翻訳じゃない方の詩/受賞作
サロメーヤ・ネリスの詩集『あさはやくに』(ふらんす堂、2020年)をリトアニア語から日本語に翻訳していた頃、私は日本語で自身の詩を書き始めました。そのうちのいくつかを文芸祭等に応募したところ、ありがたいことに賞をいただきました。
ここでは、これまでに受賞した5篇の詩(すべて全文)をご紹介します。
テーブルのカエル
喫茶店でコーヒーを飲んでいると
食器が下げられたばかりの隣の席では
カエルがその表面をすべっていた
小さな体が通り過ぎていったあとは
テーブルがきれいになっている
二十五メートルプールに通う
隠居老人の日課のように
几帳面に端で折り返すのを見ていると
あしの水搔きの形が
うちで育っていった次郎によく似ていた
たとえ次郎じゃないとしても
こいつのことを憶えていようと心に決めた
あの冷めかけたコーヒーの味と
直前に見上げた青すぎる空の色とともに
テーブルの上の次郎の働きぶりを
私はずっと憶えている
《2021年、第48回明石市文芸祭教育長賞受賞》
箱
週末に箱を買いました
うすくてかたい丈夫な紙でできていて
大きさは たてが四十センチ はばが四十二
センチ 奥行が三十八センチです
顔が見えるとプライバシーがあぶないと
だれか偉い人が言っていたみたいなので
毎日 箱をかぶって外に出ます
はじめは慣れずに戸惑いましたが
見えづらいので見たくない顔を見ずにすむし
聞こえづらいので悪口も聞かずにすむので
今ではなかなか気に入っています
夜にだれかのベランダで休んでいる
空っぽの箱とたまに目が合います
そんなときは自分の箱を小脇に抱えて
私ひとりのナトリウムランプの橙の道を
スキップしながら帰るのです
《2021年、第六〇回大垣市文芸祭佳作入選》
地下の液体
エレベータは地下五階で停止した
指と眼をかざし声を出し手の甲をかざすと
重々しい扉が仰々しく青く光って開いた
その先の廊下は冬の朝の土の匂いがした
進もうとすると控えめなブザー音が鳴り
立ち止まっていると過剰な静けさに溺れかけ
無口な案内人に話しかけても
声がどこかに吸い込まれて自分にも届かない
無意識に手を合わせたその感触が
ここは墓なのだと私に告げた
ぼんやりと床の一点が光り
線となってさらに伸びて 私を導いていく
暗順応した両目はこの部屋の凹凸を捉えた
高い天井 無装飾の壁 足元の無数の直方体
光が途切れた所にはやはり直方体があり
そばにきた案内人が掌をそれにかざした
大型動物が寝起きにあくびするように
ゆっくりと
直方体の蓋が持ち上がり
中身がのぞいた
箱いっぱいに
液体が満ち満ちていた
美しいだろう
と恍惚とした輪郭で彼は言った
水とは思えないそれの中に
案内人は躊躇なく両手を浸し
その中身を掬って
口元でたっぷりと啜った
ずずずっと 鼓膜を撫でまわす音が
耳の中で響いた
《2021年、第29回可児市文芸祭現代詩部門入選》
ブリキ箱
思い出せないことがある日は
錆色の廊下を歩いて
人工的にひんやりとした空気の中
記憶の細胞を研ぎ澄ます
ときおり体がういてしまう
ふっと
母猫がくわえた仔猫のように
背中から空中に持ち上がり
古びたブリキ箱の俯瞰が広がる
ふたたび歩くには
水をもぐっていくように
息を吐いてからだを沈めて
ただ 体の芯を廊下にもどせばいい
《2021年、第20回土岐市文芸祭現代詩部門優秀賞受賞》
地雷の足音
とってん とってん と
聞きなれない足音を立てる片足と松葉づえ
みぎひだりを気にして慎重な両足の私よりも
軽やかに進んでいく脚一本に金属棒二本
「こどもはこどもによってくるの」
新しい学校の同級生が教えてくれた
聞き取れない掛け声と露骨な物乞いの仕草で
週に百円ほどのおこづかいの私に群がる
転校前に担任の先生がみんなに見せたのは
カンボジアのドキュメンタリー四十五分
大人たちが汗だくで地雷除去をしていた
向こうに行っても元気でね 手紙書いてね
買い物のとちゅうで地雷を踏まないように気を付けてね って
手紙に書いたあの子はこの風景の戸惑いを知らないままだ
セントラル・マーケットの前で停車すると
観光客を目指して群がる彼らの姿が見える
同級生が言ってたけど 地雷だけじゃなくて
ベトナム戦争の枯葉剤のせいでもあるらしい
運転手がドアを開けるまでの十数秒のあいだ
窓越しに吸い寄せられてじっと見てしまう
着いたよ と呼びかけられてはっとする
夢からさめるみたいに車の外に踏み出して
おそるおそる母について歩く私に
まだ耳になじまない軽快な足音が追ってくる
無視も同情も決めきれない私に迫ってくる
とってん とってん とん
《2020年・第19回創作コンクール つばさ賞詩・童謡部門佳作入選》
(賞について:https://jidoubungei.jp/cn9/tsubasasyou.html)
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