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顕彰の志

天地のために心を立て、生民のために道を立て、去聖のために絶学を継ぎ、万世のために太平を開く。【儒教哲学者の張載の志】

 市場調査と情報収集等を行ってから、さっそく、厳しくて醜い現実に直面することになった。

 自分が取得を目指している資格の実態は、こういうものばかりである。取得した下の資格も、そうだ。自分自身だけではなく、他の先輩方も直面している。

 そして唯一、社会的に評価されて、現実的にも実用性が高いとされている資格は、以下のものだけであった。こちらも、最終的に取得して、次の新規の事業を起こすことを計画している。

 資格商法・天下り・搾取や無責任・自己満足や現実逃避・・・これが現実である。しかし、自分は、それでも突き進む。アルバイト・情報商材・執筆等でお金を稼いで、受講・受験し、合格と資格取得を志す。

 日本語教師養成講座に2年半に亘って、通学したが、学校の体制や姿勢は酷いものであった。無責任で、金儲け主義で塗れ、受講生はおろか、職員の方々さえも、ウンザリする程であった。政府から企業に至るまで、金儲け主義であった。そして受講生の中には、「暇潰し」や「お遊び」で、受講する人々も多かった。恐らく、上記の資格等の講座や試験も、それが多いことであろう。

 しかし、自分は日本語教師養成講座で、多くの良き先輩方や先生方と出会って、縁を持ったのである。そして、金銭・時間・労力に対する、掛け替えのない「対価」を得たのである。「絆」という対価を・・・だからこそ、自分は志を以て、突き進む。愚かながらも、勇ましく、そして、我が道を。

 自分の哲学に決定的な影響を与えた「大学・中庸」という傑作も、歴史上では、完成・編集されてから千年の間は、評価はおろか、その存在が知られることは、ほぼ無かった。しかし、それが後に、二程子・朱子・王陽明等の先哲に見出されて、新釈や研究をされた上に、喧伝や顕彰されたことで、東アジアの日本・朝鮮・日本・ベトナムに計り知れない程の絶大な影響を与える傑作になったのだ。朱子学は、日本の江戸幕府の政治体制や教育・文化等の基礎となり、陽明学は、幕末・明治維新、そして戦後の日本の復興期等の原動力になったが、両学の哲学の本は、「大学・中庸」であった。

 しかし、悲しいことに、朱子学・陽明学(宋明理学)は、もちろん全ての哲学と同様に、欠点や弱点、悪い所や危険な側面も在るとはいえ、総じて、体系化された壮大な哲学であり、本当に優れた素晴らしいものである。にも拘わらず、後世の人々は、その志や徳を学び受け継がず、私利私欲で濫用や悪用したり、自己欺瞞で研究や伝道したりして、本来とは全く違う形にしてしまい、多大な弊害や害悪を生むものにしてしまったのだ。

 しかし、志を以て、徳を修めている自分は、原典を味読したり、共感を以て、先哲の人生と時代の背景を深く学んだりすると、「ああ、なんと立派なな生き様や素晴らしい哲学だろうか!」と感激するばかりである。それと同時に、「生きている時は冷遇や虐遇して、そして死後は、徳も無く絶賛ばかりしては、私利私欲で濫用や悪用したり、自己欺瞞で研究や伝道して、さらに後世にまでなれば、もう用済みで、役に立たない無駄な学問として、棄て去るなんて!」と悲憤するばかりである。

 今、自己啓発やSDGs、技能実習制度や多文化共生等や、上記の資格等も同様で、本来の理念とその学習内容は、本当に立派で素晴らしいものである。しかし、これらも、ある人々は、盲目的・無批判に肯定や称賛ばかりして、改善や実践に努めなかったり、ある人々は、無理解・誤解ばかりのまま、否定や拒絶して、不信や無関心となったり、ある人々は、私利私欲や現実逃避もしくは悪意を以て、濫用や悪用して、金儲けや犯罪活動に用いるなど、こうして、本来なら実現できる効用や成果等が、全く実現できないどころか、無駄や弊害ばかりが生じる。これが現実である。

 だからこそ、自分は志を以て、徳を修めて、道を行い、現実を変えていきたい。少なくとも、自分自身の現実を。そして、時間を掛けて、周囲や社会の現実を変えていきたい。

 過去、自分に「こうしろ、そうしろ、ああしろ」と他人ばかりに変わることを要求して、自分自身は変わらない連中や、努力や変化を嫌って、挙げ足取りや言い訳作り、そして人の欠点や弱点を暴くのは超一流の連中、「人のせいにするな」と言いながら自分自身は人のせいばかりにする連中、こういう呪縛を、今日のこの瞬間、完全に打破して、突き進む。

 そして、自分の父に、改めて深謝する。自分が、世間一般では、全く役に立たない無駄な(と大誤解を受けている)学問(哲学)を、一生懸命に勉強して、しかも楽しく学んで、愛してやまないこの心を育ててくれたのが、他ならぬ父であった。かつて、やれ頭がおかしい気持ち悪い奴だの、やれ首を吊って死んでしまえだの、やれ薬を飲ませて鎮めとけだの、やれ精神病院に連れて行けだの、やれ警察署へ連れて行けだの、やれ堅苦しくてつまらないだの、やれどこへ行って仕事が無いだの、そんな家族や親戚、周囲や社会等の認識や評価に、決して一切動じることなく、自分自身に、誠に接して、誠に知って、誠に学んで、誠に理解して、そして、誠に育て、誠に教え、誠に導き、誠に守り、誠に支え、誠に愛してくれた父のおかげ、ここまで来れたのである。お父さん、本当にありがとう。愛している。

 さて、今日、また活動を再開する。今晩、サイトやブログの更新活動を再度お知らせいたします。宜しければ、ご覧くださいませ。

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。