憎しみのあるところに愛を 闇に光を
「聖フランチェスコの平和の祈り」とよばれる祈祷文があります。
イタリア語ではPreghiera Semplice(プレギエーラ・センプリーチェ)=「シンプルな祈り」または「無垢な祈り」とも言われます。
世界的にも有名で、ローマ教皇フランシスコも長崎でのスピーチの中で唱えています。
でも実は、聖フランチェスコが書いた祈りではありません。
20世紀に入ってから、作者不明でフランス語で書かれたものがオリジナルのようです。内容が素晴らしいので、琴線に触れた人が多かったのではと思います。あちこちで引用されて、イタリア語にも逆翻訳され、フランチェスコ会の人たちも唱えるようになったとのこと。
フランチェスコの絵のカードの裏に印刷されたことから、誤解が広まったらしいです。
フランチェスコっぽいから、彼の祈りにした、みたいなことを最初に読んだ時、そんなテキトーでいいの?!と、びっくりして笑ってしまいましたが、確かに「彼らしい」雰囲気もある気がします。出どころは、どこでもいいのかもしれません。
今、ニュースを見ると毎日のように辛い情報が飛び込んでくることがあります。
それを見て、怒りや悲しみを感じることもあるかもしれないけれど、出てくる感情はもともとは自分の中にあったもの。ニュースの向こう側の人や物事にぶつければ、同調して自分自身が憎しみになります。
憎しみのあるところに愛を、分裂のあるところに一致を、というのは
自分の中にあるそれらを、置き換えよ、という意味もあるかな、と思いました、今(笑)。
自分の中に調和がなければ、見ている世界が調和することはないのですよね。
これまでアッシジに住んだことは書いてきたのに、その町の聖人のことはほとんど紹介していなかったので、今日から少しアッシジのフランチェスコのことを書いていこうかと思って、1つ記事を書いたのですが、こちらの祈りが先のような気がしました。
「聖フランチェスコの平和の祈り」はいくつもバージョンがあるらしく、訳も違うようですが、これが一番最初に読んだ訳だったので、私にとってはしっくりきます。
主よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところに許しを
分裂のあるところに一致を
疑いのあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、許すから許され、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。