匡国』(一巻)徳治主義の国家論
三作品目『相思相愛』(全十二巻)哲学小説
四作品目『ホーチミン思想』(全二十六巻)上記のシリーズ
五作品目『智徳の書』(全二巻)中東哲学の小説と文集
六作品目『貢志献業』(一巻)*次の中期の哲学の基礎となる哲学書
七作品目『家政』(前期:全十巻)
*現実の主人格の自伝で、次の中期の主人格の自伝と、夢の中で生じた副人格達の自伝の基礎となる自伝
さあ、新たに大いなる挑戦へと行くぞ✊
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