社会哲学の拙作『社会善』
1 拙作の研究支援に関する応募
以前に、以下の拙作と拙作の研究支援に関する記事を投稿して、支援プログラムに応募いたしました。(拙作の題名とその構想、そして研究支援の要望の内容に少し変更がございます)
2 拙作の概要
まず、以下の「社会悪」に関する検索結果をご覧くださいませ。
これに対して、以下の「社会善」に関する検索結果をご覧くださいませ。
しかし、以下の「社会正義」に関する検索結果は、次の通りです。
以上のことから、思うに、そして現実的にも、やはり社会、もっと精確にいうのであれば、我々人間の集団的・組織的・社会的な共同の交流・生活・活動等の圧倒的大多数は、実に残念ながら、「悪」と言われたり、評されたり等する社会現象であり、「善」と言われたり、評されたり等する社会現象は、決して少なくないと言えども、しかし「至誠であるかどうか」という追究を以てすれば、結局のところ、圧倒的大多数はやはり、「偽善」つまり「『虚偽や欺瞞』・『中途半端な未達や未完成』・『不徹底や途絶等』の善」であり、「至誠の善」は滅多に無いものです。
さて、『世界人権宣言』と『日本国憲法』には、それぞれ以下の通り述べられております。
ですが、『荀子』(君道)に「有治人,無治法」(治める人は存在しても、治めてくれる法等は存在しない。)と言われているように、法の創作をはじめ、遵うも違えるも、改めるも廃するも、そして、有効化や適正化等させるのも無効化や形骸化等させるのも、全て人力・人知・人心に拠るのです。
「悪法も又法なり」という言葉がありますが、自分の志としては、「善法も又心なり」という言葉を独創しております。総じて犯罪者達は、法を平気で破り、渡世が上手な犯罪者達は法を上手く掻い潜り、奸智に富んだ犯罪者達や悪人達に至っては、法を熟知しては、逆に法を巧妙に利用して、社会からの制裁や懲罰等を無効化や無力化したり、社会の欠陥や病弊等に付け込んで巨万の富を得たり等します。だからこそ、自分は、志を以て、法の善や正に理を確りと体得しては、実践して、応用し、そして同時に、法の欠点や弱 点に不備等をも確りと理解しては、批判して、内省していきます。
故に、こよなく愛する我が第二の祖国日本の憲法で定められている「思想並びに良心の自由」を、個人的かつ主体的に実践していきます。外から享受された様々な権利に物事や事物等を、自ら学習しては実践する、これこそが、積極的な自由ではないでしょうか?
3 拙作の参考文献
今回の拙作の研究活動・執筆活動では、自分の社会学・社会科学・社会哲学の基本・基礎を確立させることも行っていきます。また、南インドの『論語』と呼ぶに全く以て相応しい傑作『ティルックラル』をも研究しつつ参考にします。
そして、以下の文献も、後々に収集して研究します。
なお、長谷川良信先生の全集は、もしnoteクリエイターサポートプログラムでの応募で当選されましたら、購入して研究し、参考文献にします。
4 結語
以上のことから、執筆中であったの拙作『根性』の執筆を一旦中断し、先に上記の拙作『社会善』の完成・出版のための研究活動・執筆活動を行います。
この拙作は、来年に、七年ぶりに一旦帰国・帰郷する、こよなく愛する我が祖国ベトナムにて、数多のご先祖様達・先哲達・死別した戦友達や同志達に報告・奉献・貢納する品物の一つでもあり、そして、遺徳を乞うための志を具現化させた品物の日発でもあるのです。