見出し画像

あの陽の当たる場所に行きたい

小学生だったか、中学生の頃だったか、時々ひとつの明るいイメージが浮かぶことがありました。
はっきりとは思い出せないけれど、自分が外国人と英語で明るく楽しく自由にしゃべっているような情景だったかもしれない。
語学や外国との関わりのことはまた別の話として、その「明るい場所」はどこだろう、どこだかわからないけれど、そこに居たい、行ってみたい、という感覚がありました。

1,2年前に、アニメ映画だったかな、”あの陽の当たっている場所に行きたいと思って自転車を走らせるけど、そこに着いた時にはもうその光は別のところに移動している”という主人公の話があって、とてもわかる、と思いました。

そこに辿り着きたい。でも行けない。
どこなんだろう。
もくもくとした雲の、あの陽の当っているところに行きたい、と思うこともあって、それによく似ています。

NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で、ルイ・アームストロングの「On the Sunny Side of the Street」が一つのテーマになっていて、「ひなたの道を歩きたい」という言葉を聞いたとき、自分の「明るい場所」のことを思い出しました。

この「ひなたの道」というのは、どこかにある道ではなくて、自分の決めた道が「ひなたの道」なのだそうです。

いつだったか、「自分のいま歩いている道が自分の道」ということを思ったことがあります。
山手の教会にいた時のことだと記憶していたけど、そうではないかもしれない。
ともかく、思い通りになっていないとき、自分の道をはずれているような気になるけど、自分の道とは理想の道のことではなく、うろうろ迷っている時も含めて、自分が歩いて来たのが自分の道なのでした。

高村光太郎の「道程」の冒頭部分を思い出します。

どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう

高村光太郎「道程」より

どこかの先に「明るい場所」がある、のではなく、そのイメージを今に引き寄せてきたほうがいいのだろう、と思いました。
今いる場所で、明るい部分に目を向ける。
明るい部分を道しるべとして行く。
そうでないと、たぶん一生その「明るい場所」に辿り着くことはないのです。

それに、そのときはなかなか見えなくても、振り返ると、暗く見える時もいつも見えない光に包まれていたのかもしれないと思います。

朝ドラのおかげで「On the Sunny Side of the Street」をよく口ずさんでいます。
ドラマの中で進駐軍を前に歌う世良さんのサニーサイドは、ものすごく素敵でした。久しぶりに見たら、泣けた。


書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。