次回作『修徳匡国』(特巻)
1 存在の受容
2021年6月19日の今日、昼頃に、父と哲学・社会・人生について語り合った。そして、父から次のような教えを授かった。
父「人生に課題や目的を掲げず、ただただ周囲に流されて生き、問題や事柄を問題や事柄にしない。これが平和・安定・安全の時代の人性だ。」
自分「でもお父さん、そういうのが、危機へと繋がるのに、どうして人々は気が付いたり、直そうとしたり、闘おうとしないの?」
父「子よ、心身や個人、集団や社会、歴史や国家、物質や現象等、存在に対する評価や解釈だけではなく、存在とその法則自体を受け容れなければならないのだぞ。
中国哲学で、『陰陽』を見出した人は、正しく存在の本質を究明した人だと、父さんは思うぞ。
だから子よ、お前はもっと存在とその法則自体を受け容れる心を鍛錬していきなさい。まずは、現実を確りと把握し、現実に確りと直面し、現実で確りと生存することだ。」
この教えから、今日の午後、屋内スポーツや夕食作りをしながら、文献の研究・画像や動画の視聴、そして、読書や執筆を行い、そして悩み切って、遂に再び予定を変更し、『愛国心 伯胡への書簡集』の次回作である『修徳匡国』〈全四巻〉の内、上巻・中巻・下巻よりも先に、特巻『労働の独立・経営の自由・消費の幸福』の執筆・出版することにした。
3『修徳匡国』特巻
子溫而厲、威而不猛、恭而安。
社会主義に類する政治思想のひとつ。訳者により社会改革主義や、単に改良主義と呼ぶ場合も多い。マルクス・レーニン主義と異なり革命や階級闘争を否定して労働組合、労働運動や労使協調による資本主義社会の穏健な「改良」を訴え、労働者に対する福祉や社会保障など社会政策の充実や社会資本の整備を通じて労働者の生活を改善・向上させ、福祉国家を建設することにより「漸進的に社会主義を実現できる」とする。共産主義ではない社会主義思想のひとつで、のち民主社会主義に発展した。
市場経済への規制の導入や市民の政治的権利の拡大などを主張し、社会的公正を重視する自由主義の政治思想。
資本主義経済のもたらす格差や貧困などを解消するために唱えられた社会主義思想で、暴力革命とプロレタリア独裁を否定し議会制民主主義の方法に依って議会を通して平和的・漸進的に社会主義を実現することで社会変革や労働者の利益を図る改良主義的な立場・思想・運動である。
そして、今回の拙作は、以下の先哲・名君の名前ならびに遺徳を以て、それと同時に、『書経』を第一の参考文献とした、哲学書である。
5 晋悼公
さて、晋悼公は、中国の春秋時代の名君であり、君主自身の資質・能力・徳性という観点から観れば、春秋時代の最高にして最後の名君である。
残念ながら、晋悼公は、僅か二十九歳という若さで死去し、それを機に、祖国の晋は退廃や滅亡の道へと突き進み、そして、各国も戦国時代へと突き進むことになってしまった。
さて、晋悼公は、傑出した名君であり、その名君ぶりについて、以下の二つの話から窺える。
以下は、晋悼公が5歳~13歳の頃の人格である。
晋の公孫段談の子「周」は、周へと行って、単襄公に仕えていた。
[周の人なりは、]立つ時に傾きは無く、視る時にわき目を見ることは無く、聴く時に聞き耳を立てることは無く、言う時は遠くへ話し掛けたりすることは無かった。
敬を言えば必ず天に言及し、忠を言えば必ず意志に言及し、信を言えば必ず自身に言及し、仁を言えば必ず人命に言及し、義を言えば必ず利徳に言及し、智を言えば必ず事業に言及し、勇を言えば必ず節制に言及し、教を言えば必ず弁別に言及し、孝を言えば必ず神霊に言及し、恵を言えば必ず親和に言及し、譲を言えば必ず対等に言及した。
晋国(祖国)に憂事があれば、心を痛めて悲しまないことは決して無く、慶事があれば、心が躍って喜ばないことは決して無かった。
以下は、晋悼公が14歳の時に、国君として即位して、国内の改革ならびに徳政の実施による成果である。
これら六つの官職の長官達は皆、人民からの称誉のある人達であり、挙用された者達は、職務で失敗は無く、官員達は法令を変えることは無く、各々の爵位は、授けられる人物の徳を超えることは無く、師は正を凌がず、旅も師を凌ぐことも無く(師・正・旅:官位)、人民の誹謗の言葉も無くなり、晋の覇業は再興された。
こうして、自分は今日、風呂で心身を洗い清め、そして、祭壇にて、意を誠にしては、心を純粋にして、徳を以て晋悼公に敬意と哀悼の念を示し、名前ならびに遺徳を学び受け継いで、拙作の主人公にさせて頂くことにした。
6 結語
明日から、文献の研究活動と作品の執筆活動に入る。
なお、明日の活動に、次週の医療関係の十時間勤務により、難しいものの、頑張って以下の記事やサイトを更新していきます。どうぞ宜しくお願い致します。
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。